ヘルシングあい便り

前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

アルケミスト(錬金術師)2015.10.01

   最近カフェに来店される外国人の方が増えている。先月初旬のこと、カウンターでまかないを食べていたら、隣で英語で会話している声が聞こえてきた。振り向いてみると、顔の彫りが深い東洋人男性、女性二人は東南アジアを感じさせる雰囲気をしていた。食事を終えたその方々が精算をするためにレジに来ると、一人の女性が流暢な日本語で話し始めた。彼女はビーガン(厳格な菜食主義)のため、食事できるところ探して当店に来てくれたそうだ。とても美味しくて気に入ったと言ってくれた。そして付け加えて言うには、自分はあいち国際女性映画祭にフィリピンのミンダナオ島を舞台にした映画に出演した女優で名前はMaraだと教えてくれた。彫りの深いその男性は彼女のお父さんで徳之島出身の日本人。彼女も6歳まで日本に住んでいたという。その後は海外を転々とし、今はフィリピンに一人で住んでいるそうだ。久しぶりの父親との再会で、はしゃぐという言葉が似合うほど仲が良く終始ご機嫌だった。そしてもう一人の女性はその映画を作った監督だった。是非映画を見に来てくれと強く念を押された。
 翌日、「カナ 夢を織る女」と題したその映画を見るためウィルあいちを訪れた。台本を読んで、主役にどうしてもなりたいと思ったそうだ。大規模な開発が進むミンダナオ島の美しいセブ湖の周辺に住む先住民族であるティボリ族、そこを舞台にした若い二人の悲哀の物語だった。彼女を含めた6名の俳優以外はすべて現地の村人、しかもセリフもティボリ語。3ヶ月という短期間で選ばれた俳優は語学も習得して役に望んだことになるが、そんな素振りすら感じさせない素晴らしい映画だった。 Maraが今回、来日してまず向かったのがブックストアらしい。そこで父親にすすめた本が「アルケミスト」ー夢を旅した少年ーだったという。どうやら大ベストセラーの本らしく、そんな話しを聞いて読まない訳にはいかないので購入した。内容は、羊飼いの少年サンチャゴが、アンダルシアの平原から長い時間を共に過ごした羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えてエジプトのピラミッドへ、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて旅をするものだ。一見、何てことはない内容が、読み進めていくうちにその物語に吸い込まれていった。
 久しぶりに気持ちのいい本に出会った。「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」「前兆に従うこと」など、貴重なメッセージが数多く散りばめられていて、いつか忘れさられていたものを取り戻した気がした。
 あの日に彼女たちが食事に来なければ、こんな素晴らしい本に出会わずに今も暮らしている。別段知らなくても生きていける。しかし豊かな人生を作るということは、瞬間の出会いの糸を紡いでいくことの繰り返しなのかもしれない。繰り返し織りなしていくことで、一層深まった自分に出会う。それが地中にある宝物、本当の自分を見つけることになるのではないだろうか。

「アルケミスト」ー夢を旅した少年ー 角川文庫 パウロ・コエーリョ

フェアトレードタウン認定都市 名古屋2015.09.01

  暗いニュースが多い中、今月の19日に名古屋市が正式なフェアトレードタウンとして認定されることになりました。日本では熊本に続いて2番目になるそうです。タウンという言葉が付くように、名古屋市がフェアトレードの活動を深く理解し、より広くその精神を普及するという役割を担うといわけですから大変明るいニュースです。
 ではフェアトレードとは一体どういうことかを簡単に明記します。
コーヒーや紅茶、バナナやチョコレートなど日常を彩るたくさんの食べ物が世界の国々から私たちの手に届けられています。それらを生産している国、人々のことを考えてみたことはあるでしょうか?
  日本では途上国で生産された日用品や食料品が、驚くほど安い価格で販売されていることがあります。一方生産国ではその安さを生み出すため、正当な対価が生産者に支払われなかったり、生産性を上げるために必要以上の農薬が使用され環境が破壊されたりする事態が起こっています。生産者が美味しくて品質の良いものを作り続けていくためには、生産者の労働環境や生活水準が保証れ、また自然環境にもやさしい配慮がなされる持続可能な取引のサイクルを作っていくことが重要です。
   フェアトレードとは直訳すると「公平な貿易」。つまり、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」をいいます。(フェアトレードジャパンより引用) 私達が日常、何気なく買っている食料品や衣類など、その多くが輸入に依存しています。豊富な品物に
取り囲まれている状況が当たり前になると、私達の神経が麻痺してくるのでしょうか。何の後ろめたさもなく物を廃棄したり、物が安い理由などを考えるより、安いもの安いものへと手をのばす傾向になます。私達はもう十分すぎるほど有り余った生活をしているはずです。私達一人一人が足元を見つめ直さなければ、この広大な地球の資源さえ、ここ数年で食べ尽くしてしまうでしょう。私達の身の回りのものをもう一度見つめ直しませんか。小さな疑問が、私達の生活環境を大きく変える原動力になると思います。
 今回のフェアトレードタウン認定にあたり、ご尽力されたフェアトレード名古屋ネットワーク代表の
原田さとみさんの言葉を最後に一部ですがご紹介させていただきます。
 「国内でも職人仕事が消え、小さな企業、商店が減り、自然の浄化作用を超えた廃棄物で山、森、川、海、自然の環境を壊しています。私達は自然に対しても、地球に対しても、地域に対してもフェアでありたいといの思いから、フェアトレードの理念を広くとらえ、地域に根ざした地産地消、地域活性化、地域貢献というフェア(公正)を目指します。地球から自然の恵み、水、空気、土、光などに対してもフェアに付き合い、美しい地球を未来に残せるように、私達は「地球とのフェアトレード」を理念にフェアトレードを推進しています。フェアトレードタウンとなったこれからがまた始まりです。
皆様とともに取り組むことで、名古屋でのフェアトレード活動を広げ、深めていきたいと思っています」

2015.08.01

24周年を終えて・・・・・・・・・・・・・
 おかげを持ちまして、無事24周年を終えることが出来ました。この場をお借りして御礼申し上げます。今回の24周年イベントは、今まで行っていたプチマルシェを、当店としてはじめての試みとなる屋外の駐車スペースを利用して行いました。遠くは犬山や豊橋と、計8店舗ものご出店者さまにお越しいただき、しかも台風の影響もなく、天気にも恵まれまして大変盛況な一日となりました。また料理教室会場でのヨガイベントもたくさんの方にお越しいただけました。
 この度このイベントに携わっていただいた関係者の皆様と、お越しいただいた皆様に重ねて御礼申し上げます。来年は、今回の経験をベースにさらに楽しんでいただける催しができたらと考えています。今後共、よろしくお願い申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 料理教室の会場にある神棚の榊の水とお米、お塩を毎日取り替えるのは、身に付いた日課となっている。新年に新しい榊にかえてから、ついこの間の6月ごろまで半年もの間元気な姿でいたが、このところの暑さで日持ちが悪くなった。(※榊は本来なら月に2度、1日と15日に取り替える習わしになっている)
 それは致し方ないことなのだが、最近、改めて驚くことを目にした。普段、榊の水も料理教室にある浄水器の水を使用している。当然塩素もろ過するために、毎日水を交換してもその水に雑菌が繁殖するため少し異臭がする。これを疑問に感じたスタッフが、ある時水道水にかえた。水が腐るから榊が悪くなるのだろうと思ったからだ。ところが何と榊は一日で、無残にも枯れてしまっていた。そして榊の水の異臭は、普段より増していた。
 普段、何気なく飲んでいる水道水。安全だとおもいきや、これには次亜塩素酸ソーダという酸化剤であり、消毒薬が含まれている。塩素と呼ばれるものだ。これがものの腐りやすい夏場には、当然たくさん使われる。浄水場からそれぞれの家庭に運ばれる間に、滅菌していない水なら雑菌や病原菌が繁殖しても不思議ではない。そのための仕方ない処置と言わざるをえない。しかしこの次亜塩素酸ソーダが、発がん性物質であるトリハロメタンや有機塩素化合物を生み出してしまうのも事実だ。食品添加物と同様に、危険なものという認識が必要のはずである。しかし、水はその利用範囲が広い。お米をとぐことや、野菜を洗うなど、洗うのにもたくさんの水が使われる。それを市販のミネラルウォーターを使っていてはお金がいくらあっても足りない。しかしその洗うところで、すでにお米や野菜が、次亜塩素酸ソーダによって栄養素が破壊されることもっておいてもらいたい。
 幸い、私は30年近く浄水器を通した水しか飲んでいない。学生時代には簡易的な浄水器しかなかったにせよそれを購入してから、欠かさず浄水器を変えてきた。おかげで水道水を直接出された場合、そのニオイですぐ分かる。慣れというものは人の感覚を麻痺させる。とても恐ろしい。
健康のために、一番大切なものとは何と言っても水である。榊の変化を見て、簡易的な浄水器でも良いから設置することをおすすめしたいと強く感じた。 


ダムネーション上映会を終えて2015.07.01

   先月のダムネーションの自主上映会、そしてマルシェに予想以上に多くの方々に来ていただきましたことを、心より感謝申し上げます。来てよかったと何名の方にもお声をかけていただき、このイベントをした意義があったと嬉しく思いました。
 この上映会をしようと思ったきっかけをたどると、今から3年ほど前に遡ります。民主党政権で凍結された設楽ダムについて、もう一度県民が共に考えようという目的で公開講座が企画され、その運営チームでありタレントの原田さとみさんからその貴重な情報を教えていただいたことです。当時、愛知県が主催する一般公開講座とは言いながら、県側のホームページに案内する程度、宣伝するわけでもないので一般には知る術もありません。数千億かかるダム工事が必要か否か、県民にその負担を強いるわけですから、広く声を聞きたいと言って新聞広告に掲載くらいできるはずです。知らせたくないんですね。皆さんが情報を共有すれば、ダムの必要性がなくなってしまう恐れもある。このような一方的な情報公開の名のもと、聞きに来なければ幸い県民にご理解いただいたということで、今度は公共の名のもと人のことはお構いなしで工事に着手する。世の中良くなるわけがありません。
   設楽ダムの公開講座は24年から始まって、26年まで計10回行われました。そのうち最初と最後を除いた8回の講座に足を運びました。ダム反対側と推進側の国土交通省、それぞれ専門の先生の話しを聞くことで、毎回、様々な角度で設楽ダムの建設に対する問題点が浮き彫りになりました。それに対する国土交通省の答えは、決まってすでに決まったもの。一切が問題ないの一点張りでした。もはや県民のための行政ではありません。国の事業の報告会のようなものです。こんな傲慢な態度の方々がダム建設を行うのです。だから住み慣れた住民を立ち退かせてでも断行するのです。人や環境に配慮した工事などできるわけがありません。最近の土砂崩れや山腹の崩壊などの問題は、このような不用意な工事によるものが少なからずあるのではないかと思います。
  「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そしてビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」先月ご紹介したこのダムネーションを制作したパタゴニアの創業者イヴォン・シュイナード氏の言葉です。この映画を見て、ダム建設は私達の意識次第で止める事ができると確信しました。ライフラインである電気と水道という当たり前に供給されているものに、今まで無関心すぎたのです。その無関心が原発をこの小さい国に54基も作りました。そして3・11を引き起こしました。このまま黙っていたら、今度はかけがえのない水にまで問題が及ぶでしょう。電気も人々の意識が変われば節電して原発を動かさなくても生活できることが分かりました。では水はどうでしょうか。今現在、一人あたり一日平均240Lの水を使うそうです。風呂桶8分くらいです。飲水や生活する上で必要なのは2から3Lです。では一体何に使われているのでしょうか。何とその9割以上が、トイレやお風呂など、何かを洗う目的で使われているのです。一人一人の心がけで無理なく節水すれば、もはやダムの必要性はなくなるのではないでしょうか。すべてが私達一人一人の意識にかかっています。
 上映会にパネリストでご参加いただいたパタゴニアの支店長が、最後に南アメリカ先住民に伝わるお話しを披露してくださいました。
 山火事が起きて、森の生き物たちがわれ先にと逃げるなかを、一羽のハチドリがくちばしで水の滴を運んでは燃えさかる火の上に落としていました。動物たちがそんな事して何になるんだと笑っています。ハチドリはこう答えました。「私は、私にできることをしてるだけ」

ハチドリのひとしずく 光文社 辻信一監修 1,234円 ヘルシングあい店頭でも販売しています

ダムネーション上映会を前に2015.06.01

 「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そしてビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」 このダムネーションを制作したパタゴニアの創業者イヴォン・シュイナードの言葉である。1970年代には米国最大のクライミング・ギアのサプライヤーでありながら岩を傷つけるギアを作ることで自然に害を与える張本人となってしまった。その後彼はその事業から撤退し、ハンマーを使わず手で岩に押し込んだり抜いたりできるアルミのチョックを開発したという。
 ダムネーション、この映画の概要をご紹介させていただこう。アメリカ全土には、なんと7万5千基のダムがあるらしい。しかしそれらの多くは、川を変貌させ、魚を絶滅させ、それにもかかわらず期待される発電・灌漑・洪水防止のいずれにおいても低い価値しか提供していない。むしろダムの維持には高い経済的コストもかかっている。そんな負の面ばかりのダムを「撤去」する選択が、アメリカでは現実になってきた。この映画は、そんな無用なダムを次々と爆破して撤去していくことにより、川が解放され、みずから元の姿に回復していく過程をフィルムに収めている。
 なぜ今この映画か。今回この上映会を主催する気持ちになったのは、愛知県にも巨大なダムの建設が行われようとしているからだ。今から40年前に計画が持ち上がり、その計画も一旦は民主党政権時に凍結されたものの、自民党政権に戻ってからまた公共事業の大幅な拡大路線の一つとしてダム建設も息を吹き返した。本来ダムというのはその性質上、洪水調整や治水目的で運用されたり発電などに用いられる。ところが最近のダムは、その方向性があやふやになってきた。この設楽ダムにしても元々は発電ダムとして調査が開始されたのだが、今になっては「流水の正常な維持の目的」?どういうこと?? つまり川に流すための水を蓄えるということに主目的が変わっていた。こんなことのために2000億もの税金が使われようとしている。こんな目的ために、故郷を失う人たちがいる。寒狭川峡谷に沿って走る国定公園区域が水没しようとしている。さらに、今や陸揚げ日本一である三河湾のアサリにまで被害が及ぶ可能性さえある。三河湾六条潟は干潟や浅場が多く、あさりが生育する条件にとても恵まれている。ところがダムによって、下流への土砂供給が乏しくなるおそれがある。一体、誰にとって有益な事業といえるのだろうか。日本一の特産品とまでになった漁業にも不利益をもたらしかねない公共事業を、なぜ県民を守る立場の行政が、国と一体となって推し進めるのか。このような理不尽なことに声を上げなければ、ゆくゆく私達の住む場所さえ、追われることになるのではないか。
 世界有数な企業が集まるここ愛知県。しかしその中に、県民と地域の環境のことを考えてる企業はあるだろうか。外資系企業であるパタゴニアが自ら映画を制作し、それを社員が一丸になって普及している。一人一人の行動がそのまま自らの仕事になっている。人間本来の豊かさというのは、きっとそのような生き方ができることではないだろうか。 ちなみに私達は1日に平均して240㍑の水を使用している。その主な使い道で群を抜いて多いのがトイレや炊事、洗濯という洗う目的で、なんと90%以上の水を浪費している。この洗い水を一人一人が一日1㍑でいいから節約すれば、全国から不要なダムはなくなるのではないか。そのことを私達は3・11で学んだはずである。

 ぜひ、当日足をお運び下さい。前売券は当店でも販売しています。

京都へ小旅行2015.05.01

 カフェメニューの開発という目的で、先月店を休みにしてスタッフと京都へ行ってきた。ただ、私には休みの関係でなかなか行く機会がなかった神社巡りという別の目的もあった。 式年遷宮を前にしてお伊勢さんを訪れた翌年から米作りを始めることになった。塩をめぐって伊豆大島や島根まで行ったことで、日本人と米作りの関わりを深く感じるようになった。共通する何かがある。 そんなことでスタッフの了解のもと、東名阪で奈良で神社へ参拝し、それから京都へと向かうことになった。後で分かったことだが、古いカーナビのせいでインターを一足手前で降りていた。しかしそれが幸いして奈良の自然な風景と、町並みをしっかり見ることができた。一番感じたのは自然とともにある日本の原風景。それが至る所に点在していた。心躍る思いだった。
  最初の目的地、大神神社にほぼ予定時間に到着した。9時頃だったと思うが、観光客ですでに混み合っていた。幸い一番近い駐車場が空いていたため、そこに車を止めて参拝へと向かった。ここ大神神社は、三輪山そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、江戸時代に地元三輪薬師堂の松田氏を棟梁として造営された拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している(ウィキペディアより)。東名阪でここに向かう途中にある椿大神社も鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社としている。自然への畏敬を忘れてはならないというメッセージであるともに、数百年以上に渡り守られてきた証である。 
 続いて参拝したのは石上神宮。こちらも龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、神さびた自然の姿を今に残し日本最古の神社の一つである。ひっそりと森の中に佇む厳かな雰囲気は、参拝する人々にその歴史の匂いを肌で感じさせていた。豊かな湧き水は山々を潤し、そして多くのミネラル分を溶け込ませながら川に注ぎ込む。下っていく水流は田畑や森林を潤し、そこで無限の生命を生み出し、また一方で地下水となって山頂までまるで血液のように還って行く。この自然の循環をこれらお社が証として守って来たのである。
 ここからほど近い東名阪の天理インターから京都へと北上した。その間に至るところに建設途中の道路があるのを見るに、どれだけ作れば気が済むのだろうかとウンザリする思いがした。京都の中心部はすでに渋滞してなかなか進まない。ようやく動き出したところ、大きな門構えの二条城が目に入った。人が溢れんばかりに取り巻いていた。その時、今まで感じてきた京都のイメージとはあまりにも異質なものが体から沸き上がってくるのを感じた。 美しい古都京都、古きを温めてその伝統を今日まで伝えている。今や日本の貴重な唯一と言ってもいい観光スポットである。それを理由に昨年、米国の旅行雑誌「トラベル+レジャー」で世界の観光都市ランキングで1位に選ばれている。日本の文化に触れることができる格好の場所に違いない。しかしそれでも奈良で見たそれと違って、威厳のある寺や仏像も言い方は悪いが人工物である。時の権力者が作った象徴といっても差し支えないだろう。奈良で無限のものに触れてしまった今、有限のものを限りなく無限に近づけようとする人間臭さをこの時感じていた。
 この日本という国は自然の宝庫である。その自然の恩恵を敬い、万物に神様が宿るという八百万の神々の精神こそ、本来の日本人が持つ文化だったに違いない。今回の小旅行は、日本というこの国を知る意味で大変有意義なものとなった。

パパ、遺伝子組み換え食品ってなぁに?2015.04.01

 遺伝子組み換えと聞くと、つい連想してしまうものがある。20年ほど前に見た「ザ・フライ」という
映画。調べてみたら、何と1958年というから50年以上前に公開された映画のリメイク版だった。
 科学者である主人公が、自分を実験台にして「隣り合う2つのポッドの片方に収めた物体を細胞レベルで分解し、もう片方へ送った後、元の状態に再構築する」という物質転送機の開発に成功する。しかし不運にもその装置の中にハエが一匹紛れ込んでいたため、遺伝子レベルでその科学者とハエが融合してしまう。日ごとに人間ではなくなっていき、ついにはハエに変貌し、最後には思考までがハエと化していくという何ともグロテスクな内容だったが・・・何だか現実味を帯びてきてはしないか。
 今月の25日から名演小劇場で上映される映画、「パパ、遺伝子組み換えってなぁに?」の試写会に行ってきた。家族のお父さんである映画監督自ら、子供目線になって、食べ物について考える素晴らしい映画だった。ぞっとしたのは、ここ数年で遺伝子組み換え作物の割合が急激に増えているということ。アメリカだけで作付面積は日本の面積の1.7倍に及ぶという。作物ごとの割合は、トウモロコシが85%、大豆91%、綿花88%、菜種90%、甜菜90%。中でも遺伝子組み換え食品の輸入大国であるわが国は、トウモロコシの世界最大の輸入国で、その約9割をアメリカに依存し、その量は年間1600万トンになるという。コーンスターチから家畜の飼料、アルコールや醗酵原料にお菓子と、ちょっと目をやれば家庭でどれだけこの遺伝子組み換え作物が使われているかが想像できる。
 自由という言葉は耳当たりは良いが、生きていく上でこれほど難しいものはない。しかし食べることにおいての自由は許されている。何を食べようが個人の自由であるし、これだけは人間社会における数少ないの平等の一つだ。しかしこのままで行くとその食べる自由さえ奪われかねないから深刻な事態である。 この映画監督曰く「今のやり方が進めば、世界のあらゆるものが遺伝子を組み換えられ、特許を取得され、"食"を独占される。すべてをコントロールされ、買う人が食べ物を選択する機会を失われるわけだ。そんな世界を子どもたちに残したいと思うかい?」
 いつの世も、支配しようとする側は、情報を隠蔽するのが常套手段である。遺伝子組み換え作物の安全性やリスクの問題は、原発やリニア、さらにはダムの問題と一緒で情報がなかなか一般市民には手に入らない。だからと言って手をこまねいて見ているだけで事態は良くなるだろうか。一人一人が情報を掴み、そして互いに発信し合わないと、何一つ私達にとって好都合なことはおきないことだけは確かである。
  「もしみんなが遺伝子組み換え作物を買うのをやめたら、お店も置かなくなる。そうすれば会社もなくなるね。」大好きなキャンディーを前にして一瞬たじろぎながら、7歳の息子フィン君の発したこの言葉が胸に響いた。考えてみれば簡単なこと。責任のない子供たちや後世に安全な食べ物を伝えていくことは大人である私達の大切な役割だ。
 是非お子さんもご一緒に、そして一人でも多くの方に見ていただきたい。

「パパ、遺伝子組み換え食品ってなぁに?」
 上映場所 名演小劇場 2015年4月25日(土)~ 
愛知県名古屋市東区東桜2-23-7 TEL:052-931-1701 

日本と原発2015.03.01

 先月の下旬に映画「日本と原発」を観る機会を得た。早いもので3・11から今月で既に4年になる。このドキュメンタリー(実際にあった事件などの記録を中心として、虚構を加えずに構成された映画)を観ることで、改めて今の日本の立ち位置を再認識することが出来た気がする。なし崩しに原発を再稼働する現状を前に、もう一度全国民に見ていただきたい映画と感じた。 大多数の人が原発の再稼働など望んでいないはずであるし、そう願いたい。しかしその願いとは裏腹な方向に着々と進んでいる現実がある。だれも戦争など望んでいないはずなのに、平和憲法を曲げてまで武器を輸出しようという輩が政権を握っている。原発も、ダムの問題も、今度のリニアにしても根っこは同じで国策である。電力にしても鉄道にしても根は国営から民間に移行しただけのことだ。形が変わっただけでやってることは同じである。
 万が一の事故検証もせずに国民の電気料金や税金を使って、同じ国民の土地を収奪し、挙句の果てには問題が起きたらお手上げで人任せ、問題も解決してなければ、避難している人が数多くいる中で、収束さえ不可能な状況である。こんな事故を引き起こしながら経営責任さえ問われない。その上責任をたらい回しにした挙句、再稼働などとよく言えたものである。
 原発でその土地を奪われる人がいる。ダムでもその村は川底に沈み、そこに住んでいた人はその土地を離れなければならなくなる。そんな場所が今でも全国で数多く計画されている。ではリニアはどうだろうか。東京から一直線で名古屋へ地下トンネルを通すと言う。簡単に一直線というが、そこには住んでいる人もいれば多様な生物が生息している。世界有数の自然遺産がある。それらを度外視して建設しようというのがリニアである。リニア (linear) とはlineの形容詞で直線を表すように、直線で進まないと時間がかかってかえって非効率になるシロモノだ。数十分短縮という時間のために、その沿線上の住人の生活や自然環境を破壊する権利がだれにあるというのだろうか。そして誰にとって有益な事業なのだろうか。
 本来、そこに住む人に良くて、更にはそれが日本国民にとっても良いから税金が使われるのが筋である。多額の税金が無駄な堤防や箱物にすり替えられた。しかも安倍政権がこの1年3ヶ月で海外にばら撒いた円借款は52兆円にのぼるという。これが今回の震災や原発事故を経験した国がやることだろうか。
 3・11を機にはっきりしたのは、国家は国民を守ってくれないということである。

 「...沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。」菅原文太さんが沖縄で語った言葉は、今、すべての日本国民にも当てはまるはずである。人ごとではない。


「日本と原発」イベント予定 http://www.nihontogenpatsu.com/event
名古屋では、3月14日(土)10時から 生協生活文化会館4階ホールにて行われます。
「日本と原発」上映実行委員会 (西) TEL:052-808-3241

旧暦のすすめ2015.01.31

 今年のはじめ、カンボジアでオーガニックの黒胡椒を作っている日本人の倉田さんとお話しできる機会があった。こんなことを言っては失礼だが、もともと黒胡椒にはあまり興味がなかった。しかし使ってみたらビックリ、この香りの素晴らしさの虜となり、早速当店でも扱わせてもらっている。実はカンボジアの胡椒は60年代にはフランスをはじめとするヨーロッパで最高品質として有名だったそうだ。歴史も古く、すでに13世紀の後半にはすでに中国にも紹介されていたという。しかし70年代からの内戦により農園は壊滅され、人々の記憶からも消されてしまった。その過去の特産である胡椒をカンボジアの産物の中では初めて「国内オーガニック認定」を取得したのがこの倉田さんである。
 前置きが長くなってしまった。そんなことで話題は当然カンボジアのことになり、お正月の様子を伺ったところ、暦上の新年とは別に4月中旬に本当のお正月があるということだった。しかも西暦は使わないらしい。仏滅(ブッダの没年)紀元前543年を基準とする暦法仏暦を使用しているため、今年は2558年になるそうだ。西欧列強に翻弄され、さらにはアメリカとのベトナム戦争と、その傷跡は如何許か計り知れない。しかしその中でもなお自国の暦が息づいている。そしてその仏暦通りに行うと農作物の育ちがいいと倉田さんはおっしゃっていた。
 昨年、私にしては珍しく西に東にとよく出かけた年だった。特に後半は西に行くことが多かったため、深まっていく紅葉を何度も目にすることができた。そのためか秋が妙に長く感じた。そんなことをお客さまに呟いたところ、太陰太陽暦では閏月が9月にあったために秋が長く感じるのは当然ですよと教えて下さった。旧暦では当然のことのようだ。これはどういうことかというと、太陰暦は月の満ち欠け(約29,5日)を基準にしているため、12カ月が354日で次の年を迎えるという計算になる。太陽暦は365日なので3年で一月ずれてしまう。そのため月を基準にしつつ太陽暦とも整合性をとる暦(太陰太陽暦)では一月を加算して調整する。その閏月が9月に2回繰り返された。西暦では11月でも旧暦ではまだ9月だったことになる。そのことがタイミングよく先月下旬に、東京からお越しいただいた先生から旧暦の話しを詳しく聞くことで、ようやく腑に落ちた。 いつ田植えをすればいいか。旧暦は農暦でもあるという。例えばタラの芽を見かけたら旧暦のカレンダーにつけておく。そうすると、毎年同じ頃に芽吹くのに気づくそうだ。潮の干満が月の形に連動する漁業でも旧暦の暦通りにサンマは降ってくるそうである。
 近代の波が押し寄せてきた明治以降、そんな素晴らしい暦を捨てて西暦を導入した。以来、自然と共にある日本の伝統行事や、農・漁・林業はどうなっただろうか。町並みはどうなっただろうか。どう見ても不釣り合いな立派な駅や施設が全国各地に乱立し、大型店舗も闇雲にでき、コンビニは犬も歩けば何とやらほどヒシメキ合って、これでどうだと言わんばかりに煌々と電気を付けて物を溢れさせている。今だに不必要なダムを作っては上流の自然や集落、川を奪い、干潟は埋め立て、海岸は護岸工事で要塞化して、大切な命を育む場所すら失いかけている。それでどうしてうなぎやしじみ、あさりが採れるだろうか。
 今の時期を旧暦の二十四節気七十二候で見てみた。
鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)七十二候の一つ。大寒の末候。鶏が卵を産み始めるころの意。春の気を感じたニワトリが、鳥屋に入って卵を産む時候をいうとのこと。冬の節気の最後で、これを過ぎると、暦の上では春になる。 
旧暦は、時に命の営みを教えてくれる先人が遺した貴重な宝物。本来の自分に還る暦かもしれない。

断食のすすめ2015.01.03

 年末に2回ほど寒天断食をした。寒天の原料であるテングサには、海藻のすぐれた水溶性繊維が豊富に含まれているため宿便排出をよりスムーズに促すそうだ。その棒寒天1.5本に3合の水に浸し、黒糖かはちみつで甘みを30g加え、火を通して冷めて固くなる前に食べる断食法を寒天断食といい、黒砂糖などの甘みは腸に潜んでいる悪玉菌をおびき寄せるのが利用目的の一つとされている。
 断食などしていると、その理由を尋ねたくなるのが人情で、病気か体調不良の方以外は普段あまりお目にかかることがない。ちなみに今回は飲み過ぎに依る体調不良でもなく、体からその要求があった。しかも嫌いな寒天を自ら選んでいた。
 断食の一回目は冬至の新月の日に、2回目はその翌週に行った。2回立て続けにしたため、2回目には様々なことを客観的に感じることができた。それは以前、座禅で体験した感覚に近いものだった。 かれこれ20年以上も前になるが、覚王山の日泰寺で毎年行われている涅槃会報恩摂心という5日間の修行に参加させていただいたことがあった。お坊さんに混じって座禅を組み、食事をいただき、掃除から就寝までほぼ生活を共にする体験だった。2月の一番冷え込む早朝の3時ごろ起床、座禅は食事と15分休憩以外は4時から延々夜の9時まで続いた。暖房は薪を焚いてるところが一か所だけで、寒いし足は痛いし腹は減る。しかもしゃべることも出来ないから頭を巡ることはどうでもいいことばかり。よくいう煩悩の固まりが頭を支配する。自分が自分を呆れるくらいくだらないことばかりがふって湧いては消えていく。それが不思議なもので2日、3日と経つと、それも出し尽くしたようにほんの一瞬平穏な空間が目の前に広がることがあった。その時が生まれて初めて自分と向き合った体験ではないだろうか。 この座禅の経験が、断食をすると今でも蘇ってくる。断食も、たった一日のことなのに、ふとコーヒーやクッキーなどが頭に浮かんできたり、今日の酒のつまみは・・などと思ったりしている。はじめは頭の生み出す欲に体が反応して大変だが、そのうち空腹感が心地よくなってくると体も頭もその欲から開放されたようになり、自分の体がより身近に感じる。食を断つことと座禅とは、共に身を削いで行をするという意味で響きは同じなのだろう。
 一般的には一日3食食べるのも当たり前なら、自分の行動や考えも自分が気づかなければそのまま通り過ぎて行く。そうすると人間は自己中心的な考え方になりがちになり、食べ物も偏り、その貪欲さがいつか大きな山に成長していく。それが品物の山にやまいだれの「癌」という文字に表されている。世界でその癌が減少傾向にある中で、日本人は癌の割合が3人に1人とますます増えている。一世帯に一人が癌で亡くなっているのだ。これは正にこの文字通り、多くのものを抱えこんで病気になっている日本人の姿だと言えはしないだろうか。
 年に一回のお正月、それに水を差す気持ちはさらさらない。輝かしい新年だからこそ、自らを立ち止まって振り返ってみるのに、若者は自分の挑戦のために、そして私より先輩の方々は健やかにおいるために断食をあえてオススメしてみたくなった。
 流水は腐らず 流れる水は腐ることなく、常に新しく、魚もまた住むことができる。これと同じように人間の精神と身体も、たえず不断に動かして鍛錬することによって若々しさを保つことができる。

皆様のご健康とご多幸を祈願します。
前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11