ヘルシングあい便り

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地震が語ること2016.05.01

 震度7の地震が熊本を2度も襲った。地震学者や専門家は首を揃えて言う。「想定外なことが起こっている」と。しかも後で最初の震度7がなんと余震だったと言い変えた。結局のところ天地自然が起こす現象などいくら研究しても分かるはずがない。起きたことを後から検証し、蓄積していくことで精一杯なのだろう。しかしもしそうであるならなぜ謙虚に過去から学ばないのだろうか。一昔前は、代々の言い伝えから、大きい地震の後は2ヶ月近く外のわら小屋に子供たちだけ寝かされたと聞いた。専門家や学者に依存するがゆえ、災害が起こるたびに言い伝えとして後世に託したたくさんの生の声は、時とともに風化してしまった。
 今から5年前の東日本大震災は記憶に新しい。大きな津波は家屋を飲み込み、多くの犠牲者を生み出した。その上原発による災害で、まだ収集がつかない生活を余儀なくされている多くの方がいる。あまりの自然の破壊力の凄まじさを前に、今までいかに自然環境に負荷をかけて好き放題なことをしてきたかを誰もがはっきり意識したと思う。そしてその自粛の波は日本を覆い、原発に頼らない生活を5年近く続けてきた。それも喉元を過ぎたらまた原発は再稼働され、それが全国に波及しようとしている。それだけではない。公共事業の無駄を指摘されて止まっていた道路建設やダム建設も息を吹き返した。挙句の果てにリニア。それらによってさらに多くの山々が切り裂かれ、住民は土地を追われ、私たちの命の源は、ますますその破壊作業によって失われつつある。そうやって過去から現在に受け継がれてきたものまで経済活動という名の下に消し去ろうとしている。
 「中央構造線」列島横切る巨大断層熊本地震の延長上 九州~近畿で400年前に連続発生(日経新聞)その中央構造線に平行して活断層がある。そしてその線上に原発がある。多くの宅地、ダム建設がある。そして、この地震が起きても止めない鹿児島県の川内原発。一体我々はどこまで馬鹿なのだろう。
 数千年、いや数万年以上かかって作り上げられた自然の恩恵を、私たちは自らの手で、この200年という短いスパンで代々続いてきた営みを絶とうしている。たとえ地震が起きなくても、大きなしっぺ返しを受けるのは当然の報いではないだろうか。 今日もテレビで垂れ流される健康番組。あれが良いこれが効くからと何の努力もせず、飲めば食べれば健康になれると信じて店を訪ね歩く。本当に健康を得たいと思うなら、今日あるこの国の自然や環境に感謝せずにはいられないはず。その豊かな環境から得た食べ物で私たちは成り立っている。その土地を疎かにしておいて、真の健康などあるはずがない。豊かさゆえ、大切なものを置き去りにしてきた私たちに対する自然からの最後の警告。
それでなくして一体何だろう。

続けること 42016.04.01

 今年の正月から青汁作りをはじめて早3ヶ月が過ぎた。しかも蓚酸の多いほうれん草と人参がベースでセロリやキャベツが少々、果物も加えないやり方で続けている。その間、さまざまな変化があった。まず、飲み始めてすぐに肌つやが良くなった。胃腸環境が良くなり、肌から出る保湿成分が整ったからではないだろうか。野菜ジュースで同じような体験をされている方が身近に何名もいるので、確実にわかる効果の一つと思う。そして大きな変化といえば飲み始めて3日後のこと。夕方から極度の悪寒が足元を襲った。風邪の症状と思ったが、これほど急に病原菌に体のバリヤを破られ、症状が出たことは記憶にない。温冷浴をして夕食を抜いてすぐに床についた。数時間後、寝苦しさに襲われ目が覚めると発熱している。完全な風邪症状。さらに酷くなったら治るには時間がかかる。アスミンを再び飲んで翌朝目が覚めると、熱は引いたようでホッとしたが、足が鉛のように重かったのが気になった。変調が起きたのは出勤して昼近くなった頃、急にミゾオチ部分に鈍い痛みが走り、その痛みは強弱を描きながら徐々に強さを増していった。あまりの辛さに冷や汗が流れだし、鏡に写った顔は顔面蒼白。意識は遠のくし、そんな時に限って接客で追われる。異変に気づいたスタッフが代わってくれて、横になろうとした時のこと、冷たかった足先に体温が戻ってそれが全身に広がり、冬だというのに汗が吹き出して着ている服を脱いだほどだった。次第に意識がはっきりしてくるとスーッと痛みが消えて何もなかったかのように平常に戻った。しかしそれから数日間はミゾオチ部分に痛みの痕跡が残っているような感覚があったため、青汁と一日一食を3日間行い、週一回の寒天断食をした。その後違和感はなくなった。
 以前、ご紹介させていただいた書籍には、このようなことが書かれていた。
「胆のうや腎臓の砂や石が、野菜汁で迅速に治療されると、苦しい痛みが襲うが、それは数分か、長くて一時間くらいのもので、溶解したカルシウムが通過すると、痛みはピタリと止まる。」と、体験した者にとっては大変リアルな内容だ。痛みの原因は特定できないが、長年の蓄積で硬化したものが、溶けて流れ去ったということも大いにあり得る話しだと思う。
 さて、3ヶ月経った今の両親の現状もご報告させていただこう。父親の物忘れは相変わらずで良くなる気配はない。しかし変化といえば、私が体調を壊した4日目の朝、気だるい気分を振りきってジュースを作ろうと思ったら、すでにジュースマシンの音がしている。様子を伺ってみると、父親が代わってジュースを作っていた。それからというもの自分の担当のように毎日作ってくれている。さらに、出不精だった男が母親に引っ張られ夫婦共々トレッキングをし始めた。刈谷まで用具を買いに行き、そこで教えてもらったトレッキングスクールに週一回通っている。体を動かし始めると、どこかに行きたくなるらしく、先月は冬の長野に一泊二日の旅行に出かけ、先月末には二泊三日で九州へ旅行に出掛けた。母親が腰から股関節を痛めてもう二度と旅行なんか行けないと寂しそうに呟いていたのは一昨年のこと。それが今では嘘のように動けるようになった。週一回の断食をはじめて母親はすでに3年になる。その効果は間違いなく体に変化を与えていると思う。
 健康法は山ほどある。何でも良いと思う。本当に自分自身を労ることを続けてさえいれば、必ず体はそれに応えてくれるはずだ。年齢は関係ない。年老いていく二人を見ながらそう強く感じている。

参考著書 「生野菜汁療法」ノーマン・W・ウォーカー著 樫尾太郎訳 実日新書 

続けること 32016.03.01

 前回の続きになるが、その前に、「生野菜汁療法」の文中から蓚酸について詳しく引用させていただきたい。というのは、蓚酸について誤解をしている人が大勢いる。私もかつてはその一人だった。西勝造氏の書籍の中にもその言葉は大変多く出てくる。。今回私が体験した反応は、この蓚酸がもたらしたものだと思っている。そして私だけでなく、両親に与えた影響も少なくない。それらを含めた途中経過は、引用が少し長くなるため次回にお許し願い、まず、この蓚酸について認識を新たにしていただき、今後の食生活に活かしていただきたいと思っている。

 蓚酸について・・・私たちの身体の不思議な作用の一つに蠕動運動というものがある。この作用は、消化管、循環の管(血管、リンパ管)、生殖器の管、排泄管など、各管に継続的な波状運動を起こして、その中のものを先の方へ推し進めるのである。この蠕動運動は、神経と筋肉が交互に行う収縮と弛緩の連続で、私たち自身の意識とは関係なく不随意的であり、まったく自律的に行われる。だが、この蠕動作用の効率は、これらの管の神経や筋肉の張力が健康で強力であればよい働きをすることは言うまでもない。 蓚酸は、蠕動運動の張力を保ち、刺激を与えるのに必要な要素の一つである。もちろん、その器官の細胞と組織が生きているのでなければ、不随意的活動によって行われるどんな運動も不可能なわけである。
 生命は活動的、磁気的であるが、死には活動はない。このことは、私たちの身体の細胞と組織についても同様である。私たちの身体の、消化、排泄の系統を含む重要な器官のどの部分でも、病気や死があると機能は障害を受ける。これは、その部分の細胞と組織を養うための生きた原子が、私たちの食物中に欠如したり不足しているために起こるわけである。生きた食物というのは、生の食物の中にだけある生きた有機の原子を含んでいる食物を意味する。すでに何回も述べてきたように、食物の中に含まれている有機と無機の原子の問題は大切なことである。蓚酸については、いっそう重要である。生野菜と、その泥状の汁に含まれている蓚酸は有機的で、私たちの身体の機能にとっては有益で必要なものである。だが、調理加工した食品中の蓚酸は、死んだものであり無機的であることは明らかで、これは有害で破壊的である。無機の蓚酸は容易にカルシウムと化合する。蓚酸とカルシウムが、もし両方ともに有機ならば、有益な建設的な組合せとなって、蓚酸はカルシウムの吸収を助け、同時に身体の蠕動運動を刺激強化する。だが、無機の蓚酸は、同時にとった他の食物中のカルシウムとも結びついて療法の栄養価値を破壊してしまう。この結果、私たちの身体はカルシウム不足の状態に陥って、骨の分解さえ引き起こすような重大な結果を生ずる。また、蓚酸自信では、無機に変化すると、腎臓内に無機蓚酸の結晶を作ることがときどきある。
 有機の蓚酸は、他の栄養素を完全に吸収同化するために、私たちの健康にとっては不可欠なものである。蓚酸を一番含んでいるものは、新鮮な生ほうれん草、スイスふだん草、ビートの葉、かぶらとからし菜の葉などである。

参考著書 「生野菜汁療法」ノーマン・W・ウォーカー著 樫尾太郎訳 実日新書

続けること 22016.02.01

  昨年のいつ頃のことだったか、野菜を効率よくすり潰す電動機械でスズキジュースマシンという高価な製品がある。それをもう使わないからといって元スタッフのTさんから譲り受けた。その機械は2本の特殊な歯車が、生野菜を圧力で搾り出し、有効成分を損なわずにその野菜汁と繊維を一緒に摂取できるもの。私も20年ほど前、西式健康法に出会って興味を持ち、この機械の手動式(3万円程)を購入して作って飲み続けた時期があった。その頃といえば、青汁もしくは青泥と言って、いかにも不味そうな名前、確かに美味しいと思ったことはなかった。ミキサーやジューサーを使っていれば、細かく繊維まで粉砕されるために喉ごしが良く、長続きしたかもしれない。続かなかった理由は、毎朝すり潰す作業が大変なことと、根本的になぜそうまでして飲んだほうが良いのかをしっかりと理解していなかったからだろう。近頃の野菜ジュースは、スムージーと横文字が使われ幅広い層に普及している。飲み方も野菜だけではなく、バナナやリンゴなどの果汁をふんだんに使って美味しくするから流行る要因にもなっている。譲り受けてそのままお蔵いりされた一台のジュースマシンがなぜか頭に引っかかり続けていた。
   生野菜汁療法という一冊の本がある。(ノーマン・W・ウォーカー博士著1886年-1985年)
西式を名古屋で広められた樫尾医院の樫尾太郎先生がその翻訳をしている。これもお客様でOさんから教えていただいたことで、すでに絶版となっていたため中古本を購入したのがもう何年も前のことになる。ページをめくることはなく本棚の肥やしになっていたのを、昨年の暮れに棚の掃除をしていて目に飛び込んできた。
  「生きたものは生きたもので養われる」というのが、生物界の原則である。そこで「生野菜」は、不老長寿、万病治療、美容と若返りの霊薬ともいうべきで、巷に氾濫する各種栄養剤、薬剤の類も、生のほうれん草、にんじんには敵わない。訳者である樫尾先生のはしがきの内容に既に惹きつけられていた。
  原著者は本書の中で、「有機」「無機」という言葉を「生きた」「死んだ」という意味に使用している。なるほどそう解釈すれば、今まで疑問に思っていた塊が、すっと溶けて吸収されていくように思えた。たとえば水。天から降り注ぐ雨水はミネラル分を含まない無機な状態。それが太陽を燦々と浴びた山河に降り注ぎ、土壌に溢れているミネラル分や養分を溶かして私達の飲み水と変化する。さまざまな元素が溶けている生きた水で自然の賜である。しかしその水を煮沸すると、中に溶け込んでいるミネラル分は化合して無機なものに変化してしまう。よくヤカンの縁底に白くへばり付いているものをご覧になることがあると思うが、それこそカルシウムイオンが酸化反応したものである。学校の校庭のライン引きに使われているあの石灰と変化してしまう。そうやって加熱などをさせて不純物を取り除いた蒸留水を飲み続ければ、マウスも2週間で死に至ることになる。「有機」と「無機」を「生死」で考えるのにこれほど分かりやすいことはない。
  奇しくもノーマン・W・ウォーカー博士より2年早く生まれて生菜食療法を唱えた人物が日本にもいる。それが西勝造氏、西式健康法の提唱者である。その西式健康法にある寒天断食を昨年一年通して行ったが、二度倒れた後遺症のせいか、暮れ頃から物忘れが激しくなった父親を見て、この青汁づくりを始めることを年始に決意して実行中である。しかしそのことで、この健康法に出会って四半世紀になる自分自身が、まさかその原点を見つめ直すことになるとは思わなかった。
次回にその体験のご報告をしたいと思う。

参考著書 「生野菜汁療法」ノーマン・W・ウォーカー著 樫尾太郎訳 実日新書

続けること2016.01.03

  昨年暮れに、立て続けに両親が倒れた。数年前から少し腰を悪くしていた母親が、姿勢を崩したことから腰の筋肉のあたりを悪化させて、動かすと痛いためにしばらくの間寝たきりの状態になった。寝込んで3日目の深夜に、トイレに起きた私に向かって、あれから全く便が出ないと呟いた。この状態は良くないと思い、頭に浮かんだのが味噌シップ。そのままコンビニに走って使い捨てカイロを購入し、味噌と少量の水を弱火で練り込み、広げたサラシに味噌を厚く塗って腹部にあて、なるべく冷えないようにカイロを貼っておいた。翌日の朝、味噌シップが効いたようで、便が出たと聞いてホッとした。
 それから一ヶ月後の年末押し迫ったころ、忘年会から帰って間もなく、机や椅子がドタンと転がるような音がしたため飛び起きた。慌ててむかってみると、父親が痙攣して状態で倒れている。これには動転した。救急車を呼ぼうかと思ったが、吐き気をもよおしているため、その状態で布団をかけて体を温かくして、その状態で吐くよう促した。しばらく唸り声を上げながら、ようやく胃の中の物を吐き出させることができた。そうすると痙攣はおさまり、症状の原因と思われる腹痛で顔を歪めた。すぐさまスイマグを原液で飲ませてトイレでしばらく安静にさせた。用を足せたようだったが、顔面蒼白。軽い脳梗塞だったのではないだろうか。そのまま安静にさせたまま、両足を持って金魚運動をしばやくやると、顔に赤みがさしてきた。
 立て続けに起きた両親の体の変調を目の当たりにして、健やかに老いるために何が必要かを考え、これを好機に、週に一回の寒天断食をみんなですることにした。当然二人とも今回の当事者だからそれを断りようがない。それからかれこれ一年が過ぎた。早いものである。母親は、その後針や整体にも通いながら、順調な回復を見せている。父親は、あれからしばらくして同じ症状で倒れたため、医療長寿センターで検査を受けた。その結果、腸のヘルニアということだった。同じ場所で前立腺の手術を10年近く前にしたが、その手術の箇所か、筋肉の老化でできた穴に、腸が入り込むらしい。そのため腸が締め付けられ腹部に強烈な痛みが襲うのだという。腸が一時的に閉塞するため、脳でも梗塞が起きたために倒れたのだろう。
 それからというものの、父親は毎朝のウォーキングも欠かさず行うにようになった。人間いつまでも健やかに生きたいと思うなら、最小限の努力が必要である。そのささやかな努力を続けていけば、動かない場所もいつかは動くようになる。年齢など関係がない。だれでも最初の一歩からはじまるのだと思う。今回のことが「災いを転じて福となす」となるよう気を引き締めて今年に取り組もうと思っている。
 申年の申は本来「しん」と読み、「のびる」や「もうす」という意味。申は「雷」の原字であり「稲妻」を表した象形文字で、神の技という意味もある。「申」の字に示偏(しめすへん)をつけると「神」。また「草木が十分に伸びきった時期で、実が成熟して香りと味がそなわり固く殻におおわれていく時期」をあらわすそうです。
今年の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。 

ウォータークライシス(ヘルシングあい便り2005年10月号)2015.12.01

 年の瀬に、今から10年前に書いたお便りを掲載させていただこうと思う。下の新聞記事は、その8年前、1997年の中日新聞。この記事は正確に18年経った現在、そしてこれからの行方を見事に言い当てている。世の中が物騒になっているのも深刻な水飢饉が理由の一つである。何不自由なく生活できるわが国は、水道を捻ればいくらでもその恩恵を得られる。その幸いが災いし、この大変な時代になってもこの恩恵に対して敬意を払うことを忘れてしまっている。10年後、この記事の言う通りならば、世界人口の2/3が水が飲めなくなる。最終戦争を予感させるものである。
 日本に生まれて、豊かである恩恵を噛みしめて、私たち一人一人は何をすべきか。真剣に考えるべき時だと思う。

ウォータークライシス(ヘルシングあい便り2005年10月号)
                         
 気になってスクラップしておいた新聞の記事がある。8年も前のものだ。興味を引いたのは21世紀は水不足の世紀という言葉だった。四季を通じてまんべんなく雨が降るわが国にいてはピンと来ないことなのだが右下の大幅に伸びる農業用水のグラフは未来への不安をかきたてた。人口爆発といわれた20世紀。食糧危機が叫ばれる中のささやかな記事は、1997年6月に国連の持続可能開発委員会が国連環境特別総会向けにまとめられたものだった。それが今、まさに現実のものになろうとしている。
 残暑が厳しい8月の終わり、NHKの「ウォーター・クライシス:2回シリーズ」の2週に渡った特集
を見た。石油獲得闘争よりも熾烈であると言われているのが生命としての人間に必須の資源、水をめぐる闘争であり、21世紀は水戦争の時代とも言われている。この強烈な文句は、その内容を見るにつけ大げさな表現ではないことが伝わってくる。
   はっとして数年前のこの新聞記事のことを思い出して部屋中を探し回った。世界の用途別淡水割合は、生活用水10%、工業用水20%、農業用水70%と農業用水が断然多い。その理由は20世紀の百年間に、人口は4倍に増加、農業用水使用量は6倍にも増加したことが原因らしい。特に深刻なのが世界の食料供給源になっているアメリカ中部のオガララ帯水層の地下水の低下。数千年かけて蓄えられてきた地下水がセンターピボット方式により無計画にくみ上げられ、あと20年ほどで枯渇する地点も出始めるという。膨大な地下水を使うのは、肉食牛の飼料とうもろこしの増産である。
とうもろこしは小麦の3倍水を必要するが収入も3倍になるからだ。
食パンの原料の小麦を1キロ作るのには、2トンの水で済むのに、牛肉を1キロ作るのにはその10倍の20トンもの水が使われてしまう。
 年間降水量2000mlにも及ぶわが国が、500ml以下の他の国から食糧を大量に輸入している。
豊富な水に恵まれながら食料自給率40%満たず、小麦やとうもろこしの大半をアメリカから輸入しているわが国は真っ先に影響を受けることになるだろう。
8年前のこの記事は、人類の終焉を予測しているかのように新しい。
覆水盆に返らずとならぬよう願うばかりだ。

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ウォータークライシス(ヘルシングあい便り2005年10月号)2015.12.01

 年の瀬に、今から10年前に書いたお便りを掲載させていただこうと思う。下の新聞記事は、その8年前、1997年の中日新聞。この記事は正確に18年経った現在、そしてこれからの行方を見事に言い当てている。世の中が物騒になっているのも深刻な水飢饉が理由の一つである。何不自由なく生活できるわが国は、水道を捻ればいくらでもその恩恵を得られる。その幸いが災いし、この大変な時代になってもこの恩恵に対して敬意を払うことを忘れてしまっている。10年後、この記事の言う通りならば、世界人口の2/3が水が飲めなくなる。最終戦争を予感させるものである。
 日本に生まれて、豊かである恩恵を噛みしめて、私たち一人一人は何をすべきか。真剣に考えるべき時だと思う。

ウォータークライシス(ヘルシングあい便り2005年10月号)
                         
 気になってスクラップしておいた新聞の記事がある。8年も前のものだ。興味を引いたのは21世紀は水不足の世紀という言葉だった。四季を通じてまんべんなく雨が降るわが国にいてはピンと来ないことなのだが右下の大幅に伸びる農業用水のグラフは未来への不安をかきたてた。人口爆発といわれた20世紀。食糧危機が叫ばれる中のささやかな記事は、1997年6月に国連の持続可能開発委員会が国連環境特別総会向けにまとめられたものだった。それが今、まさに現実のものになろうとしている。
 残暑が厳しい8月の終わり、NHKの「ウォーター・クライシス:2回シリーズ」の2週に渡った特集
を見た。石油獲得闘争よりも熾烈であると言われているのが生命としての人間に必須の資源、水をめぐる闘争であり、21世紀は水戦争の時代とも言われている。この強烈な文句は、その内容を見るにつけ大げさな表現ではないことが伝わってくる。
   はっとして数年前のこの新聞記事のことを思い出して部屋中を探し回った。世界の用途別淡水割合は、生活用水10%、工業用水20%、農業用水70%と農業用水が断然多い。その理由は20世紀の百年間に、人口は4倍に増加、農業用水使用量は6倍にも増加したことが原因らしい。特に深刻なのが世界の食料供給源になっているアメリカ中部のオガララ帯水層の地下水の低下。数千年かけて蓄えられてきた地下水がセンターピボット方式により無計画にくみ上げられ、あと20年ほどで枯渇する地点も出始めるという。膨大な地下水を使うのは、肉食牛の飼料とうもろこしの増産である。
とうもろこしは小麦の3倍水を必要するが収入も3倍になるからだ。
食パンの原料の小麦を1キロ作るのには、2トンの水で済むのに、牛肉を1キロ作るのにはその10倍の20トンもの水が使われてしまう。
 年間降水量2000mlにも及ぶわが国が、500ml以下の他の国から食糧を大量に輸入している。
豊富な水に恵まれながら食料自給率40%満たず、小麦やとうもろこしの大半をアメリカから輸入しているわが国は真っ先に影響を受けることになるだろう。
8年前のこの記事は、人類の終焉を予測しているかのように新しい。
覆水盆に返らずとならぬよう願うばかりだ。

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桃栗三年柿八年2015.11.01

  米作り三年目の今年も無事に稲刈りが終わり、あとは籾摺りを残すのみとなりました。昨年は2度も台風で稲架掛けしていた稲が飛ばされたために、それをかき集めに行くのに一苦労したことを思うと、天候一つで事態が急変する大変さ、ましてそれを生活の糧としていたならどうなったことか。自然を相手にすることの難しさと、だからこそ目に見えないことへの信仰、八百万の神様に祈りを捧げる気持ちを肌で感じることができた二年目でした。
  実は今年になって、新城にある四谷千枚田という絶景な場所でもやらないかと声をかけて頂き、無謀にも南知多と2ヶ所を掛け持ちしました。南知多の田んぼは耕作機械が使えない不便な場所なために休耕田となっていたのを、5年ほど前からを名城大学の小池先生が里山を再生させることをゼミの一環として取り組みをはじめられ、そのお手伝いをさせていただいたことがきっかけでした。農業一年生。なりふり構わず見よう見まねで田を起こし、次は田植えと考えている暇などありません。ただ慣れない姿勢で、しかも泥濘でズブっと深く足をとられるために、じわじわ体力が気力を奪っていきます。これでは高齢になれば無理なはず。休耕田になる理由と、農薬や化学肥料を使わないことの大変さが身にしみた一年目でした。しかし、畑ほど手間がかかるわけではありません。田植えをしたら雑草に負けなくなるまで見守っているだけです。週に1、2回程度のこと。それと引き換えに農薬を使う必要あるでしょうか。ましてや田んぼの中には雑草だけではありません。多様な生物が共生しています。その生物たちの生と死の絶え間ないサイクルが、土の養分を豊富にして、また私達の体を形成する食物として還ってくるんです。田植えの時期の5月、水を張った水田ではカエルの合唱が聞こえてきます。命芽吹く時です。その声も除草剤とともにピタッと止まってしまうのです。生き物を殺すんです。毎年自殺者の多い月といえば5月。全国各地で行われる農薬散布の時期と重なることは果たして偶然でしょうか。
  年ごとの色々な出来事が体験となり、また農業を通じて人との出会いもあって、今年の米作りは自分にとって貴重な一年になりました。昔のことわざ通り、桃栗三年柿八年ですね。どんなことでも、成果が出るまでには長い年月がかかるということです。そんなことわざが死語になるくらい農耕を主体とした国家作りが、ここ数十年で一変しました。最も大切な食物は輸入にますますシフトし、山や農耕地は今でも道路やダムなどの公共事業により失われつつあります。では、私たちはこのまま他人のふりをして黙ってみていて良いのでしょうか。
 日本の伝統的な食生活は、長い年月をかけてその素晴らしさを継承してきました。その大切にしてきたものが、ユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、今や日本食=ヘルシーとして世界各国に愛され、ブームが巻き起こっています。その一方で、わが国では農耕の崩壊とともに食の破壊がどんどん進んでいます。こんな馬鹿げたことがありますか。先人が築き上げてきた貴重な風土、食文化、それをただ商売の種としか考えられない浅はかな知恵しか持ち合わせていないとしたら、近い将来間違いなく破綻をきたすことになるでしょう。衣食足りて礼節を知るとは、まさに我が国が一番耳の痛い言葉に違いありません。
 さあ、これから4年目を迎えます。まず、四谷千枚田でスタッフとともに収穫した種子消毒なしで天日干ししたイセヒカリの新米をカフェのランチで週一回ほどご提供させていただこうと考えています。
 そして来年はこの収穫の喜びを、もっと多くの方と分かち合えるよう取り組んでいきたいと思っています。 

アルケミスト(錬金術師)2015.10.01

   最近カフェに来店される外国人の方が増えている。先月初旬のこと、カウンターでまかないを食べていたら、隣で英語で会話している声が聞こえてきた。振り向いてみると、顔の彫りが深い東洋人男性、女性二人は東南アジアを感じさせる雰囲気をしていた。食事を終えたその方々が精算をするためにレジに来ると、一人の女性が流暢な日本語で話し始めた。彼女はビーガン(厳格な菜食主義)のため、食事できるところ探して当店に来てくれたそうだ。とても美味しくて気に入ったと言ってくれた。そして付け加えて言うには、自分はあいち国際女性映画祭にフィリピンのミンダナオ島を舞台にした映画に出演した女優で名前はMaraだと教えてくれた。彫りの深いその男性は彼女のお父さんで徳之島出身の日本人。彼女も6歳まで日本に住んでいたという。その後は海外を転々とし、今はフィリピンに一人で住んでいるそうだ。久しぶりの父親との再会で、はしゃぐという言葉が似合うほど仲が良く終始ご機嫌だった。そしてもう一人の女性はその映画を作った監督だった。是非映画を見に来てくれと強く念を押された。
 翌日、「カナ 夢を織る女」と題したその映画を見るためウィルあいちを訪れた。台本を読んで、主役にどうしてもなりたいと思ったそうだ。大規模な開発が進むミンダナオ島の美しいセブ湖の周辺に住む先住民族であるティボリ族、そこを舞台にした若い二人の悲哀の物語だった。彼女を含めた6名の俳優以外はすべて現地の村人、しかもセリフもティボリ語。3ヶ月という短期間で選ばれた俳優は語学も習得して役に望んだことになるが、そんな素振りすら感じさせない素晴らしい映画だった。 Maraが今回、来日してまず向かったのがブックストアらしい。そこで父親にすすめた本が「アルケミスト」ー夢を旅した少年ーだったという。どうやら大ベストセラーの本らしく、そんな話しを聞いて読まない訳にはいかないので購入した。内容は、羊飼いの少年サンチャゴが、アンダルシアの平原から長い時間を共に過ごした羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えてエジプトのピラミッドへ、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて旅をするものだ。一見、何てことはない内容が、読み進めていくうちにその物語に吸い込まれていった。
 久しぶりに気持ちのいい本に出会った。「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」「前兆に従うこと」など、貴重なメッセージが数多く散りばめられていて、いつか忘れさられていたものを取り戻した気がした。
 あの日に彼女たちが食事に来なければ、こんな素晴らしい本に出会わずに今も暮らしている。別段知らなくても生きていける。しかし豊かな人生を作るということは、瞬間の出会いの糸を紡いでいくことの繰り返しなのかもしれない。繰り返し織りなしていくことで、一層深まった自分に出会う。それが地中にある宝物、本当の自分を見つけることになるのではないだろうか。

「アルケミスト」ー夢を旅した少年ー 角川文庫 パウロ・コエーリョ

フェアトレードタウン認定都市 名古屋2015.09.01

  暗いニュースが多い中、今月の19日に名古屋市が正式なフェアトレードタウンとして認定されることになりました。日本では熊本に続いて2番目になるそうです。タウンという言葉が付くように、名古屋市がフェアトレードの活動を深く理解し、より広くその精神を普及するという役割を担うといわけですから大変明るいニュースです。
 ではフェアトレードとは一体どういうことかを簡単に明記します。
コーヒーや紅茶、バナナやチョコレートなど日常を彩るたくさんの食べ物が世界の国々から私たちの手に届けられています。それらを生産している国、人々のことを考えてみたことはあるでしょうか?
  日本では途上国で生産された日用品や食料品が、驚くほど安い価格で販売されていることがあります。一方生産国ではその安さを生み出すため、正当な対価が生産者に支払われなかったり、生産性を上げるために必要以上の農薬が使用され環境が破壊されたりする事態が起こっています。生産者が美味しくて品質の良いものを作り続けていくためには、生産者の労働環境や生活水準が保証れ、また自然環境にもやさしい配慮がなされる持続可能な取引のサイクルを作っていくことが重要です。
   フェアトレードとは直訳すると「公平な貿易」。つまり、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」をいいます。(フェアトレードジャパンより引用) 私達が日常、何気なく買っている食料品や衣類など、その多くが輸入に依存しています。豊富な品物に
取り囲まれている状況が当たり前になると、私達の神経が麻痺してくるのでしょうか。何の後ろめたさもなく物を廃棄したり、物が安い理由などを考えるより、安いもの安いものへと手をのばす傾向になます。私達はもう十分すぎるほど有り余った生活をしているはずです。私達一人一人が足元を見つめ直さなければ、この広大な地球の資源さえ、ここ数年で食べ尽くしてしまうでしょう。私達の身の回りのものをもう一度見つめ直しませんか。小さな疑問が、私達の生活環境を大きく変える原動力になると思います。
 今回のフェアトレードタウン認定にあたり、ご尽力されたフェアトレード名古屋ネットワーク代表の
原田さとみさんの言葉を最後に一部ですがご紹介させていただきます。
 「国内でも職人仕事が消え、小さな企業、商店が減り、自然の浄化作用を超えた廃棄物で山、森、川、海、自然の環境を壊しています。私達は自然に対しても、地球に対しても、地域に対してもフェアでありたいといの思いから、フェアトレードの理念を広くとらえ、地域に根ざした地産地消、地域活性化、地域貢献というフェア(公正)を目指します。地球から自然の恵み、水、空気、土、光などに対してもフェアに付き合い、美しい地球を未来に残せるように、私達は「地球とのフェアトレード」を理念にフェアトレードを推進しています。フェアトレードタウンとなったこれからがまた始まりです。
皆様とともに取り組むことで、名古屋でのフェアトレード活動を広げ、深めていきたいと思っています」

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