ヘルシングあい便り

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旧暦のすすめ2015.01.31

 今年のはじめ、カンボジアでオーガニックの黒胡椒を作っている日本人の倉田さんとお話しできる機会があった。こんなことを言っては失礼だが、もともと黒胡椒にはあまり興味がなかった。しかし使ってみたらビックリ、この香りの素晴らしさの虜となり、早速当店でも扱わせてもらっている。実はカンボジアの胡椒は60年代にはフランスをはじめとするヨーロッパで最高品質として有名だったそうだ。歴史も古く、すでに13世紀の後半にはすでに中国にも紹介されていたという。しかし70年代からの内戦により農園は壊滅され、人々の記憶からも消されてしまった。その過去の特産である胡椒をカンボジアの産物の中では初めて「国内オーガニック認定」を取得したのがこの倉田さんである。
 前置きが長くなってしまった。そんなことで話題は当然カンボジアのことになり、お正月の様子を伺ったところ、暦上の新年とは別に4月中旬に本当のお正月があるということだった。しかも西暦は使わないらしい。仏滅(ブッダの没年)紀元前543年を基準とする暦法仏暦を使用しているため、今年は2558年になるそうだ。西欧列強に翻弄され、さらにはアメリカとのベトナム戦争と、その傷跡は如何許か計り知れない。しかしその中でもなお自国の暦が息づいている。そしてその仏暦通りに行うと農作物の育ちがいいと倉田さんはおっしゃっていた。
 昨年、私にしては珍しく西に東にとよく出かけた年だった。特に後半は西に行くことが多かったため、深まっていく紅葉を何度も目にすることができた。そのためか秋が妙に長く感じた。そんなことをお客さまに呟いたところ、太陰太陽暦では閏月が9月にあったために秋が長く感じるのは当然ですよと教えて下さった。旧暦では当然のことのようだ。これはどういうことかというと、太陰暦は月の満ち欠け(約29,5日)を基準にしているため、12カ月が354日で次の年を迎えるという計算になる。太陽暦は365日なので3年で一月ずれてしまう。そのため月を基準にしつつ太陽暦とも整合性をとる暦(太陰太陽暦)では一月を加算して調整する。その閏月が9月に2回繰り返された。西暦では11月でも旧暦ではまだ9月だったことになる。そのことがタイミングよく先月下旬に、東京からお越しいただいた先生から旧暦の話しを詳しく聞くことで、ようやく腑に落ちた。 いつ田植えをすればいいか。旧暦は農暦でもあるという。例えばタラの芽を見かけたら旧暦のカレンダーにつけておく。そうすると、毎年同じ頃に芽吹くのに気づくそうだ。潮の干満が月の形に連動する漁業でも旧暦の暦通りにサンマは降ってくるそうである。
 近代の波が押し寄せてきた明治以降、そんな素晴らしい暦を捨てて西暦を導入した。以来、自然と共にある日本の伝統行事や、農・漁・林業はどうなっただろうか。町並みはどうなっただろうか。どう見ても不釣り合いな立派な駅や施設が全国各地に乱立し、大型店舗も闇雲にでき、コンビニは犬も歩けば何とやらほどヒシメキ合って、これでどうだと言わんばかりに煌々と電気を付けて物を溢れさせている。今だに不必要なダムを作っては上流の自然や集落、川を奪い、干潟は埋め立て、海岸は護岸工事で要塞化して、大切な命を育む場所すら失いかけている。それでどうしてうなぎやしじみ、あさりが採れるだろうか。
 今の時期を旧暦の二十四節気七十二候で見てみた。
鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)七十二候の一つ。大寒の末候。鶏が卵を産み始めるころの意。春の気を感じたニワトリが、鳥屋に入って卵を産む時候をいうとのこと。冬の節気の最後で、これを過ぎると、暦の上では春になる。 
旧暦は、時に命の営みを教えてくれる先人が遺した貴重な宝物。本来の自分に還る暦かもしれない。

断食のすすめ2015.01.03

 年末に2回ほど寒天断食をした。寒天の原料であるテングサには、海藻のすぐれた水溶性繊維が豊富に含まれているため宿便排出をよりスムーズに促すそうだ。その棒寒天1.5本に3合の水に浸し、黒糖かはちみつで甘みを30g加え、火を通して冷めて固くなる前に食べる断食法を寒天断食といい、黒砂糖などの甘みは腸に潜んでいる悪玉菌をおびき寄せるのが利用目的の一つとされている。
 断食などしていると、その理由を尋ねたくなるのが人情で、病気か体調不良の方以外は普段あまりお目にかかることがない。ちなみに今回は飲み過ぎに依る体調不良でもなく、体からその要求があった。しかも嫌いな寒天を自ら選んでいた。
 断食の一回目は冬至の新月の日に、2回目はその翌週に行った。2回立て続けにしたため、2回目には様々なことを客観的に感じることができた。それは以前、座禅で体験した感覚に近いものだった。 かれこれ20年以上も前になるが、覚王山の日泰寺で毎年行われている涅槃会報恩摂心という5日間の修行に参加させていただいたことがあった。お坊さんに混じって座禅を組み、食事をいただき、掃除から就寝までほぼ生活を共にする体験だった。2月の一番冷え込む早朝の3時ごろ起床、座禅は食事と15分休憩以外は4時から延々夜の9時まで続いた。暖房は薪を焚いてるところが一か所だけで、寒いし足は痛いし腹は減る。しかもしゃべることも出来ないから頭を巡ることはどうでもいいことばかり。よくいう煩悩の固まりが頭を支配する。自分が自分を呆れるくらいくだらないことばかりがふって湧いては消えていく。それが不思議なもので2日、3日と経つと、それも出し尽くしたようにほんの一瞬平穏な空間が目の前に広がることがあった。その時が生まれて初めて自分と向き合った体験ではないだろうか。 この座禅の経験が、断食をすると今でも蘇ってくる。断食も、たった一日のことなのに、ふとコーヒーやクッキーなどが頭に浮かんできたり、今日の酒のつまみは・・などと思ったりしている。はじめは頭の生み出す欲に体が反応して大変だが、そのうち空腹感が心地よくなってくると体も頭もその欲から開放されたようになり、自分の体がより身近に感じる。食を断つことと座禅とは、共に身を削いで行をするという意味で響きは同じなのだろう。
 一般的には一日3食食べるのも当たり前なら、自分の行動や考えも自分が気づかなければそのまま通り過ぎて行く。そうすると人間は自己中心的な考え方になりがちになり、食べ物も偏り、その貪欲さがいつか大きな山に成長していく。それが品物の山にやまいだれの「癌」という文字に表されている。世界でその癌が減少傾向にある中で、日本人は癌の割合が3人に1人とますます増えている。一世帯に一人が癌で亡くなっているのだ。これは正にこの文字通り、多くのものを抱えこんで病気になっている日本人の姿だと言えはしないだろうか。
 年に一回のお正月、それに水を差す気持ちはさらさらない。輝かしい新年だからこそ、自らを立ち止まって振り返ってみるのに、若者は自分の挑戦のために、そして私より先輩の方々は健やかにおいるために断食をあえてオススメしてみたくなった。
 流水は腐らず 流れる水は腐ることなく、常に新しく、魚もまた住むことができる。これと同じように人間の精神と身体も、たえず不断に動かして鍛錬することによって若々しさを保つことができる。

皆様のご健康とご多幸を祈願します。

清算しましょう2014.12.02

  毎朝のジョギングで目に入ってくるものといえば、現与党である自民党や公明党のポスターで、この周辺は特に密度が高いらしい。そのような建物が多くあるから間違いない。突然、アベノミクスという造語を作って、いかにもこれから景気回復するかのように経済界やらマスコミが持ち上げてきたが、金策尽きて、前回は体調不良、今回は投げ出し解散だ。こんなわがまま放題な総理大臣を許している国は世界広しといえあるだろうか。そんな政権を許している政党にははっきりとNoというのが今回の選挙となるだろう。わたしはこの店を代表して生活の党を応援することを表明する。店にはポスターも貼るつもりだ。一人一人が物事をハッキリ言った方がいい。そうしなければ、本当に生活できなくなる日が来る。
 ここに貴重な言葉を100年ほど前に書かれた書籍から、皆さんに抜粋してお届けしたい。

心臓より毛管へ、帝王より国民へ(西勝造著 無病長生健康法より抜粋 )

 わたくしは思想なり学説を研究する時は、いつもその時代の政治制度や経済機構とにらみ合わせて研究することにしている。ハーヴェーの心臓動力説は、十七世紀の教権と主権を一手におさめて帝王神権説を唱えた英国のチャールズ一世の時代の所産であった。いや、ハーヴェーは、その著書の冒頭に、次のように述べている。
「類なき、英邁不撓におわします大英国、フランス及びアイルランドを統治遊ばさる信仰の擁護者たるわがチャールズ陛下に奉る。
世界に類なき英邁の君主よ。
そもそも動物の心臓はその生命の礎石にして、その体内におけるすべてを司るものにして、例うるに、あたかも宇宙における太陽のごとく。万諸々の成長は、これに所依し、万諸々の力はこれより創生するなり。これと同じく陛下は英帝国の礎石にして、皇帝の統治遊ばるる世界の
太陽にもたとえ得べく、又社会の心臓にも例え得べし。帝は誠に諸般の権能と諸般の恩顧の始発する源泉とこそいうべけれ・・・・・・・
おお陛下よ、陛下こそ実に当代の新しき御稜威にして、誠に国家の心臓とも称すべけれ・・・」
 ハーヴェーは独裁主権と心臓原動力説を提唱し、政治制度と医学思想とを交歓したのである。
ところがハーヴェーがその著書を陛下に献じてちょうど二十一年目に、チャールズ一世は暴君として、また国民の虐殺者として、議会軍の手に斬刑されたのである。
 わたくしは、心臓原動力説の不思議な運命に、感慨無量の言を発せざるを得ない。
 わたくしは、ハーヴェーの説に反して毛細管網原動力説を唱え、これこそ民主主義時代の学説を代表するものだと自負している。
 四百兆個の細胞は民草である。民草の要望が国民の総意となって、毛細管現象をいとなませるのである。心臓が細胞に栄養を与えるのではなく、毛細管が栄養を要求するのである。そして老廃物を血液に送り込む。いわば、細胞は生活の必要から毛細管制度を作り、栄養を左心室から吸引し、老廃物を右心房に送付するのが、わたくしの毛細管網原動力説で、主権細胞説である。
「なんじ臣民」から「われわれ国民」への転換である。「上からの支配」ではなく「下からの権威」である。また細胞は、被給与者でなく、不浄な血液に対しては、彼等は拒否権を発動する。
 わたくしは民主主義時代の学説として、声を大にして血液循環の原動力は毛細管網なりと叫ぶ
のである。いや、いや、思想や学説は二の次として、心臓原動力説では当然助かる病人も死んで
いく。心臓原動力説の仮設を盲信し、ビタカンフィーやジギタリスのような強心剤の注射によっ
て、日々、如何に多くの人命は失われていくことであろうか。

千里の道も2014.11.01

   かれこれ2年経っても目入れができない達磨さんが店の事務所にある。この達磨さんは群馬県高崎市の名産で、群馬健康会館という長年、西式健康法の普及活動をしている宇津野先生がおみやげにといってくださったものだ。とても大きなものを抱えて持ってきて下さったこともあって、神妙な面持ちで一方の目に墨入れしながら願掛けをした。その時頭にに浮かんできたものは、程遠い目標だった。
 毎朝の日課としているものは、西式健康法の体操と体幹呼吸法で、両方合わせて約1時間かかる。体幹呼吸法は以前にもご紹介したことがあるが、骨盤や背骨の歪みをなくして体の幹を養う運動で、股関節や大腿骨をかなりいじめる。それも取り入れて2年が過ぎた。その間、筋を無理にのばそうとしたため痛めて休んことがあるが、それ以外はほぼ毎朝行っている。もともと股関節が硬いため、地べたに長い時間座っていると股関節の付け根が痛くなることがあって気になっていた。そんな状態からこの運動を始めたため、やること自体が苦痛だった。一つ一つのポーズが骨身にしみるとはこういうことで、よくもまあ今まで続けられたものである。股関節が硬いのと猫背、この自分の体の欠点を克服したいという意欲が続けさせたのだろう。
 つい先日ご来店されたお客さまと意気投合した。その方も数年前までは失礼だが、どちらかというと不健康な部類に入っていたように思う。それがそれから数カ月後に再度来店した時は別人のように良い顔になっていた。何をされているのか聞いたら、ピラティスを始めたという。なるべく時間があれば通うようにしているということだった。ピラティスも、体幹呼吸法同様、身体のコンディショニングを整える効果があり、体幹だけではなく四肢も含めた、筋力強化・柔軟性向上・筋持久力向上が期待できるそうだ。話しは弾んで前向きな話しで終始した。帰り際には、一生懸命やってもできないあるポーズがあるが、いつか出来るようになりたいといっていた。過去に語ってくれたそんな話しを持ち出したところ、今でもそのポーズは出来ないらしい。しかしそれでも出来ることをイメージして続けているそうだ。
 願掛けした私の程遠い目標は、180度開脚して胸が地面につくようになること。ヨガのポーズなどでおなじみだ。やり始めた当初は、開脚したら腰が引けて後ろに倒れそうになっていた。せいぜい60度くらいが精一杯。その姿勢で前屈しようものなら痛いのなんの。できっこないし到底無理な話しだった。あれから2年が経った今、少なめに見て110度くらいまで開脚ができるようになり、腰は立つようになり、そこから上半身を前屈して胸が着くまで十数センチの所まで来た。首が前のめりになって猫背だった体形もだいぶ改善されたように感じる。なぜそう思うかといえば、体がどんどん楽になるからである。痛い足を引きずって、無理な姿勢で日常生活をしていた過去のことを思うと天と地ほどの違いがある。それでもその時の自分はそれがベストだと思っていた。しかし毎日の少しづつの努力で、私達の体はもっと健やかにもっと爽快になれるのである。一日1ページの本を読むと決めれば1年で365ページになる。10ページだったら3650ページとなり年間100冊は読める計算になる。木の年輪のようにその積み重ねは果てしなく大きな差を生むことになる。千里の道も一歩からで、たった一度の人生だから、なにか不可能と思えることにも挑戦して見る価値は大いにあると思う。それを証明してくれるのが私達自身である。

稲刈りを終えて2014.09.30

 今年もあっという間に稲刈りの時期、昨年は孤軍奮闘でそれを終えるのに数日かかった。それが今回はスタッフが手伝ってくれたおかげで一日で終えることができた。本当に助かった。
 稲刈りには、個人的に貴重な思い出がある。それは20代後半の頃だった。この店を切り盛りしながら小川茂年先生という方の「手当て法」を毎月主催していた。その先生の独特な雰囲気と、手を当てるという自然な動作から体を整えていくという方法に魅了されたためだ。全国でその勉強会が行われていたために、名古屋へ来るのは月1回。そして次の目的地に向かう。一周その旅を終えると自宅のある伊豆の下田へ戻って自然農法で米や野菜を作っていた。そこに2度ほど遊びに行ったことがある。長屋に沢山の書庫のほかは炊飯道具にちゃぶ台があるくらいのシンプルな生活空間だった。その書庫から本を引っ張りだしては先生に疑問を投げかけるとすると、すぐに答えが帰ってくる。記憶力の抜群な方だった。
 確か68歳の誕生日を迎えてすぐのお彼岸の日に突然この世を去った。一ヶ月前には名古屋でいつものように勉強会をしていた。改札まで見送って、来月もまたお願いしますというと、「生きてたらね!」という言葉が先生との最後の会話となった。
 葬儀に参列し、全国から集った先生の仲間と先生の田んぼの稲刈りをした。その淡い記憶が今でも心の血液となって全身を流れている。「生きている」という命の大切さを教えてくれた方だった。
 先生が毎月味わいのある直筆を元に印刷していた「生きている」。その詩の中から稲作について書かれたこの詩をご紹介したい。

稲穂の垂れの重みが 秋空をうつしている
そこには 太陽と水の姿がみえる
米というのは 太陽という父と
水という母から生まれた 子供だ

太陽の力強さと 水のやさしさがある
暑さと冷たさ 暖かさと安らぎがある
太陽の偉大さが 下につき方円に従う
水の性をうつしている

母というものに 父が従うかたちが
稲穂にあらわれている

それが 稲づくりを田づくりとした
生活の思想をも うみだしている
幼児を養う乳に チチという言葉を与えた
思いが浮かんでくる

しかし もうこの国には
稲が伝えた生活も 思想も文化も
なくなって 稲だけが育っている

リニアは第2の原発問題となる2014.07.31

 わが国で世界に誇れるものといえば、昨年式年遷宮が行われた伊勢神宮をはじめとする数百年以上も人の手で守られてきたお社、富士山やアルプス山脈など日本各地の自然豊かな地形、街全体が古き日本の伝統を受け継ぐ京都といった経済発展の影で失われつつあるものを守り続けているものがすぐ頭に浮かぶ。一方で、経済発展の象徴として誇れるもの、その一つが新幹線だろう。過密なダイヤを運行し続けて今年50年、しかも無事故。まさしく世界一安全な鉄道である。しかしそんな唯一誇れる象徴が、今まさにこの日本を破壊しようとしてる。

 リニア中央新幹線とは、東京都から大阪市に至る新幹線の整備計画路線である。高速輸送を目的としているため、直線的なルートで、最高設計速度505km/hの高速走行が可能な超電導磁気浮上式リニアモーターカー「超電導リニア」により建設される。首都圏 - 中京圏間の2027年の先行開業を目指しており、東京 - 名古屋間を最速で40分で結ぶ予定。東京都 - 大阪市の全線開業は2045年の予定で、東京 - 大阪間を最速67分で結ぶと試算されている。(ウィキペディア参考)

 事業主体はJR東海、東京大阪間438kmの内トンネルが何と246km。そのため工事費はじつに9兆円を超えるといわれている。 狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?鉄道の楽しみといえば車窓からの風景ではないだろうか。新幹線で東京へ向かっていても、静岡を過ぎたらあちらこちらで今日は富士山が見れたとか雲がかかっていたとか耳にするのが普通で、速いだけで惹かれる乗客は果たしてその中の何%いるだろうか。しかも、リニアが通る場所は、日本の美しい自然が残る山々や地形を引き裂いて進むのである。

 今後、このリニア建設がスタートすることになれば、地方のダム建設や公共工事が軒並み減少するだろう。もはや日本じゅうの公共工事はこのリニアだけで十分すぎる。この計画が表しているのは採算などど返しで、やることに意義があるというダム建設と同じである。もっといえば原発と同じ構図だ。経済発展というバカの一つ覚えの言葉で踊らされる地方都市。異議ありというところがないのは、空からお金が降ってくるのを待っている人間ばかりだからに違いない。身を削って金に変え、それがなくなれば大切な土地さえも売り渡す。それを気づかされたのが3・11だったのではなかったのか。

 いよいよ引き返すことができないところまで行き着いた。その果てに待っているものを一人ひとりが覚悟することになる。そうならないよう、食い止めれることができるものには声を出して行くしかない。一人ひとりは微力な力でも、結集すれば大きな力になり、そして声になる。

笑顔がもどった日2014.07.01

 もう2年以上前になる。受話器の向こうからはいつもと違うTさんの弱々しい声が聞こえてきた。どうしたことか尋ねると、長年心臓を患っているという。それが最近酷くなり、外出できないからこちらに買いに行くこともできないという。もう先が短いから仕方ないと言って半ばあきらめ口調の声が寂しく耳に響いた。Tさんは西式健康法をしていたはず。西式体操の中でも毛管運動は、第2の心臓と言われる毛細管の働きを活発にさせるため、心臓の負担が軽減される。なのにどうして悪化したのか腑に落ちなかったので聞いてみると、最近は足をあげるのもつらいからできないということだった。 毛管運動とは、寝た状態で手足を真っ直ぐ床と垂直にあげてその手足を振動させる運動で、最低1分以上行うと効果が高い。血液が体を循環するのにそれくらいかかるためで2分くらいできると最高である。この間、末端の毛細血管は血液が来ないから断食状態になる。そこにあげていた手足を下ろすと急速に血液が送り込まれて手足の隅ずみまで、栄養と酸素が運ばれるため病気などの治癒につながる。この良い例が、指先に包丁などで深い切り傷をして出血した場合、その患部を止血しながら心臓より高い位置までその手を伸ばしてブルブル数分振っていると、自然に止血して患部の治りも早い。これほど効果のある運動はないだろう。ただし、足をあげ続けていることは健康な人が行っても息があがるから、体調の悪い人ができないのも無理はない。そこでお伝えしたのが、足をなるべく高い位置で壁にもたれかけさせて行う方法で、これだったら手を伸ばしているだけで、足に負担がかからない。気持ちさえあればだれでも出来るはずである。
 しばらく経ったある日、Tさんが買い物に来られた。あれからちゃんと続けているという。外に出られなかった人が出れるようになっただけでも大きな変化だが、ご本人は納得出来ない様子だった。しっかりやっているのに体が冴えないのが不満らしかった。西式の体操には4つの動きがある。その一つが先程ご紹介した毛管運動で、それ以外に金魚運動、合掌合蹠、背腹運動の3つがある。それをしっかりやっているのか確認したところ、背腹運動だけは難しくてやれてないということだった。これを説明しているとそれだけで紙面がなくなるために簡単に説明すると、上半身を左右にメトロノームのように振りながら、同時にお腹を前方に押し出す運動のことで、脊柱の歪みを取り、背骨の左右の動きによって背骨の左右に通っている交感神経の幹が刺激されて体液が酸性へ。腹の出し入れによって腹部の太陽神経叢という副交感神経が刺激され体液がアルカリ性へ、それを同時にすることによって中性状態となり、自律神経のバランスが整えられる運動である。それをやれば必ずもっと良くなりますからと言ったのがいつのことだっただろうか覚えがない。
 先月のこと、そのTさんが久しぶりに買い物に来られた。顔には笑顔が戻っていた。あれから背腹運動もしっかりやってますと元気な声を聞いた時にはこちらが感無量となった。体調が最悪だったときには遺言まで書いていたというからビックリしたが、それも今は笑い話しとなった。
 人間いつまでも健やかでいたいものである。それには日頃から小さな努力を惜しまないことを、改めて西式健康法を通して教えられた気がした。

あなたもメガネがいらなくなる2014.06.01

 2ヶ月ほど前、古くからお付き合いのあるのお客様から、特発性黄斑円孔(※網膜の中心の黄斑中心窩が裂けて小さな穴が生じて、視力低下と変視症を起こすという目の病気)になってしまって手術しようか悩んでいるという相談を受けた。この目の病気は普通は目にボールが当たるなどの衝撃でなるケースが多いらしいが、ある日突然何もしてないのに裂けてしまったという。過去に仕事上で目を酷使したことが原因だろうと言っていた。現在は黄斑変性症といって、食生活をはじめとした生活習慣病により黄斑が変性する患者が増えているということだ。
 目のことについては自分も近視で老眼なため自信がない。しかし自分だったらそうするだろうと思って、東京の西式健康法を実践しながら治療する渡辺医院をオススメした。この渡辺医院をすこしご紹介させていただくと・・ 「手術や薬に頼りすぎる現代西洋医学は、ときとして、さまざまな副作用を生んでいます。当院では、野菜を多く含む食生活(当院では、一日二食の少食を実践しています)、西式独自の運動、規則正しい生活の指導等により、薬を一切使わない治療を行い、健康な身体と精神に導きます。」(渡辺医院HPより) しばらく経ってその方が来店された。あれから早速渡辺医院に一週間入院してきたということだった。病気で入院されている方がほとんどかと思えば、健康管理で自宅から通っているご年配の方も意外に多かったそうだ。みそシップなどの手当ても毎日やってもらえて、しかも温冷浴、西式の運動は機械でいくらでもできる。至れり尽くせりの環境で、体のリセットをできたと大変喜ばれていた。さらに院長先生から素晴らしい本をご紹介いただいたので実践すれば治ると思う。と明るく語っていた。
 そんな不思議なご縁で、その方から一冊の本「あなたもメガネがいらなくなる」を教えていただいた。1963年初版のその本はすでに絶版になっていたが、その中古本を手に入れることができた。巻頭に書かれていた何気ない言葉が妙に腹に落ちた。その言葉とは「メガネはできる限りはずすようにしなさい。最良の効果はメガネを完全にはずしてしまった時に得られるのです。メガネはものを見る助けとなりますが、けっして増進させるものではないとうことを銘記してください。じっさい、メガネは視力の増進をさまたげ、あなたの障害度をいっそう悪くさせてしまいます。」 昔から当たり前のように言われていた言葉だ。それなのになぜ今まで気が付かなかったのだろう。今まで目の体操をするときもメガネをかけたまましていた。メガネを外すことなど考えもしなかった。これこそが習慣の恐ろしさというものだろう。人間は、型にはめられるとそこから出づらくなるもので、今の社会そのものが、その型を作っては人間を当てはめていく。やがて勉強にせよ、仕事にせよ、作られた型が正しいものなのかもやがて考えないようになる。 
 かれこれ2週間、なるべくメガネを外す時間をとるようにした。本に書かれている目の体操も毎日している。これが苦にならないのは西式健康法の西勝造氏の書籍の中に同じようなことが書かれていたためで、以前も必死で頑張った時期があったが、効果がなかったのはメガネをかけたままやっていたからだろう。メガネを外した当初はぼやけた世界が広がって落ち着かなかった。それが日に日にかけないことに慣れてきて、うっすらしたものがだんだん輪郭らしきものへと変化していった。自分で焦点を合わせるという目の働きが回復しつつある。今までメガネが焦点をあわせていたことで、すっかり目の機能というものが失われていたのかもしれない。そして何よりメガネをかけないことで、孫悟空の緊箍児(きんこじ)がはずれたように頭が軽くなった。こういう感覚は目の良い人には分からないだろうと思う。今では昨年作ったメガネがキツくなってかけられなくなり、10数年前のメガネを引っ張りだして使うまでになった。本当にメガネがいらなくなるかもしれない。

 すべての視力障害の原因は、外部にあるいろいろの筋肉に加えられた緊張の結果であり、この緊張はやがては眼球の形を変えてしまう。これらいろいろの筋肉に加えられた緊張を取り除く方法を採用すれば、あらゆる視力を克服できる。(※この本に関する研究を行ったベイツ博士の根本原理)

参考書籍:あなたもメガネがいらなくなる ベイツ式民間療法 白楊社

永ちゃん健在!2014.05.02

 踊る大捜査線での青島俊作の名台詞が頭に浮かぶ。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」
 このごろメディアを騒がせている話題といえばSTAP細胞を巡る理化学研究所。そしてまたかと思うのがトップが責任を取らずにあやふやな説明に終始する場面だった。48年ぶりに釈放された袴田さんについて裁判官は、「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない。拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである」と釈放を命じた。決め手となった重要証拠が警察が捏造した以外に考えられないという。
この問題は誰が責任をとるのだろう。過ぎた過去の話しではない。再三再審請求をしてきたのだ。この事件に携わった警察、検察、そして裁判官も含めて粛清するのが物事の道理ではないか。それができなければ法治国家とは程遠い独裁国家と言わざるをえないだろう。隣国のことなど言えた義理ではない。
  一昔前まで会社組織であれ何であれ、トップに昇るには人格者なのが当たり前だった気がするが、ここ最近特に質の悪い人間がトップに座るようになった。今の総理大臣ですらしかりで、オバマ大統領の来日早々寿司屋に連れて行って友好の証とでも思わせたかったのだろうか。全く真剣味が伝わってこない。国家の重責を軽んじている面々が、ますますこの国を暗い闇へと引きずり込もうとしている気がする。
 数ヶ月前にネット上で矢沢永吉氏の記事を見て、何かの折にご案内したいと考えていたが、是非この機会にご紹介したい。永ちゃんこと矢沢永吉氏は、我々の少し前の世代ではヒーローだった。そのカリスマ性は、薄っすらとしか感じることがなかったが、数十年経った今でもその輝きを失わないでいる。その輝きの秘密がこの記事に垣間見ることが出来る。

 矢沢永吉「原発関係者全員 誰もケツ拭かない国に明日があると思いますか」
 「僕は中小企業の経営者が、いちばんまじめに生きてるんじゃないかと思う。大企業や国家が今いちばんヤバいのは、自分でケツを拭いていないってところ。誰かがどうにかしてくれるだろうとか、みんなで渡ったら怖くないとかってことの成れの果てなんじゃないですか?
 生き方も含めて全部そう。何かがあったら、中小企業のウチなら、僕がケツ拭かなきゃいけない。ここのところをもう一回、ひとりひとりのレベルまで持っていけたら日本に助かる道はあると思います。でもこれ、なかなか難しいですよね。」
「今回の原発関係者全員、誰もケツ拭かない。みんなで渡ってるからケツ拭かない。犯人がいないから。これ、官僚がそういう仕組みを作ったのかもしれないけど、ケツを拭かない国家に明日があると思いますか?中小企業は本気です。なぜか?法律違反したら本気で潰されます。行政処分で潰される。金がなかったら、金をかき集めてこなければいけない。それができないなら首を吊らなければいけない。中小企業は最後に自分でケツを拭かなければやっていけないんです。それなのに国家、大企業、官僚、銀行はどうなってるんですか?」
矢沢永吉(ローリングストーン日本版8月号P35より)

ソチへの旅(2) 2014.03.30

 5泊8日の旅を終えて成田空港から京成ライナーで上野へ向かう車内、窓越しにぼんやり景色を眺めていると不意に体がジーンと熱くなってきた。旅の疲れかとも思ったがそうでもない。何の変哲もない町並みや田畑、古びたお寺が目に入っては通り過ぎていく。遠くの山々が青々として、小さな川でも生命が湧き出るような強さを持っている。今回の旅で感じたことを、帰ってきてから気付いたようだ。何と日本は自然が豊かで瑞々しい国なんだろうということを。ロシアという広大な国の中で贅沢なリゾート地として賑わうソチに行ってきたはずなのに、日ごろ目にする景色に心が落ち着くのである。

 ソチで宿泊したのは黒海に面して建てられたホテル。一面海が広がっている。さぞかし気持ちのよい景色のはずが、いくら見ても心が踊らない。カフカース山脈を見渡すスポットはたしかに絶景だったが、周りの樹木にその息吹を感じない。鉄道や道路建設のために湾曲した川が上流に続いていた。それにそって走るバスの中からいくら眺めていても、ただ水が流れているような味気ないものだった。 情景というのは、命の繋がりがあってこそ人の心を高揚させるものらしい。冬でも7時頃には太陽が上り、四季折々に寒暖差と適当な雨量に恵まれたわが国は生命の宝庫なのである。だからこそ山の景色も無数の樹木が入り交じって人の目を和ませる。多くの生命が生まれた山からの養分で、川にも生命が宿る。
 今回の旅は、こんな当たり前のことを気付かせてくれた。 世界の実に8割以上で水すら飲めない。太陽だってソチで日が昇るのは8時半を過ぎていた。この時期モスクワではマイナス30℃になるという。今年はマイナス2℃で暖冬らしいが、そんな土地では農作物すらできない。このように世界のあらゆるところで生きるために厳しい環境と戦っている。そんな一方でわが国はどうだろう。豊かな土壌で生産された食物だけでは飽きたらず、食品の半分を海外に頼り、その半分近くをゴミとして捨てている。その処理費用だけでも2兆円にのぼるという。豊かさゆえにその有り難みを忘れ、豊富な資源のある国をゴミの島へと変えようとしている。これ以上の大罪はない。
 「我足るを知る」という言葉があるように、この国にいるだけでもう十分すぎるほど恵まれている。それなのにこれ以上何を求めるのだろうその欲こそがこの国で生まれた我々に課せられた十字架なのではないだろうか。すでに満たされていることすらわからず、餓鬼草紙のようにこの世をさ迷い続ける民族になってしまうのだろうか。
 
 今年も桜が開花の時期を迎えた。美しい自然の情景は、人々に見返りを求めない。そんな生き方をしていたのがこの国の本当の民だったに違いない。
 「私は地球上にこのように謙虚にして品位ある国民が存在することに深い感銘を受けた。私は世界各地を旅行してきたが、いまだかつて、このような気持ちのよい国民に出会ったことがない。日本の自然や芸術は美しく、深い親しみを覚える」(アルバート・アインシュタイン)

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