ヘルシングあい便り

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オープンから約1ヶ月が経って2007.05.01

3月上旬の穏やかな気候から一転、下旬からしばらく続いた冷え込みのおかげか、開店当日も
桜の花が、道沿いを淡く染め、その中をたくさんの方々にお越し頂き、また、激励の電報や花束
などで店内を一層明るくして頂きました。この場をおかりして御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
 いままでとの勝手の違いから、開店当初は、皆さまに何かとご不便をおかけしたと思いますが、
何卒お許しくださいますようお願い申し上げます。
 ご来店してくださったかたは御存知のように大変広いスペースです。売り場の奥には、イベントスペースもあります。今月から料理教室も始まりますが、今後このスペースを利用して、ご来店頂いた方に一層喜んで頂けるような企画作りをしてまいりたいと思います。
ご意見、ご提案等ございました、何なりとお申し付け下さいますようお願い申し上げます。

オープンを前に2007.04.01

名古屋城の桜の花が満開を過ぎるころ、4月7日に新店舗をオープンすることになりました。
緑や花が芽吹く季節は、人の心に希望を与えます。そんな心の種が風に乗って新しい地でもしっかり根を下ろせるよう心がけていきたいと思っています。
加藤ヒロ子先生からお店を引き継いで丸11年経った北区のこの地を離れることになり、今まで近隣で通い続けてくださった方々には、ご不便を強いることになってしまいましたことを深くお詫び申し上げます。また、名残惜しいと最後の日まで旧店舗へ足を運んでくださった方や、遠方からわざわざお越し頂いた方、自転車での道のりは遠くなるけど良い運動になるといって注文をしてくださった方、そして多くの方々から激励のお言葉を頂戴し、とても勇気づけられました。
ありがとうございました。
皆様の声援にお答えできるように新店舗でもスタッフ一同、ますます精進してまいりますので、何卒、今後ともよろしくお願い申し上げます。

a thousand winds2007.03.01

 テノール歌手の秋川雅史氏が歌う「千の風になって」が、先月、オリコンのシングルチャートでクラシック系のアーティストでは初めての首位になったという。昨年のNHK紅白にも出演したそうだが、世間で騒がれていても、興味がないとは不思議なものだ。メロディーを聞いたことがあったくらいで、その歌にまつわる詳しいことは知らなかった。その詞は、アメリカが発祥とされているが、作詞者も不明。近親者の死、追悼、喪の機会に読み継がれて来た有名な詩を、日本では新井満氏が訳詩をつけたという。米国9・11の同時多発テロで、父親を亡くした11歳の少女が一周忌に朗読したことで、より知られるようになったそうだが、つい最近になって、初めてテレビでその歌を始めから終わりまで聞く機会を得た。聴き終わって、ふと疑問が頭をよぎった。確かに人の心を揺さぶる曲だが、今一番ヒットしているという現象が、事実ながら腑に落ちない。故人が語る詩を、ふだん聞きなれないテノールで、しかもメジャーな歌手が歌っているわけではないのだ。過去にこのような形で、茶の間に受け入れられたことがあっただろうか。また、原語の詩に、千の風・・a thousand windsとあるが、これはどういう意味なのだろうか。決して穿った見方をしている訳ではないが、自分なりに落としどころを見つけたかったのかもしれない。いろいろ調べたところ、分かる限りで、一つだけこれではないかという答えに行き着いた。仏教でいう千手観音菩薩の、その千という意味が、「無限の意味で、無限の慈悲ですべての人々と生き物を救うことを表わす」とあったのだ。a thousand winds 本当の意味はどうであれ、この言葉が、世界の垣根を越えて、今、我々の前に、一つの旋律となって受け入れられている。
 話しは変わるが、映画「千と千尋の神隠し」をご覧になった方は多くいると思う。その内容は千尋と両親が、バブル時代の遺物であるテーマパークに迷い込んだことから始まる。ある露天先に多くの料理を目にするのだが、そこに店主はいない。後で金さえ払えば良いといって勝手に食べ始めようとする両親に千尋は困惑し、注意を促すが、そんなことはお構いなしに食べ始める。
地団駄を踏んで抵抗するが、むなしくその場から去る千尋。不安になって後で戻ってくると、なんと両親は豚になっていたのだった。両親を救い、しかも迷い込んだその異次元で生きるためには、魔法をかけた魔女が経営する油屋で、汗水流して働くのが唯一の手段だった。その希望はかなったが、千尋の一字「尋」を魔女に取られて「千」という名前をつけられた。八百万の神が体を休めるために集う油屋で働く千。物欲はそんなところで働くものたちをも支配していた。欲や金品に群がるものがいる中で、一人黙々と両親を助けたいと一心で働く千。そんな健気な真心が通じて、とうとう両親の魔法が解けるのであった。時代が生みだした物質欲の成れの果てと、相反して失われようとしているひたむきな、無垢な心を、一人の少女を主人公に表現したこの作品は、国内の賞を総なめにしたのみでなく、アメリカにおいてもアカデミー長編アニメ賞を受賞するなど、多くの反響をよんだ作品となった。
千という言葉が結びつけたこの二つの事柄に、強い磁力を感じながら、無理やり双方を結び付けようとしている。多少強引だが、和洋を超えて、人々に深い感銘を与えていることは事実だ。
そして、それは、長い間かかった和洋の雪解けを感じずにはいられない。それは、物質欲の成れの果てが分かったもの同士なのかもしれない。

移転することに決めました2007.02.01

ヘルシングあいを加藤ヒロ子先生が開業保健婦として開店したのは今から16年前のことです。その頃私は、この店に出入りする一業者でした。それが開店から5年後のこと、突如、ヒロ子先生の遺志を受けてこのお店を引き継ぐことになったのでした。それまでの健康相談が中心だったお店から一転、物販を中心にやっていくことになったのですが、当初は、店舗で2階という立地上不利な状況の中、本当にやっていけるのかどうかの不安は相当なものでした。しかし、多くのお客様から励ましをいただき、よきスタッフに恵まれて、何とか今日まで来ることができました。感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。
多くの思い出が詰まったこの場所を離れる決断を、よもや自分がするとは思いませんでした。
今年に入って間もなくのこと、西区にあるポカラさんが閉店すると聞いたのがきっかけでした。お店の正面に駐車場が3台置ける1階のテナントで、近隣に有料でも駐車できる場所が多いところで、移転するには好条件だったのです。駐車の取締りが厳しくなって、今現在、離れたところに3台借りてはいますが、気楽にご来店いただくには周りにそれ以上のパーキングがないため相当なご不便をかけている現状です。
その点、新しい店舗では安心してご利用いただけそうです。また一方で、昨年、当ビルの経営権が、外資系ファンドに変わりました。今後の成り行きでは、転売した先の運営如何で、どういう状況になるかわからないことも頭に入れておかなければならず、そういった表裏でめまぐるしく動く事情も背中を押して、移転することを決断いたしました。近隣で、自転車や歩いてもお越しいただいているお客様には、大変申し訳ないことと痛感しておりますが、どうかお許しくださいませ。
今月中に、詳細がお知らせできると思いますが、今の予定では、4月初旬移転先での開店予定をしています。移転に伴う準備で、喫茶の営業は2月いっぱいとさせていただきます。勝手な当方の都合で申し訳ごさいませんが、何卒御容赦くださいますようお願い申し上げます。

デトックス(排毒)2007.01.01

 昨年は、デトックス「排毒」がブームとなった。病気の原因が毒素をため込むことのように、社会もまた、ため込んでいた毒素を吐き出すかのように、内外さまざまな問題を噴出した年だった。今まで問題にされなかったところにも光が当てられ、その盲点となっていたものが明らかになったことで、それらはますます深い意味を持って問いかけてくるようである。ブームといえば、不思議と火をつけるものは海外からやってくるようだ。もともと国内の良いとされているものは日の目を見ず、海外から違う形に加工されて国内で火がつくものが多い。最近のマクロブームもそのいい例ではないだろうか。食養生としてのマクロビオティックより、おしゃれな菜食生活のイメージと変化して戻ってきた気がする。
 そんなことをふと思っていると以前読んだ今村光一氏の本を思い出した(アメリカ上院栄養問題特別委員会レポート -いまの食生活では早死にする)。今から30年も前に、アメリカで国費を投入されて行われた調査研究レポートの内容である。当時のアメリカでは、心臓病の死亡率が一位で、がんは二位。心臓病だけでアメリカの経済はパンクしかねないと言われるほど医療費が増大していた(30年前の医療費が約25兆円)。そんな財政的危機を何とか打開するため、医療改革の一環として、上院に「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」が設置され、全世界から選りすぐりの医学・栄養学者が集められ、「食事(栄養)と健康・慢性疾患の関係」について、世界的規模での調査・研究が7年間の歳月と数千万ドルの国費を投入して行なわれたのがそれである。5000ページに及ぶ膨大な報告を「上院レポート」又は委員長の名前をとって「マクガバンレポート」と呼んだ。要約すると、高カロリー・高脂肪の食品つまり肉・乳製品・卵といった動物性食品を減らし、できるだけ製しない穀物や野菜・果物を多く摂るようにと勧告している。肉の摂取量が増えると乳がん・子宮内膜がん・前立腺がん・結腸・直腸がん・膵がん・胃がんなどの発生率が高まる恐れがある」として、これまでの西洋的な食事では、病気と脂肪・タンパク摂取量との相関関係は非常に高いと述べているのだ。最も理想的な食事は、伝統的な日本人の食事であることが明記されている。伝統的な日本の食事というと結局は、精白しない殻類を主食とした季節の野菜や海草や小さな魚介類といった内容である。いまや、この内容は当然知るところとされているが、その西洋的食事にどっぷりと浸かってしまい、理想的な日本の食事を忘れ去ってしまったのが、我々日本人というのではあまりに皮肉ではないだろうか。しかし幸い、このマクロブームは、本来の伝統的日本の食事を復活できるカギを握っている。新しい年に、少しでもその復活に助力できるよう努めたいと考えている。

参考著書:アメリカ上院栄養問題特別委員会レポート
いまの食生活では早死にする?自分の健康を守るための指針 (新書) 今村 光一 (翻訳)

ちょい太? がいい2006.12.01

車で移動中、ラジオから聞こえてきた話しだった。ちょい太がいい?何のことかと思い耳を傾けた。そう提唱していたのは、後で調べて分かったのだが、諏訪中央病医院の院長鎌田實氏の話しだった。その内容は興味深いものだった。30年ほど前、その病院に赴任してきた時の長野県は、脳卒中死亡率が秋田に次いで全国2位の高さ、平均寿命が全国平均以下だったそうだ。その長野県が、鎌田氏が取り組んだといってもいい医療改革により、いまや男女合わせて日本一の長寿県となり、しかも老人医療費が全国一位の低さになったという。一体何がそうさせたのだろうか。疑問だけが頭に持ちあがるが話しは続いていた。長野と代わるように、沖縄が長寿日本一から脱落したという。原因は、日本一多いファーストフードの数だというから驚いた。当然、肉類の消費量は第一位だそうだ。その一方で四方海に囲まれながら、全国で最も魚を食べなくなったという。気候に恵まれているので年中豊富な野菜や果物が手に入るが、これらも一番食べない所となってしまったらしい。ちょっと前まで、沖縄の伝統食が長寿の秘訣にあるといい、ゴーヤなどの野菜や豚肉を使った料理、魚、海藻、大豆製品をバランスよく使ったメニューが番組を飾っていた。その長寿一沖縄が、一昨年には肥満度全国一へと変貌してしまったというのだ。
 ちょい太という言葉を頼りに調べると、意外や簡単に検索できた。「ちょい太でだいじょうぶ」という本が出版されていて、先の内容は著者が語ったものだった。その本を取り寄せて読むと、疑問だった改革のなぞが解けた。保健婦さんや地域のヘルスボランティアと共に生活指導に出かけていっては、野菜(食物繊維)や魚を多く、海藻ときのこ、大豆をとって、肉や塩を少し減らして、運動をすることを丁寧に指導したという。なるべく薬を出さず、生活習慣を代えることによって病気を治す。病気にならない体にすることに重点を置き、医療に頼らないようにするための「健康づくり運動」の取り組みが、やがて大きな実を結んだのだった。30年前といえば栄養重視で肥満児もよしとしたような当時の風潮の中である。このような運動を根付かせることは並大抵の苦労ではなかっただろう。そのおかげでこの長野と沖縄の例は、食生活の大切さのみならず、偏った食生活がやがて訪れる行く末を示してくれているのだ。
 気になる「ちょい太」という言葉だが、年末年始の暴飲暴食シーズンにはちょいと嬉しい話かもしれない。厚生労働省の10年間の追跡調査の結果、もっとも長生きできるのは、BMI(体脂肪を表す指数で体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)で表された数値)は、23.0~24.9であるという。ちなみに私の場合は、67÷1.73÷1.73=22.38で、若干低いくらいだ。もう少し太っていたほうが長生きできる数値となる。死亡率の高い数値は、BMIが18.9よりも低い「やせ」ている人で、肥満の人よりも死亡率が高いらしい。筆者はさまざまな調査を考え合わせると、男女ともBMI24~26くらいが、病気にならない健康なちょい太と語っている。ダイエットブームで健康や美容のためなら死んでもいいという言葉が作られるくらい世間はどうかしているが、長い目で見ると、健康で長生きとは「健康づくり運動」が示すとおり、至ってシンプルで当たり前のところに落ち着くようである。年の瀬に迎い、先の健康づくりと、BMIの数値を見ながら健康管理してみてはいかがだろう。

新庄劇場2006.11.01

 52年ぶりの日本一に、今年ほど期待のかかる年はなかった。ナゴヤドームでの初戦を制し、これは楽勝かと思いきや、予想外の4連敗で、地元名古屋に帰る間もなくあっけなく日本シリーズは終わった。それを応援したラジオ放送では、3連敗して日本ハムに大手がかかっていても、「ハムカツサンド?」ハム勝つ三度!と洒落をいって笑わす余裕があった。3勝はしても4勝は出来ないということだ。思わずしきりにうなずいて中日のうっちゃりに期待したのだが、結局勢いは止められなかった。
 今年のプロ野球を振り返れば、まさに新庄劇場と言わざるを得ない。ペナントレースが始まったばかりの4月に突然の今年限りの引退発表をした。監督やチームメイトにも寝耳に水の話だったそうだ。レースも序盤、チームのことを考えると悪影響が出たりするのだが、逆に日本ハムは快進撃を進める。中盤では破竹の11連勝(球団最多タイ記録)を記録、終盤になってもその勢いは衰えず、堂々のリーグ優勝。日本シリーズに乗り込んできた。そしてそのシリーズにおいても大きな存在感となって中日を圧倒したのである。
 5年前、新庄は、阪神の提示した5年12億年(推定)という破格な年棒を蹴って、2200万円(推定)の大減俸となってメジャーリーグに挑戦する。金額の桁を間違えて契約をしてしまったと語っていたのが印象的だが、ここでも新庄劇場の断片は存在する。メジャーリーグのスタメンで4番を打つ日本人初の選手となり、さらには優勝争いにまで浮上したメッツで4番を張りつづける新庄の勝負強さにあやかろうと、メッツのロッカールームではナインが試合前に新庄の椅子に手を当ててからグランドに出る光景が見られたそうだ。メジャーでもそのパフォーマンスぶりをあげたらきりがないだろう。あるインタビューで「記録はイチローくんにまかせて、記憶はボクにまかせて」と言った言葉はまんざらでもない。
 過去、メジャーリーグに挑戦した日本人投手が、試合の中でピンチを招いたとき、ピッチングコーチが駆け寄り、一声「楽しんでるか?」とその投手に問いかけたそうだ。普通ならこの大変なときに何を言ってやがると言うことになるだろう。しかし、その時日本とメジャーの気持ちの置き方の違いにハッと気づき、だから自分は、遠くからこの場に臨んでやってきたんだと後年語っている。
 「楽しむ」この簡単そうで難しい言葉の響きが、今年の日本シリーズの明暗を分けたことは、だれの目から見ても明らかだろう。楽しむというあたかも神秘的な響きが、新庄からチームへ、そしてファンへと大きなうねりになって一つの劇場を作り上げ、最後まで演じきってしまったのではないだろうか。
 話しは変わるが、好きな言葉の一つに塞翁が馬という言葉がある。人生の吉凶禍福は転変が激しく予測ができないということだ。何事も自分の思った方向には決してすんなり行くものではない。すんなり行くどころか、自分の意思とは正反対のことでもしなければならないときがある。ところが存外、そのことが後で役立ったりするものだ。予測できないことだから不安があり、反面楽しみもある。後で考えてみればその一瞬を、楽しむ心持で接することが出来たら、一層豊かな生き方ができるのではないか。夜長の大敗を引きずって飲み続けているほろ酔い時に、ふと思ったのだった。

2006.10.01

 秋の夜長、晩の心地よい涼風にうとうとしていたところを、役所広司がしきりに語りかけてくる。思わずハッとすると、それは時々見る番組「ガイアの夜明け」(テレビ愛知)が始まるところだった。「なぜ買収は失敗したのか?~独占取材!敵対的買収の裏側~」というテーマに、寝むけがまた襲ってきたのだが、その買収が、製紙業界1位の王子製紙が仕掛けた業界6位・北越製紙への敵対的買収と分かったため、体は休息に向かいつつも、頭だけが画面に向かって覚醒していた。別段、大きな関心があったわけではない。ただ、どうしてメディアにあれほど騒がれたのかを知りたかったからだ。
 製紙業界は、この10年間に人口減少に伴う紙の需要の低下や、輸入紙の流入など、安穏としてはいられない状況が続いているそうだ。その危機感の表れが、大がかりな企業統合、事業再編といった動きにつながっているらしい。業界1位の王子製紙が買収しようとした理由も、北越製紙が持つ最新技術の工場に魅力を感じたからだという。しかしその一方で、業界が混沌とする中においても、高い技術で自主独立を守りたいと考えた北越製紙は、その要請を跳ね除けたのだ。地域(新潟県)に根ざした企業の存続が問われる中、地元の商工会をはじめとした地元企業が呼応するように北越株の買い増しに動いた。いくら儲かったという資本主義的な企業の価値感で売り買いをするという考えではなく、言うなら企業の志が、資本の論理を打ち砕いだことになるのだろう。そんな内容を見ながら、長岡という地名もあってか、司馬遼太郎の「峠」という明治維新の動乱期、長岡藩の舵取りをした河井継之助を描いた長編小説の記憶が重なった。
 その当時の日本は、各藩が幕府を核としてそれぞれの国家を形成していたと思ったほうが分かりやすい。新しい時代への期待と同時に、核が分裂するように、尊皇攘夷を掲げる新政府軍となる国家軍と、徳川旧幕府軍を支える国家軍との国内戦争(戊辰戦争)が勃発する。海外の列強諸国は、武器の調達に協力しながら内戦により国力の衰えを首を長くして待っている状況に、日本の未来に危惧を抱いた継之助は殺される覚悟で朝廷に内戦回避の建言書を提出する。しかし、受け入れられることはなかった。時代は継之助を孤立へと追いやっていく。戦乱へ突入していく中、旧幕府勢力が次々と寝返るのを見た継之助は、江戸の藩邸全財産を処分し、その金で暴落した米を買って函館へ運んで売り、また新潟との為替差益にも目をつけ軍資金を増やした。それを当時の日本には3機しか輸入されていなかったガトリング砲2機、フランス製の2,000挺の最新式銃などの最新兵器を購入し、長岡藩を武装中立という永世中立を国是とするスイスのような国にしようと決意した。軍備を充実させる一方で、継之助は事を平和に解決しようと東奔西走し、小千谷にかまえた西軍の軍監岩村精一郎と慈眼寺において談判する(小千谷談判)のだが決裂し、ここにおいて長岡藩は参戦に踏み切ることになる。結果は歴史が示すとおり、当初は最新兵器の武装と、巧みな用兵により新政府軍の大軍と互角に戦ったが、絶対的な兵力に劣る長岡軍は次第に劣勢となり敗戦に追いやられ、左膝に流れ弾を受け重傷を負った継之助も、破傷風により死去(享年42歳)する。
 武装による永世中立という高い志を目指したが、結果として長岡を焼け野原にした責任は賛否両論あってしかりだ。しかし、だれもがいつも明るい道を歩き続けて目的地にたどり着けるとは限らない。一寸先は闇の暗い峠のような道を進まなければならないときもある。一つの時代に志という明かりを頼りに進み続けた河井継之助という人物に光を当てた司馬遼太郎の小説と、今回の買収劇が妙に重なり合って、思わずあっぱれ長岡藩と、小躍りしたい気持ちに駆られた。
 敗戦後、復興を目指す長岡藩から新しい息吹が生まれる。国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。目先のことばかりにとらわれず、明日をよくしようとした米百俵の精神である。それは今回の出来事にも感じられたのではないだろうか。

参考著書:「峠」司馬遼太郎  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

秋の七草2006.09.01


肌を刺すような日差しも徐々に秋の気配に移り変わろうとしている。例年通りの暑い夏だったのだが
、ほっと一息ついたこれからのほうが体調を崩しやすいので気をつけなくてはならない。長く続いた暑
さのせいで胃の消化機能が低下して、食欲不振の人も多かっただろう。栄養の吸収が悪くなり、ビタミ
ン、ミネラル、たんぱく質といった、身体に必要な栄養素が不足し、夏バテ特有の症状が出やすくなる
のはこれからだ。その上、ビールやジュースなど冷たい飲み物をとりすぎて、胃腸が冷えてしまい、胃
の働きが低下し、ますます食欲がなくなってしまう。そのうち乾燥した秋の冷たい空気に覆われるから
体もたまったものではない。
 今年は、プール熱が流行したようだ(一昨年から患者数が大きく増加した)。原因は、主にアデノウ
イルスという。症状は39℃前後の発熱、咽頭痛、結膜炎、嘔吐や下痢を伴うこともあり、発熱は3~
7日間程度続く。特別治療法はないそうだ。さらに休む暇もなく、O-157でご承知の腸管出血性大
腸菌感染症が増えるというので感染症センターなどの機関が注意を呼びかけている。今までウイルスや
感染症といっても怖いのは冬場のインフルエンザくらいだったのにいつの間にか、年中何者かによる感
染の恐怖にさらされるようになってしまった。
 それらの犠牲にならないためにも、弱った体に、抵抗力を取り戻すことが重要だ。抵抗力は、腸内細
菌の働きが大きく関係している。以下は、保健学博士の菅原明子氏の言葉を引用させていただく。
「腸内は酸性だとビタミン、ミネラルの吸収が良いため、ビフィズス菌などの善玉菌が自ら酢酸を生産
して、腸を酸性に保つ。逆に、腸が腐敗してアンモニアが増えれば腸はアルカリ性になり、悪玉菌が増
え、活性酸素を多く発生させる。・・ 腸内細菌を活発にするために、食物繊維などのセルローズ系の
ものは、乳酸菌などの善玉菌の繁殖条件になるので努めて摂取したい。」
 腸内が常に酸性に保たれていれば、感染症の阻止に大きく働くということは、きちんとした食生活が
ウイルスや感染症から少なからず身の危険を守ってくれるということだ。
 「やまはぎ、すすき、くず、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、ききょう」と秋の七草に挙げられ
る野草は、整腸剤としての春の七草に対し、体を温め風邪を予防する意味があるという。季節の変わり
を敏感に感じた先人の養生訓に従い、七草とはいわないまでも、ゴボウなどの食物繊維をたっぷり含ん
だ旬の献立で、食卓をにぎわせてはいかがだろうか。

参考著書:「ウイルスの時代がやってくる」保健学博士・菅原明子著 出版社:第二海援隊

インターシップ2006.08.01

 4年ほど前からだろうか、商業高校の学生の就業体験(インターシップ・・学生が在学中に自らの専攻将来のキャリアに関連した就業体験を行うこと)を受け入れている。全国の高校や大学に広まりつつあるその制度は、日本では1997年ごろから始まったばかりで、インターシップ先進国であるアメリカ合衆国では、20世紀初頭からいくつかの大学が導入を開始し、1950年代から本格化しはじめてたとのことだ。1980年代後半においては、全米の90%の大学がインターンシップをカリキュラムに取り入れ、70%の学生が卒業までにインターンシップを経験するにいたっているそうで、企業と学生にとっては相互にお見合いが出来る利点があり、就職後に「こんなはずではなかった!」とお互いの思惑がはずれないためにも良い制度であるらしい。
 毎年、高校2年生の2名が2日間夏休みに体験にやってくる。今年も行われた。ただ、まだ2年生いうから進路も定まっていないだろう。いや自分のことを例にとれば一番高校生活で遊んだ思い出のある学年だ。進学するにも時間のゆとりがある。就職しようにも何をしたいか分からない。とりあえず、遊ぶために学校の目を忍んではアルバイトをしていた。こんな不届きな学生ばかりではないと思うが、今考えてみるとその経験も結構役に立ったと思っている。当時のアルバイトといえば、手っ取り早いのがレストランの皿洗い。自分の部屋の掃除も儘ならぬものが、残飯から、床掃除、油の清掃まで、キレイといわれる仕事には縁がなく、ひたすらキレイにする仕事をし続けた。その分、初めてお金を得た喜びは大きかったし、そのアルバイトを通じて知り合った年齢差のある方々との交流も高校を卒業した後も続いたのだった。
 話しは横道にそれたが、今年就業体験した生徒の感想を読んでいて、初めて受け入れて良かったと感じた内容を目にした。毎年、感想といえば、疲れたとか、緊張した、楽しかったという自分が体験した感情を書く生徒が多い。それは体験して学ぼうというよりは、受身でやらされている感情のほうが強いからだろう。無理もないことだとは思うが、それでは肉体的な疲労感だけで終わってしまう。何年続けても意味がない。むしろ積極的にアルバイトでもして世間の風に当たったほうが何倍も本人の役に立つのではないだろうかと、ふとそう思ってしまうのである。ところが先の一人の生徒の感想は、その日は、商品棚の掃除をしてもらったのだが、それをしながら商品のポップを一枚一枚読んでいったとある。この商品はどういうものなのかを掃除をしながら読み続けたらしい。そしてそのポップを作るまでの手間暇の大変さも付け加えられていた。たった2日間の体験で、山積する雑用が仕事という物事を成り立たせているということを感じとってくれたことに思わず嬉しさがこみ上げてきたのだ。きっとその生徒は、どんな職業に就いてもその仕事に価値を見出すだろう。その生徒の担任の先生にでもなった気分がしたのだった。
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