ヘルシングあい便り

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鼠径ヘルニア2016.11.01

 米作り4年目の今年は、おかげ様で台風などの風雨にさらされることなく、無事に収穫を終えることができた。9月中頃から続いた長雨の影響で、出来具合を心配したが、昨年より籾の膨らみも収穫も多かった。その理由は出穂の時期に日照時間が多かったためらしい。お天道さまに感謝、そして手伝ってもらったスタッフ、そして一緒に米作りをしてくれた皆さまに感謝である。ここ数年の米作りを通して、この作業は一人では無理。皆さんと一緒になって、時には手を借りて、おかげおかげで収穫があるということを学ばせてもらった。そしてそれが本来の日本人の姿であることも感じた。だから大家族での生活スタイルが最近まで残ってきたのだろう。米作りから離れたことで助け合いの精神が失われた。核家族となって孤立が深まり、横のつながりも希薄になったのが我が国の現状ではないだろうか。
 昨年の12月に突然倒れて意識を失った父親も、その後毎週月曜日の断食と青汁、そして毎朝のウォーキングと順調な回復をみせていた。しかし、夏ごろから禁酒が解禁となり、晩酌にビール一本が通例となった。ちょうどそれと時同じくして下腹部に時折痛みを訴えるようになったため、再度長寿医療センターへ診察に行ったのが2ヶ月ほど前。鼠径ヘルニアと診断され、簡単な手術で治ると言い渡された。後は本人の希望待ち。9月の末頃から痛みの症状が頻繁になったため、先月はじめに手術をした。手術の前日に入院し、その日は絶食、翌日が手術。その手術に立ち会った。50才前後の先生から手術の内容について話しがあり、あとは控室で待つこと2時間。手術は問題なく終わり、再び先生からの説明があった。驚いたのは、先天的に脱腸の傾向があったということだ。それが肥大していたため半分ほど切除し、網で腸が飛び出す部分を塞いだそうだ。その部分は10年ほどまえに受けた前立腺肥大の手術が原因か、筋肉の衰えかは不明だが、そこから腸が飛び出すようになったということらしい。話しを聞いていて思ったのが先天的という言葉。ということは自分にも可能性がある。ふとよぎったのが、過去に時折襲った不明な痛み。太ももの付け根あたりに鈍痛が走るものだった。早速ネットで調べてみると、どうも私にもその毛があるようだ。症状が一致している。かれこれ4~5年ほど前から続けている体幹呼吸法をするようになってからはメッキリなくなった。他人の振り見て我が振り直せとは、まさしく他人様に起こることは自分自身にも往々にしてあるもので心せよということだと妙に納得した。
 鼠径ヘルニアになる人は年々増加中で、手術に訪れる患者数は年間14~16万人にのぼるという。先天的なものと、加齢によるもの、仕事環境で起きるものなどに別れるらしい。男女比率で表すと、若年層では比率にあまり差はなく、50代以降では圧倒的に男性が多いという。しかし近年は女性も増える傾向にあるそうだ。 そうだ、忘れていたことがあった。4年前から米作りも始めていた。休耕田となっていた田んぼは、深田のために機械が使えない。膝下まで足が沈むためにしっかり重心を落とさないとバランスを崩して作業もままならない。正直辛い。しかしこれも知らず知らずのうちに今流行のインナーマッスル(体幹)トレーニングをやっていたことになる。これも幸いしたのかもしれない。そしてもう一つ思い出したことある。それは両親の希望で和式のトイレを洋式に変えたのがちょうど3年前。これにはかなり反対したが、母親が腰痛を患っていた時期だったため仕方がなかった。和式のトイレは下半身を鍛え、骨盤の弾力を保つ優れた日本の生活様式だった。無意識に身体を使うトレーニングだったからだ。身体に楽を覚えさせればきりがない。そうした身体のツケが、形を変えて私たちに襲ってきているのではないだろうか。身体に起こる異変は、絶えず私たちに原点に立ち返ることを教えてくれていると感じた。

千年の森2016.10.01

 原田さとみさんから設楽ダムの是非をめぐる公開講座があることを教えていただき、その講座に足を運んでからすでに4年が経った。その間、民主党から自民党に政権が入れ替わり、公共事業が息を吹き返した。アベノミクスなどというあやふやな言葉をひとり歩きさせたことにより、一極集中が加速し、都会への人口の流出が地方をどんどん疲弊させている。田んぼや畑を管理する人達の高齢化もあって、耕作放棄地は平成17年には東京都の1.8倍に相当する何と38.6万ha(平成19年農林水産省調べ)と、増加の一途をたどっている。誰が見ても将来の我が国の行く末が見える数字ではないだろうか。食糧や水資源の危機が叫ばれる中でも、緑の山々をコンクリートで覆い尽くす事業は全国各地で止まない。最近の台風では、ライフラインや設備の老朽化のためか、少し荒れた程度の風雨で鉄道は止まる。公道に水は溢れ出して渋滞を引き起こしている。持続可能な社会を作らなければならいないはずが、開発という経済効果の名の下、多くの借金をこしらえながら反省もなしに作ることばかりにやっ気になっている。そして誰も責任をとろうとしない。まったく大人社会の体をなしていない。
 先月、ダムネーションという映画を主催したことでご縁ができた方から、その設楽町へ来ないかというお誘いをいただいた。何でも千年の森という場所で、間伐などの作業を手伝うということだった。昨年、四谷千枚田で米作りをした以来一年ぶりとなる。店から車で一時間ほどで足助を通過し、それからは深い山道を延々と走ること一時間、ようやくその方との待ち合わせ場所に到着して北へと向かった。途中、名倉という町中を通った時、日本でも有数な美味しいお米が取れる場所だと教えていただいた。周りは山に囲われ、その湧き水でお米を作っているというから合点がいった。そこからさらに20分、険しいな山道を進んだ段戸山辺りにその森はあった。この一帯はブナの原生林など樹齢200年超えの巨木が残る貴重な森だそうだ。そこでお会いさせていただいたのが加藤ご夫妻。このご夫妻は測量設計士の顔以外に、地域のボランティアガイドとして段戸裏谷原生林(きららの森)、津具地区の面ノ木園地などを案内したり、「奥三河の自然と歴史にふれあう会」の会員として自然保護活動に尽力されている方で、お二人だけで20年かけて針葉樹の山を切り開き、ブナの植樹をするなど大切な森が次世代を超えて千年続くように願いを込めて作られたのがこの千年の森だった。最近では、近隣の小学生に、加藤さん自ら、そこに自生しているブナからどんぐりを拾って育てた苗木を卒業記念植樹として山の至る所に植える活動もしているという。まだ小さい植樹された木に目をやると、一本一本に、卒業生の名前が掛けられていた。一人一人をその木の所有者として登録してるため、勝手に本人以外が木を切ることができないそうだ。その子どもたちともに苗木が育つ。きっと自然や環境に関心を持つ心が芽生えていくにちがいない。
 ダムの標的となった町では、二度と戻らない自然環境とそこに生活する人達がいる。その一方で、自然と共生する活動は、ひっそりと、確実に行われていた。そんなご縁をいただいた設楽の明日を考える会の中沢さんに感謝するとともに、下流域に生活する私たち一人一人は、ただその恩恵を水道料金というお金で済ますのではなく、ダムによって犠牲になる人達や失われる多くの生物や環境のために何が出来るかを強く感じる一日になった。

参考記事 キラッと奥三河「「きららの森」大きくなーれ 加藤博俊さん

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続けること 52016.09.01

 今年に入って書き始めた「続けること」が、今回で5回目になる。新年早々長い年月休んでいた青汁作りを始めたことがきっかけとなって、思わぬ体験をした。それがこの連載に繋がっているが、今回でラストになるかと思う。すでに7ヶ月が経ち、毎朝の日課となったその青汁が、体に微妙な変化を与えていることを自覚し始めた。そのことを書き残しておきたい。
 最近ようやく朝夕に秋の風を感じるようになって、寝苦しさに夜中に目を覚ますこともなくなった。年々暑さが体に響くようになって、ここ数年は夏嫌いが固定化していた。その理由として、毎日の日課である温冷浴が、その温度差がなくなり効果が薄い。かと言って、やらなければ熱が体内にこもって夜中の寝苦しさに繋がるためにほとんどその解消のためにやっている程度で、本来の効果である血液のアルカリと酸性のバランスを保つこと、それが難しい季節のためだ。そして仕事中ほとんどエアコンにあたっているために疲れやすい。もう一つは、夏になるとよく毛が抜ける。このまま無くなるのではないかというほど頭を洗うと側溝に毛がたまる。今年もそんな夏の嫌悪感を思い出しながら、すでに秋を迎えつつある。
 今年の初夏は、涼しい日が多くて過ごしやすかった。7月中旬でも、例年ほどの暑さではなかった気がする。湿気がなかったせいだろう。それが下旬頃から一転して、湿度が高いうっとおしい夜が連日続いた。昨年までだったら、熱帯夜の時くらいエアコンを使っていたが、今年は使っても一時間程度と扇風機を低速で数時間回すだけで我慢ができた。我慢というか、確かに寝苦しさはあったが、これまでほど苦にはならなかった。実際に計っていないが自分の体温は、昨年より低くなっている気がする。青汁の効果の一つが体温を下げることにある。体温が下がれば病気やウイルスに感染しやすいじゃないか。それは効果じゃなく、逆効果じゃないかという声が聞こえてきそうだが、この逆説は体験しているものでないと分からないかもしれない。
 体温が高くなることで、体にとって良いことも多々あるはずだが、欠点としては、その高い体温を維持するために、エネルギーが必要になる。しかも水分とビタミンCは高温下では多量に使われることだ。そのため、それらを補給する必要も欠かせなくなる。エネルギー効率から見ると、決して体温を高くすることが健康に繋がるとは思えない。高くなる一方でそれを維持する面も見過ごせないのではないだろうか。かと言って逆に体温が低すぎるのは、それなりの原因があるため確かに問題だ。結論として、自分自身の体温が、自分の健康にとって相応しい体温かどうかということを見つけ出すことではないだろうか。平熱、脈拍、血圧、これらが十把一絡上げで他人様の平均と同じであること自体がおかしい。一人ひとりがそれらの環境や食べ物などの志向が違うのだから人と違って当たり前のはず。意外と世間が当たり前と思っていることが、当たり前でないことの方が多いと思う。
 夏場に入って自分の体温を意識しだしたのは、普段なら下着だけで寝ることが多かったのが、寝間着を着ることが当たり前になった。エアコンの冷気が気になる。体が冷えることに敏感になった。これらのことは、ともすれば体調が悪いからだと思われがちだが、体の異変に気づくということが、健康を維持することに一番必要だと思う。
 夏になると気になる抜け毛は、昨年と比べ物にならないくらいほど少なくなった。猫毛が幾分太くなったような気すらする。一方、冷えが原因で、土用の日を境に2週間程度、夏風邪を引いた。一週間はほぼ一食で過ごしたため、一週間で体重は3kg程度落ちた。食べなくても体調は軽い。アルコールや珈琲などの嗜好品もうけつけなかったから相当なデトックスになった。日頃、ついつい食べ過ぎたり飲み過ぎたりして内蔵は弱り勝ちになる。そんなことを年4回ある土用の習慣は、私たちに足るを知ることを気づかせてくれるんです。ということをスタッフから諭されて、ひたすら自分を戒め、反省しつつ、青汁一杯の効用を書きとめておきたい。

サクラダコミンカ in ブラウンズフィールド2016.08.01

  クラウドファンディング(不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す)で、「本気で遊ぶ仲間募集!素敵な古民家を、中島デコ、エバレットブラウンと一緒に創りませんか!?」というメール通知が届いたのが今から3年ほど前のこと。また何かはじまるのかと興味を持って読み進めると、あのサスティナブル(持続可能であるさま)なブラウンズフィールドに危機が訪れていた。その内容は、お隣のおばあちゃんが高齢のために、都内のご家族の元に行くことになった。そのおばあちゃんの家が、なんと築200年、2000坪という広大な敷地だったため、大きな資材用倉庫を建て、その後、たくさんある木々を伐採し、その古民家を取り壊し、整地し建て売り住宅を建てる目的で不動産屋兼土建屋が買い取ったという。
 デコさんが営むブラウンズフィールド周辺は、昔ながらの里山が残る美しい景観が広がっている。もし開発など始まれば、守り続けてきた持続可能な生活さえ脅かされてしまうことになっただろう。「なんとか資金を集めて、昔ながらの美しい日本の景観を守りたい。でも、ただ守っていくだけでは面白くありませんし、活用してこそ古民家も輝くはず。本気で遊ぶ仲間募集!素敵な古民家を、中島デコ、エバレットブラウンと一緒に創りませんか!?」というデコさんのメッセージに居ても立ってもいられなくなり、そのプロジェクトの仲間になりたくて手を揚げた。
 限りある期間に目標額を達成され、無事契約を交わして、その古民家が守られたとのメッセージを受け取ったのは10ヶ月後のこと。大きな安堵とともに、重い荷物にもなる古民家の買い取りに、人事ながら不安も感じていた。そんな気持ちを払拭してくれたのが昨年の9月、いよいよ古民家修復が始まるということで、土壁作りのイベントに参加した。それがまたスゴイ。昔ながらの工法で、竹を割って、竹小舞を編み、その上に、前もって崩しておいた古民家の壁の土を練りなおして、塗っていくというもの。まさに本気で遊んで古民家を修復していくというデコさん流。しかも参加している人達を見て、いかにブラウンズフィールドが愛されているかを実感した。
 先月末、古民家オープニングパーティーのお誘いを受けて車を走らせた。自分たちが関わった土壁は綺麗に形つくられていた。その上に更に漆喰を塗っていくという。それだけでも3年近くかかるとのこと。やってもやっても終りが見えないからサグラダファミリアならず、サクラダコミンカと自ら命名したデコさん。一連の流れの中に身をおかせていただいたことで、生きる力強さというものを肌で感じた。
 生きるっていうことは、大切なモノを守り続けていくことなんだろう。大変だからといってやめることは簡単かもしれない。しかし連綿と続いてきたものをやめてしまえば、後世に一体何が残るのだろうか。ブラウンズフィールドは、常にその挑戦者なのかもしれない。

「それは不可能か」2016.07.01

   今からちょうど25年前の7月、思えばこの店がオープンする2日前に出会った方がいる。先月の末にその方が長年務めた会社を退職されたため、縁のある仲間と慰労会をさせてもらった。杯を交わすたびにこの間の思い出が頭を駆け巡った。ヘルシングあいを引き継ぐ前のこの時期は、個人事業主として今も店の定番商品であるヘルシーアルファーや龍泉洞の水など、人の健康に関する商品を取り扱っていた。
  それがこの方とのご縁から、大きな工場設備で使用するため水と空気などの環境設備という畑違いなことも勉強することになった。りんごの落下で有名なF=ma(ニュートンの第2法則)がその方の会社の社是。人間の力ではどうしようもない自然法則の下では、社員はすべて同列。部長や課長などの職制もなく、役員の選出も入社5年以上の社員が投票で決めるなど、ユニークを通り越した社風に魅せられたのは言うまでもない。もともと文系で理系は不得意と決めていた学生時代。それが今回の縁で少なからず苦手分野に取り組むことになった。ところがそれが後に大型の水処理装置と、喫煙ルームの大型空気清浄機を採用していただくことになり、しかも自然法則をかじることで、西式健康法を理解する上でも役に立った。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものである。
 今から思い出しても、よくその方に叱られたものだ。自分の立ち位置が分からず相手の意図を理解できない営業、はじめて直面する場面にきちんと対応できないことに憤りを感じていた時期でもあった。しかしそれでも見限られずに面倒を見てくださった。厳しい反面、仕事の話しが終われば、いつも通り親しげに話しかけてくれた。花見の季節には毎年、敷地内にある大きな桜の木が咲き乱れる下で大宴会が催される。そんな場所にもお声をかけていただいた。中でも印象深いのは、現在の西区に移転後に売上減で店が潰れそうな一番苦しい時期に顔を出したところ、そっとその桜の木の下に呼んで下さった。桜が満開だった。会話の内容は覚えてないが、記念に写真でも撮ろうといって事務員の方が撮ってくださった。それは今でも大切に机の中にしまってある。総務の責任者として会社を束ねているその方の姿勢に、経営とは、仕事とは何か、そして特に人間関係の大切さを骨身にしみるほど学ばせもらった。感謝に耐えない。今でもその方のおかげで今の自分があると思っている。
 その会社に一歩入ると正面に、大きな木製の額を彫り出して、「それは不可能か」という文字が浮き上がっている。25年間その言葉を見るたびに、自分自身を奮い立たせてきた。何が可能不可能を決めているのだろう。それは自分自身でしかない。今の苦境は後の糧かもしれない。今の体調不良は、後の健やかな健康を得るための貴重な体験かもしれない。出来ないと思っているのはきっと自分自身でしかない。それならいっそのことこれからも自分自身に問いかけてみたい「それは不可能か」と。

「熊本支援・とどけよう! 玄米ぽんせんプロジェクト」途中報告2016.06.04

 先月末の福岡県久留米への小旅行は、今年の3月に予定していたもので、当店を料理教室の名古屋校として認定していただいた平田シェフが経営する古民家レストランへ伺うとことが目的でした。それがあの大きな地震があり、何かできないかという中で、玄米ぽんせんプロジェクトというものがあることを知り、偶然にもそのプロジェクトの方々に平田シェフも関わってボランティアに行かれていたということを聞くなど大きな意義を感じました。 玄米ぽんせんプロジェクト、それは、被災されている方々に、質のいい穀物を届けたいと思っても、おにぎりを送るわけにもいかず、でも玄米ぽんせんなら、遠くからでも届けることができ、現地で水も火もいりません。アレルギー疾患や糖尿病などで、配給の食べ物や炊き出しを食べられないという人も助かるという思いからスタートしたそうです。確かにぽんせんは、水で柔らかくすれば離乳食にもなります。そして一枚のせんべいに生米軽く一人前あります。手軽でしかも健康にも良いということが、このプロジェクトに参加することにした大きな理由です。そして、大きながけ崩れなどが発生しながらも、この玄米ぽんせんを手作業で作り、しかも今もまだ困っている現地に直接お届けしているTAO塾に、皆様からいただいた募金をお届けすることができました。片道2時間かかる現地までご同行いただいた平田シェフと、寄付を賜りました皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。
 当店では、引き続きこの玄米ぽんせんプロジェクトを続けていきます。
情けは人のためならず、巡り巡って己が身のため。私たちも、いつ何時非日常が襲ってくるか分かりません。一人一人ができうる限りのことが出来れば、非日常は最小限に食い止められるのではないでしょうか。

現在の募金箱設置場所は下記のとおりです。
「アースマーケットプレイス」
(千葉市美浜区高浜1-10-1 TEL. 043-248-5099)
「カフェmerci(メルシー)」
(千葉市中央区弁天2-22-3)
「cafeどんぐりの木」
(千葉市美浜区高洲1-16-46 TEL.043-301-2439)
「トレジャーリバーブックカフェ」 
(千葉市中央区登戸1-11-18 第2潮ビル102 TEL.043- 304-6964)
「ライステラスカフェ」(ブラウンズフィールド内)
 (千葉県いすみ市岬町桑田1501-1 TEL.0470-87-4501)
「ナチュラルストア アサナ」(ブラウンズフィールド内)
(千葉県いすみ市岬町桑田1501-1 TEL.0470-87-4501)
田んぼCafe「龍のらんぷ」
(茨城県龍ケ崎市野原915-1 TEL.0297-85-2508)
「ChaviPelto(チャビイペルト)」
(埼玉県草加市氷川町2138-3-A TEL.048-951-7083)
「VEGECAFE LOTUS(ベジカフェ ロータス)」
(愛知県豊橋市 西岩田6丁目16-12 TEL.0532-69-0880 定休日 月)
自然食品店「ゲンキプラス 豊橋店」
(愛知県豊橋市 西岩田6丁目16-11 TEL.0532-69-0655)

地震が語ること2016.05.01

 震度7の地震が熊本を2度も襲った。地震学者や専門家は首を揃えて言う。「想定外なことが起こっている」と。しかも後で最初の震度7がなんと余震だったと言い変えた。結局のところ天地自然が起こす現象などいくら研究しても分かるはずがない。起きたことを後から検証し、蓄積していくことで精一杯なのだろう。しかしもしそうであるならなぜ謙虚に過去から学ばないのだろうか。一昔前は、代々の言い伝えから、大きい地震の後は2ヶ月近く外のわら小屋に子供たちだけ寝かされたと聞いた。専門家や学者に依存するがゆえ、災害が起こるたびに言い伝えとして後世に託したたくさんの生の声は、時とともに風化してしまった。
 今から5年前の東日本大震災は記憶に新しい。大きな津波は家屋を飲み込み、多くの犠牲者を生み出した。その上原発による災害で、まだ収集がつかない生活を余儀なくされている多くの方がいる。あまりの自然の破壊力の凄まじさを前に、今までいかに自然環境に負荷をかけて好き放題なことをしてきたかを誰もがはっきり意識したと思う。そしてその自粛の波は日本を覆い、原発に頼らない生活を5年近く続けてきた。それも喉元を過ぎたらまた原発は再稼働され、それが全国に波及しようとしている。それだけではない。公共事業の無駄を指摘されて止まっていた道路建設やダム建設も息を吹き返した。挙句の果てにリニア。それらによってさらに多くの山々が切り裂かれ、住民は土地を追われ、私たちの命の源は、ますますその破壊作業によって失われつつある。そうやって過去から現在に受け継がれてきたものまで経済活動という名の下に消し去ろうとしている。
 「中央構造線」列島横切る巨大断層熊本地震の延長上 九州~近畿で400年前に連続発生(日経新聞)その中央構造線に平行して活断層がある。そしてその線上に原発がある。多くの宅地、ダム建設がある。そして、この地震が起きても止めない鹿児島県の川内原発。一体我々はどこまで馬鹿なのだろう。
 数千年、いや数万年以上かかって作り上げられた自然の恩恵を、私たちは自らの手で、この200年という短いスパンで代々続いてきた営みを絶とうしている。たとえ地震が起きなくても、大きなしっぺ返しを受けるのは当然の報いではないだろうか。 今日もテレビで垂れ流される健康番組。あれが良いこれが効くからと何の努力もせず、飲めば食べれば健康になれると信じて店を訪ね歩く。本当に健康を得たいと思うなら、今日あるこの国の自然や環境に感謝せずにはいられないはず。その豊かな環境から得た食べ物で私たちは成り立っている。その土地を疎かにしておいて、真の健康などあるはずがない。豊かさゆえ、大切なものを置き去りにしてきた私たちに対する自然からの最後の警告。
それでなくして一体何だろう。

続けること 42016.04.01

 今年の正月から青汁作りをはじめて早3ヶ月が過ぎた。しかも蓚酸の多いほうれん草と人参がベースでセロリやキャベツが少々、果物も加えないやり方で続けている。その間、さまざまな変化があった。まず、飲み始めてすぐに肌つやが良くなった。胃腸環境が良くなり、肌から出る保湿成分が整ったからではないだろうか。野菜ジュースで同じような体験をされている方が身近に何名もいるので、確実にわかる効果の一つと思う。そして大きな変化といえば飲み始めて3日後のこと。夕方から極度の悪寒が足元を襲った。風邪の症状と思ったが、これほど急に病原菌に体のバリヤを破られ、症状が出たことは記憶にない。温冷浴をして夕食を抜いてすぐに床についた。数時間後、寝苦しさに襲われ目が覚めると発熱している。完全な風邪症状。さらに酷くなったら治るには時間がかかる。アスミンを再び飲んで翌朝目が覚めると、熱は引いたようでホッとしたが、足が鉛のように重かったのが気になった。変調が起きたのは出勤して昼近くなった頃、急にミゾオチ部分に鈍い痛みが走り、その痛みは強弱を描きながら徐々に強さを増していった。あまりの辛さに冷や汗が流れだし、鏡に写った顔は顔面蒼白。意識は遠のくし、そんな時に限って接客で追われる。異変に気づいたスタッフが代わってくれて、横になろうとした時のこと、冷たかった足先に体温が戻ってそれが全身に広がり、冬だというのに汗が吹き出して着ている服を脱いだほどだった。次第に意識がはっきりしてくるとスーッと痛みが消えて何もなかったかのように平常に戻った。しかしそれから数日間はミゾオチ部分に痛みの痕跡が残っているような感覚があったため、青汁と一日一食を3日間行い、週一回の寒天断食をした。その後違和感はなくなった。
 以前、ご紹介させていただいた書籍には、このようなことが書かれていた。
「胆のうや腎臓の砂や石が、野菜汁で迅速に治療されると、苦しい痛みが襲うが、それは数分か、長くて一時間くらいのもので、溶解したカルシウムが通過すると、痛みはピタリと止まる。」と、体験した者にとっては大変リアルな内容だ。痛みの原因は特定できないが、長年の蓄積で硬化したものが、溶けて流れ去ったということも大いにあり得る話しだと思う。
 さて、3ヶ月経った今の両親の現状もご報告させていただこう。父親の物忘れは相変わらずで良くなる気配はない。しかし変化といえば、私が体調を壊した4日目の朝、気だるい気分を振りきってジュースを作ろうと思ったら、すでにジュースマシンの音がしている。様子を伺ってみると、父親が代わってジュースを作っていた。それからというもの自分の担当のように毎日作ってくれている。さらに、出不精だった男が母親に引っ張られ夫婦共々トレッキングをし始めた。刈谷まで用具を買いに行き、そこで教えてもらったトレッキングスクールに週一回通っている。体を動かし始めると、どこかに行きたくなるらしく、先月は冬の長野に一泊二日の旅行に出かけ、先月末には二泊三日で九州へ旅行に出掛けた。母親が腰から股関節を痛めてもう二度と旅行なんか行けないと寂しそうに呟いていたのは一昨年のこと。それが今では嘘のように動けるようになった。週一回の断食をはじめて母親はすでに3年になる。その効果は間違いなく体に変化を与えていると思う。
 健康法は山ほどある。何でも良いと思う。本当に自分自身を労ることを続けてさえいれば、必ず体はそれに応えてくれるはずだ。年齢は関係ない。年老いていく二人を見ながらそう強く感じている。

参考著書 「生野菜汁療法」ノーマン・W・ウォーカー著 樫尾太郎訳 実日新書 

続けること 32016.03.01

 前回の続きになるが、その前に、「生野菜汁療法」の文中から蓚酸について詳しく引用させていただきたい。というのは、蓚酸について誤解をしている人が大勢いる。私もかつてはその一人だった。西勝造氏の書籍の中にもその言葉は大変多く出てくる。。今回私が体験した反応は、この蓚酸がもたらしたものだと思っている。そして私だけでなく、両親に与えた影響も少なくない。それらを含めた途中経過は、引用が少し長くなるため次回にお許し願い、まず、この蓚酸について認識を新たにしていただき、今後の食生活に活かしていただきたいと思っている。

 蓚酸について・・・私たちの身体の不思議な作用の一つに蠕動運動というものがある。この作用は、消化管、循環の管(血管、リンパ管)、生殖器の管、排泄管など、各管に継続的な波状運動を起こして、その中のものを先の方へ推し進めるのである。この蠕動運動は、神経と筋肉が交互に行う収縮と弛緩の連続で、私たち自身の意識とは関係なく不随意的であり、まったく自律的に行われる。だが、この蠕動作用の効率は、これらの管の神経や筋肉の張力が健康で強力であればよい働きをすることは言うまでもない。 蓚酸は、蠕動運動の張力を保ち、刺激を与えるのに必要な要素の一つである。もちろん、その器官の細胞と組織が生きているのでなければ、不随意的活動によって行われるどんな運動も不可能なわけである。
 生命は活動的、磁気的であるが、死には活動はない。このことは、私たちの身体の細胞と組織についても同様である。私たちの身体の、消化、排泄の系統を含む重要な器官のどの部分でも、病気や死があると機能は障害を受ける。これは、その部分の細胞と組織を養うための生きた原子が、私たちの食物中に欠如したり不足しているために起こるわけである。生きた食物というのは、生の食物の中にだけある生きた有機の原子を含んでいる食物を意味する。すでに何回も述べてきたように、食物の中に含まれている有機と無機の原子の問題は大切なことである。蓚酸については、いっそう重要である。生野菜と、その泥状の汁に含まれている蓚酸は有機的で、私たちの身体の機能にとっては有益で必要なものである。だが、調理加工した食品中の蓚酸は、死んだものであり無機的であることは明らかで、これは有害で破壊的である。無機の蓚酸は容易にカルシウムと化合する。蓚酸とカルシウムが、もし両方ともに有機ならば、有益な建設的な組合せとなって、蓚酸はカルシウムの吸収を助け、同時に身体の蠕動運動を刺激強化する。だが、無機の蓚酸は、同時にとった他の食物中のカルシウムとも結びついて療法の栄養価値を破壊してしまう。この結果、私たちの身体はカルシウム不足の状態に陥って、骨の分解さえ引き起こすような重大な結果を生ずる。また、蓚酸自信では、無機に変化すると、腎臓内に無機蓚酸の結晶を作ることがときどきある。
 有機の蓚酸は、他の栄養素を完全に吸収同化するために、私たちの健康にとっては不可欠なものである。蓚酸を一番含んでいるものは、新鮮な生ほうれん草、スイスふだん草、ビートの葉、かぶらとからし菜の葉などである。

参考著書 「生野菜汁療法」ノーマン・W・ウォーカー著 樫尾太郎訳 実日新書

続けること 22016.02.01

  昨年のいつ頃のことだったか、野菜を効率よくすり潰す電動機械でスズキジュースマシンという高価な製品がある。それをもう使わないからといって元スタッフのTさんから譲り受けた。その機械は2本の特殊な歯車が、生野菜を圧力で搾り出し、有効成分を損なわずにその野菜汁と繊維を一緒に摂取できるもの。私も20年ほど前、西式健康法に出会って興味を持ち、この機械の手動式(3万円程)を購入して作って飲み続けた時期があった。その頃といえば、青汁もしくは青泥と言って、いかにも不味そうな名前、確かに美味しいと思ったことはなかった。ミキサーやジューサーを使っていれば、細かく繊維まで粉砕されるために喉ごしが良く、長続きしたかもしれない。続かなかった理由は、毎朝すり潰す作業が大変なことと、根本的になぜそうまでして飲んだほうが良いのかをしっかりと理解していなかったからだろう。近頃の野菜ジュースは、スムージーと横文字が使われ幅広い層に普及している。飲み方も野菜だけではなく、バナナやリンゴなどの果汁をふんだんに使って美味しくするから流行る要因にもなっている。譲り受けてそのままお蔵いりされた一台のジュースマシンがなぜか頭に引っかかり続けていた。
   生野菜汁療法という一冊の本がある。(ノーマン・W・ウォーカー博士著1886年-1985年)
西式を名古屋で広められた樫尾医院の樫尾太郎先生がその翻訳をしている。これもお客様でOさんから教えていただいたことで、すでに絶版となっていたため中古本を購入したのがもう何年も前のことになる。ページをめくることはなく本棚の肥やしになっていたのを、昨年の暮れに棚の掃除をしていて目に飛び込んできた。
  「生きたものは生きたもので養われる」というのが、生物界の原則である。そこで「生野菜」は、不老長寿、万病治療、美容と若返りの霊薬ともいうべきで、巷に氾濫する各種栄養剤、薬剤の類も、生のほうれん草、にんじんには敵わない。訳者である樫尾先生のはしがきの内容に既に惹きつけられていた。
  原著者は本書の中で、「有機」「無機」という言葉を「生きた」「死んだ」という意味に使用している。なるほどそう解釈すれば、今まで疑問に思っていた塊が、すっと溶けて吸収されていくように思えた。たとえば水。天から降り注ぐ雨水はミネラル分を含まない無機な状態。それが太陽を燦々と浴びた山河に降り注ぎ、土壌に溢れているミネラル分や養分を溶かして私達の飲み水と変化する。さまざまな元素が溶けている生きた水で自然の賜である。しかしその水を煮沸すると、中に溶け込んでいるミネラル分は化合して無機なものに変化してしまう。よくヤカンの縁底に白くへばり付いているものをご覧になることがあると思うが、それこそカルシウムイオンが酸化反応したものである。学校の校庭のライン引きに使われているあの石灰と変化してしまう。そうやって加熱などをさせて不純物を取り除いた蒸留水を飲み続ければ、マウスも2週間で死に至ることになる。「有機」と「無機」を「生死」で考えるのにこれほど分かりやすいことはない。
  奇しくもノーマン・W・ウォーカー博士より2年早く生まれて生菜食療法を唱えた人物が日本にもいる。それが西勝造氏、西式健康法の提唱者である。その西式健康法にある寒天断食を昨年一年通して行ったが、二度倒れた後遺症のせいか、暮れ頃から物忘れが激しくなった父親を見て、この青汁づくりを始めることを年始に決意して実行中である。しかしそのことで、この健康法に出会って四半世紀になる自分自身が、まさかその原点を見つめ直すことになるとは思わなかった。
次回にその体験のご報告をしたいと思う。

参考著書 「生野菜汁療法」ノーマン・W・ウォーカー著 樫尾太郎訳 実日新書

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