ヘルシングあい便り

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K氏のその後2009.07.01

早朝、携帯電話の音がけたたましく鳴り響いた。5時ごろだから当然だ。何かと思って表示を確認すると、以前にもご紹介した病気の問屋K氏からである。 ひょっとしてご家族から悲報の連絡かと思って、怖々出てみると、「おい、どういうことや。笑っ笑。」電話口の向こうでゲラゲラ笑っている。心の準備をした のも馬鹿らしくなったが、一体何事か問いただしてみると、どうやら、本当に早起きしてウォーキングをしているのか確かめたのだという。そして畳みかけるよ うに、朝食抜きなど馬鹿げたことを言うな、理由を聞かせろと迫って来たのだ。この当たりの神経は、さすが人のことはお構いなしで、片っ端から情報源を探る 元新聞記者の姿勢そのものである。
大手術をした昨年の10月以降、たまにメールが来ては返信していたが、ひょっこり店に顔を出したのは、つい一週間前のことだった。大柄だった体は、食事 制限もあってかなりほっそりしたが、以前より足の運びが軽いように見えた。会って早々、編集長時代の口癖「何かいい話はないか。」が、第一声だった。あ れほど健康に全く無関心だったのに、健康法についていろいろ聞いてくる。取材でも受けているように付きまとうのだ。その理由は後で分かった。退院後、チャ ンプという名でさまざまなブログに記事を書いているという。つい最近では、戦国時代の武将、竹中半兵衛の史跡めぐりや、名古屋扇子について取材したそうだ (以外にも、名古屋は京都と並んで扇子の産地らしい)。さまざまな地を訪れ、人とふれあい、それをブログに掲載しているらしいが、それが本人曰く大好評だ という。以前の仕事柄、まさに水を得た魚で、週に3回の透析治療以外は、寝る間も惜しんで取材記事や写真を、アップしているそうだ。そして、次の記事の矛 先が、こちらに向けられたのだった。朝食抜きと銘打って書かれた記事は、猛反発のコメントとなって帰ってきたという。反論記事がほしいというが、やっても いない人が書いても説得力がないのは当たり前のことだろう。それより、一連の話しの中で、大切なものを学ばせてもらった気がする。それは、健康とは、食事 も運動も大切なことは勿論だが、その司令塔である精神があってこそうまく機能するようにできているということだ。いくら健康に注意しても、精神が病んでい ては、体は言うことを聞いてくれないだろう。たとえは悪いが、暗雲の中の片肺飛行でも、目標を見定めている見事なK氏の操縦法に心から敬意を表したい。

感染列島2009.06.01

メキシコで発症した豚インフルエンザは、時間とともに過熱な報道となって日本に上陸した。まさしく映画の感染列島前夜である。マスクはすぐさま底をつき、海外からの入国者にはするどい視線が向けられ、風邪症状の患者を受け入れ拒否する病院や、そんな状況を逆にあおるようなCMに総理自ら出演して加担する始末だ。状況が分からないから情報がほしい。それを公表しないで、落ち着けと言って、だれが落ち着けるだろうか。感染とは、まさしく恐怖の感染である。それが先走り、周りを巻き込むのである。何よりあれだけあおったメディアも、その後は知らん顔のようである。メディアの存在価値とは、真実により近い情報を、リアルタイムで知らせることである。一番知りたい情報は後回しにしておきながら、不確定な情報で誘導し、後になって責任を避ける報道がまかり通るなら、存在価値など一利もないのではないだろうか。
 時間の経過とともに、事実がちらほら新聞の小さな紙面に掲載され始めた。ネット上では、より詳細な情報が次々アップされている。それを垣間見るに、今回も狂牛病の時と同じような、多国籍企業によるずさんな衛生管理が問題視されている。生き物を工業化し、糞尿や抗生物質まみれの豚を売りさばく一方で、死骸が放置されるなどの周辺地域の汚染が、今回のインフルエンザの原因となっているというのだ。牛や、鳥に続き、畜産の過度な工業化が公衆衛生にもたらす大きな氷山の、まだほんの一角かもしれない。一方、米疾病対策センターによると、1957年以前に生まれた中高年層が新型への免疫を持つ可能性があるとの見解を明らかにしたようである。いずれにせよ、疾病に負けない抵抗力をつけることが一番の早道であるとともに、当然のことだが、このような会社が生み出す商品には決して手をつけないことである。どうやら、自然豚という文句で国内にも相当輸入されているようなので気をつけたい。そして、病原菌の好物である砂糖を控え、塩気を補うことを忘れないようにしたい。
 話しは少し変わるが、平日の朝4時ごろから東海テレビで放映されている伊勢神宮の四季という番組がある。その時間帯は、モアイ島や名古屋城などの映像と、日替わりで繰り返し放映されている。全国10万の神社の総氏神である伊勢神宮で、1300年にわたって1年に千数百もの神事・祭儀が行われているそうだ。毎日朝夕毎に神饌が奉られ、特別に調製された御飯・御塩や乾鰹などが供される。累々と一日2食であったことが示されていると共に、主食である米を授かったという事実の伝承を、祭事を通して今まで受け継がれていることに、思わず畏敬の念を感じた。そして主食、食べ物の重要性を、改めて感じずにはいられなかった。伝承が途絶えていくなかで、依然と厳かに続く儀式。そこにスポットをあてるのもメディアの仕事である。時間帯はさておき、こんな感染なら一人でも多く広めたいと思う。
参考:伊勢神宮の衣食住 角川ソフィア文庫  インフルエンザA型 Attcフランス農民連盟

過ぎたるは・・・2009.05.01

ずいぶんと前のこと、さぞかし喜ばれるだろうと思い、当時は評判だったパン工房の詰め合わせをお祝いに贈ったことがある。健康に気を使われている方だったので材料も吟味してのことだった。評価は当然のことながら良かったが、最後に言われた一言をこの時期にふと思い出す。「美味しすぎて、ついつい食べすぎちゃうのよ」。健康に携わる者として、あえて苦言をしていただいたのだが、当時はその言葉の意味を深く理解できなかった。その頃はグルメブーム、テレビをつければ、毎日のように美食の映像が映し出されていた。いくらでも食べれる年令だったので、先頭を切って美味しすぎる店を巡っていた。当然、体も不調になるが、それが食べ物が原因であるとは思っても見なかった頃だった。
 朝食抜きにして、かれこれ10年以上になる。よく言われるような脳に血液が回らないなどと言うことはない。体は軽く、程よい空腹感で昼食を迎えられるのが何より心地良い。以前は、空腹すら感じなかった。食事を減らすことで、過ぎることの害を初めて体感したきっかけかもしれない。しかし、過ぎたるものへの誘惑を断ち切るのは難しい。だからせめて体調に不安がある方には、朝食抜きをおすすめしたい。西勝造氏の朝食無用論によると、朝食をとり始めた歴史は世界的にもまだ浅いらしい。それまでは一食、ないしは二食だった訳だ。ではなぜ、朝食抜きがよいのか?この本に分かりやすく書いてあるのでそれを簡単に記したい。午前中は、前日の疲労物質や毒素、就寝中に修繕されて有害な細菌や物質を消毒したもの、食事でとった食物の分解できなかったもの、腸内にある食物の残滓物や毒物などを排泄する時間であるという。朝食をとることによって、せっかく貴重な排泄に使われるエネルギーが、胃などに分散され、排泄されるべき毒素などが体内に残ってしまうというのである。分かっていても、のどもと過ぎれば何とやらが普通だが、一生休みなく働き続けている体のことを考えれば、少しは休息させたいと思うのが人情で、それが自分のことなら尚更やってみる価値があるのではないだろうか。
 今日も毎日のように健康に良いといわれているものが取り上げられ、いろいろな学者がその都度出てきては効能効果を訴える。視聴者はそれを買いあさり、一時的に市場から物がなくなる。では、果たしてそれで効いている人はいたのだろうか。効いていれば毎日のように手を変え品を変え取りあげる必要もないだろう。かえって、むやみにとりすぎたことよって病気になっていることのほうが多いのではないだろうか。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の言葉通り、何事も過ぎぬようにと教えて頂いた言葉が、ふとよみがえる。
参考著書:二食主義健康法 朝食無用論 西 勝造著

ウサギ(△)とかめ(▽)2009.04.01

毎朝の日課となった約5kmのウォーキングも、早いもので2ヶ月が過ぎた。はじめた当初は体が温まるまでは凍えるような寒さの中だった。意外だったのは、歩くだけとはいえ、なかなか体が言うことを聞かなかったことだ。足の甲やら、股関節が痛くなったり、ふくらはぎが張るなど、長年の運動不足のツケが毎日のように襲ってきた。寒さとこのツケにしばらく苦しめられたが、そのうち少しずつ体調に変化が現れ始めた。歩くことで体は軽くなり、疲れにくくなったのだ。この間特に食事を気をつけていることも大きな要因と思うが、顕著にしたのは、これが原因だろう。
 時間にして約50分ほどのウォーキングの時間は、運動以外に、頭の整理に大いに役立っている。つい先日のこと、ふと頭をよぎったことがある。イソップ童話のウサギとかめの話しだ。この教訓は、ご存知の通り、自信過剰で思い上がり、油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く歩みが遅くとも、脇道に反れず着実に真っ直ぐ進む事で、最終的に大きな成果を得ることができる。という事を著したものだろう。しかし、このウサギとかめを、運動の違いに当てはめると面白いことが浮かんできたのだ。ウサギをジョギング、かめの方をウォーキングとすると、この違いは何か。いつも歩いている横を駆けていくランナーは、大きく息を弾ませている。ジョギングは心臓に負担をかける動脈運動だ。一方のウォーキングは、今日も隣りを鼻歌交じりで歩いているご高齢の方が良い例で、これは心臓に負担をかけない静脈運動になる。だから、鼻歌を歌ったり、世間話をしながらでも余裕で歩けるのだ。しかも、大きな利点として、ふくらはぎの下腿三頭筋などは下肢の筋ポンプ作用といい、心臓に戻る血液を促す働きに大きく作用するのである。
 この二つの運動の特性を陰陽でわかりやすく表したのがこの物語ではないだろうか。陽性が動脈であり、陰性が静脈である。この相反する作用をこの物語りに当てはめると、うさぎ(陽性な運動)は瞬発力がある反面、持続性がない。一方、かめ(陰性な運動)は、瞬発力はないが持続力がある。更に、陰極まって陽転すという言葉が示すとおり、地味なことでも毎日コツコツ積み重ねることが、時には大きな成果を成し遂げることもできるということを暗示したものと感じたのだ。
 絶えることがないダイエットブームも思えば過激な運動が目につく。大きな陽は大きな陰を引き付ける。これは、休息や、継続性の困難を意味する、それに引き換え、教材やジムに行く費用もかけず、しかも穏やかな春の風を感じ、桜のつぼみが一日一日大きくなり、開花していく姿を見る機会に恵まれながら、この2ヶ月間のウォーキングだけで何と4キロも体重が落ちた。これこそ地味だがささやかな陽転のおかげではないだろうか。

キャプテンの悲報2009.03.01

一枚の葉書きが、不意に届いた。それは、悲報を知らせるものだった。新聞等でも連日に渡って掲載されたことでご存知の方も多いと思う。エリカ号で世界一周を果たし、その後、地球冒険塾という更なる夢の実現に思いをはせていた長江裕明さんの悲しい死の知らせだった。
 思い出されるのは出会い当時のこと。その時の飲み仲間というと決まって、今は定年して時折メールのやり取りをするだけとなった病気の問屋?K氏である。そのK氏が、あこがれて止まない人がいるという。その人に会いに行こうといって、連れて行かれたのが、キャプテンズダイナーという飲食店だった。船上を思わせる入口を通って中に入ると、大海原を滑走するヨットが、まるでこちらにせまってくるような臨場感を大型スクリーンが映し出している。大きな丸テーブルには大皿料理が並び、広い店内は、お客であふれていた。まるで船上の大宴会のようだった。その中をかき分けて、ダンディーな男性が近づいてきた。「や~!ようこそ」大柄なK氏が目立ったのだろう、清々しい笑顔で迎えてくれたその人が長江さんだった。食事をしていると、催促するように個室に案内された。地球冒険塾と書かれた部屋の中は、数々の海やヨットの写真、模型や本が点在する異空間だった。時間が経つにつれて、別世界に引き込まれたような、この感覚をあえて例えるならば、ディズニーランドのアドベンチャーランドにでもいるような感じと言ったらいいだろうか。長江さんは、長い航海の話しを時折冗談を交えながら語り続けていた。話題が、次の夢である地球冒険塾に移るとますます話しはヒートアップした。それは、なんと高校生を主体とした若者達が自分達の手でヨットを操船し、世界を航海するという。そして、その様子はドキュメンタリーにして、全国の学校や公共の場で上映し、多くの若者達に夢や勇気、希望を持つ機会にしたい、という壮大なものだった。
 夢の実現に奔走している最中、持病の心臓の患いが悪化し、奇跡的に回復を果たしたが、余命10年を告げられた。しかしそれでも、夢の実現を諦めることなく、4年程前には、海洋ゴミ、漂着ゴミ等の現状調査を目的とした航海に出たのだった。昨年、ひょっこり当店に来たときも、大学生とのプロジェクトが進行中ということで、目が輝いていた。夢に向かって走り続けた60年の人生は、あらゆる逆境をはねのけて進んでいく姿だった。それはどんなに周りの人を勇気づけたかしれない。共感する一人として声を大にして言いたい。
「キャプテン、ありがとう」と。

生きているだけで、いいんじゃない2009.02.05

気温が一気に氷点下となった一月下旬、体を動かしたくなって店を出た。吐く息が、昇る太陽の光で煙のように吹き上がる。ふと名古屋城の外堀まで足を伸ばしてみたくなった。池を眺めながら歩いていると、頭とは裏腹に、慢性的な運動不足を体は知っていて、先へ先へと進みたがる。とうとうお城をぐるっと一周しようとしていた。顔に当たる冷気を感じながら真近になった池に目をやると、薄氷が一面に広がり、一層寒さを演出しているようだった。そばには大小数匹のカモが整然と泳ぎ、空にも凍てつく寒さの中を無数の鳥が縦横に飛んでいる。四季は移り変わるが、これらは変わらぬ毎朝の光景なのだろう。自然界の生き物たちに休みなどないからだ。季節に合わせて身づくろいをしたら、寒暖はげしい中でも着たきりすずめで、風邪で寝込むこともできないのである。このごく自然な視野に、最近読んだ一冊の本は、焦点を合わせてくれたようである。
 その本とは、お客様が借して下さった「生きているだけで、いいんじゃない」である。この題名は著者のお母さんの口癖だったそうだ。何とも心が和む言葉である。20年以上にわたってマクロビオティックを実践してきた著者が、父のお墓の近くに見付けた広大な土地に家族で移り住み、ブラウンズフィールドと名づけ、大自然を舞台に繰り広げる、愛と笑いと涙のエッセイ集である。読みながら、時折子どもの頃に見た「大草原の小さな家」の淡い記憶と重なった。家族協力してのロフト作りから米つくり、毎日そのものがアドベンチャーである。四季の移り変わり、生命の営み、生きるためのエッセンスが至るところに満ち溢れている。自然の中で、生き物が毎日の糧を探すように、健康というごく当たり前なことが大前提で、それから何をするべきか、分かった人だけが持つ本当の自由な姿がここにあった。
 著者は中島デコさんである。大変光栄なことに、当店で2日間、料理教室をしていただくことになった。この便りがつく頃には終わっているころだろうが、岡山や遠方からも駆けつける人もあって、早々に予約でいっぱいになった。料理もさることながら、その人柄にふれることが今、何よりの楽しみである。こんな機会をもっと作っていきたいと思っている。

「生きているだけで、いいんじゃない」中島デコ著

炊煙2009.01.01

 北区から移転してこちらであわただしくオープンしたのが昨年の4月始め。干支(亥)のように猛進して、あっという間に新年を迎えましたが、無事に年越しができたのも、皆さまの日頃の温かいご支援のおかげです。深く御礼申し上げます。そして本年もよろしくお願い申し上げます。
 
 ある番組で、年金や薬害肝炎などの問題に触れ、竹村健一がこんなことを言っていた。今、内閣を襲っているのは国難である。昭和の初期の不況時、公務員の給料を1割のカットして乗り切ったことがある。又、古くは仁徳天皇の時代に、疲弊にあえぐ民に対して、宮中はぜいたくを抑えた。やがて民のかまどから炊煙が上がるようにようになった。政府にも、省庁にも理屈は色々あるだろうが、ごちゃごちゃ言わないで早急に救済すべきだ。といった内容だった。
 禅語に、似た風景を語ったものがある。肝心の言葉が思い出せないが、その言葉の意味は、朝もやの中を、かまどに火を入れ、やがて立ち昇る炊煙が一筋二筋と増えていく。毎日の平和な朝食の風景だ。それは次の日もまた次の日も繰り返される。平穏な静かな一日の始まりを顕し、その日その日の無事を感謝するということだと教えて頂いた。その炊煙が立ち昇っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという仁徳天皇の逸話は、時代と風景こそ異なっているが、味わい深い話しではないだろうか。きっと、美しい国というのは、本来そういうものを表すのだろう。
 肝心の禅語の言葉を思い出せずに焦りが出始めた。しかし、いろいろ調べていたら、新年にふさわしい言葉にたどり着いたので、代用して明記させて頂きたい。
 洗心・・心機一転する正月に、洗心し、記憶や思いを投げ捨てれば、心は自ずと新たになる。正月とは、もともと修正する月である。
 今年一年が、いつも平穏な風景でありますよう心からお祈り申し上げます。

食品のからくり2008.12.01

冷え込みが厳しくなった先月下旬、遠方からの久しぶりの客人と酒宴を催したのだが、陽気同様の景気に話題が移って酒量を増やした。深酒の翌日は気分が悪い。そんなときだけ自制がきかない自分に嫌悪感を感じ、反省しながら半日が過ぎるのだが、その日は講演を聞きに行く大切な日だったのでそうもいってられなかった。あえて大切な日としたのは、講師に特別な思いがあるからだ。思えばこうしてこの仕事に携わることになったのは、学生時代、郡司篤孝氏の著書“怖い食品1000種”という本を読んだことがきっかけである。読みながら震えるような感覚が襲ってきたのを覚えている。普段何気なく食べている食品に、あたかも安全であるかのように装いながら多くの食品添加物が使われている。それがたとえガンを発症する危険があると分かっていても利潤追求のために、大量の商品が生み出されていると知ったからだ。はるか20年以上経った現在、その状況はどうなっているのだろうか。昨年から続いている食品偽装の問題は未だ後を絶たない。そればかりか汚染米問題では、責任はとうとう監督官の農林水産省まで及んでしまった。そんな中で、「食品のからくり」という演題で語る講師が、偶然にも篤孝氏の次男にあたる和夫氏だったのだ。
 事実を整然と伝えていく話し方は、感情を表に出しながら話しをした篤孝氏とは対照的だった。「からくり」の手口が明かされるとともに、目の前が暗くなった。最近の不祥事があらわすように、昔も今も何も変わっていない。ただ、添加物の名前が変わっただけで、人体に与える毒性が多少なりとも変わっただけなのである。まるでこの構造は、不祥事続きの今の官僚社会と同じではないか。改めて気をつけていただくためにも、特に恐ろしいと感じたものを下記に書かせて頂くことにする。
●臭素酸カリウム・・かつてはパン生地、魚肉練り製品などの改良材として用いられたが、発癌性が指摘されパン以外の使用は禁止された。ソフトな仕上がり具合が好評だが粘着度が増すため、パンをのどに詰まらせて死亡するケースとの因果関係を指摘する声もある。小麦粉改良剤といわれるくらいだからパン好きな人はご用心。市販品に限らず、給食や外食のパンも内容の確認をするべき。
●BHAブチルヒドロキシアニソール・・主に洗剤、インスタントラーメンなどのパーム油などの酸化防止剤に多く使用される。ガン発生や他の危険性が高く、一部を除き使用禁止。業界の大きな圧力で使用禁止が延期されているという。インスタントやお菓子などは無添加のものじゃないと怖い。
●L-アスコルビン酸・・いわゆる合成のビタミンC。酸化防止剤の食品添加物。これらサプリなどの中国製添加物の輸入が急増しているそうだ。マルチビタミンなどサプリメントは要注意。DHCの清涼飲料水「アロエベラ」から、水道水の基準値の7倍を超すベンゼンが検出され自主回収した。原因は、安息香酸(保存料)とアスコルビン酸の生成で毒性の高いベンゼンが発生したらしい。
 まだ書ききれないが、今や体の血となり肉となる食べものの多くが、からくりで彩られているということに間違いはない。本来からくりとは、日本が世界に誇る伝統工芸の精巧な技術という意味なのだが、本物に勝るからくりは存在しないのだ。本物の味をしっかり舌に刻んでおくことが、一番確かなことだろう。

回復を祈り2008.11.01

 「十二指腸から出血したのがもとで胃を三分の二取った。水だけでもう一週間だ。」気力も薄れた声で電話してきたのは、年は一回り以上離れているのに、もうかれこれ20年近く親交がある元新聞社の方だった。糖尿病に人工透析、病名を書けば書き切れないほどの正真正銘「病気の問屋」である。いつ何が起こっても不思議ではないのはご察しのとおり、と言えば本人に怒られるかもしれないが、そんな中での短い会話に、ふと年月を感じた。
 始めから不思議な出会いだった。行く会合行く会合で出くわすのだ。「またお前か~」と言われてからこのご縁はスタートした。その当時は編集局長だったため、自然と人が集まってきた。辛口だが気さくな人柄と、大柄の割には照れ屋の性格が、さらに人をひきつけたのだろうか。そういえば飲みに誘われたのも突然の電話だった。片っ端から名刺交換した相手に電話でもしていたのだろう。自分から誘っておきながら「ところでお前、だれだったっけ」と、耳の向こうで言われた時は、さすがに椅子からころげ落ちそうになった。この話しは今でも会うたびに酒の肴となっている。
 自分の身体を省みることなく、休みなく働いた団塊の世代を象徴するかのような性格が災いして、定年の声を聞いたときには一緒に食事に行っても、あれほど吸っていたタバコもやめ、アルコールもたしなむ程度になった。腎臓がどんどん悪くなっていたからだ。体が冷えてしょうがないとよく言っていた。退職してからはすっかり出不精になったのか音沙汰がなかったが、さすが元記者である。いつの間にかパソコンも操り、たまにメールで小言を言ってくるようになった。つかず離れず、お互い気にしながら時は流れて先ほどの電話となった。
 久しぶりに顔をあわせたのは入院先に見舞いに行った先月末のこと。体重は10キロ落ち、最近ようやくお粥が食べれるようになったというが、元気そうな顔でホッとした。ここ最近は、病気と上手に付き合うために、持病の知識を学んだり、ジムに通ったり、なるべく歩いて体を動かすようにしていたので、突然の入院は思っても見なかったという。こちらまで痛くなってくるような、6回に及んだ手術を事細かに聞きながら、体は一旦悪くしてしまうと治すのは大変だと言うことを痛感したのだった。 
 ふと以前、教えられた言葉が頭に浮かんだ。体はバランスである。悪ければ悪いなりにバランスを保っていればそれほど苦にはならない。病弱でも長寿を全うした人はごまんといる、というものだ。回復祈り、元編集局長からの、悪いなりのバランス操縦法の便りを待ちたい。
 また突然の電話である。今度は、「おー、お前か~、番号間違えたわ」「・・・」

ふんどし?2008.10.01

 ある人に会うため、その人が参加されるイベントに合わせて東京へ向かったのは先月末のこと。会うのが目的のためにイベントの内容などはあまり頭に入っていなかった。会場に入ると100人近くはいただろうか。そのほとんどが女性で埋め尽くされていた。いったい何のイベントだったろうと気になって持って出たチラシに目をやると、「ふんどしトークライブ」とある。ふんどし?なのになぜ女性ばかりなのか。余計訳が分からなくなったので、会場で手渡された資料に目を通した。
 なるほどふんどしは、日本人だけではなく、マヤ、インカ、エジプトをはじめ世界の先住民が愛用していたという。だからふんどしが良いとは先走りすぎだが、現代人の免疫力低下の理由を、西欧からもたらされた下着に原因があると指摘する声も多い。通気性の良くないゴム紐と化学繊維で身体を締め付けるパンツは、無意識のうちに身体にストレスを与えるからだ。それが人の免疫力を、なんと20分の1も下げてしまうと警告する専門家もいるという。そういえば、何年も前に、はだかで睡眠する健康法が流行ったことがあった。「脱パンツ健康法」とも呼ばれ、パンツを脱いで寝ることが体にいいといわれた。実際にやってみた人は、寝巻きを着て寝るより、はだかで寝るほうが暖かかったはずである。締め付けないため、新陳代謝が活発になり、体温が上がる。体温が上がれば、免疫力が高まるから一石二鳥なんてものではなかったはずである。では、なぜそんなに良いことが、ブームで終わってしまったのだろうか。今更ながらその理由が、このイベントに参加して分かったような気がした。その違いは、女性が参加したかどうかではないだろうか。当時と今とでは、女性の立場や、問題認識に違いがあるにせよ、根底に流れている問題点を分かりやすくさせるのには女性の力が必要だからだ。いのちを育む大事業をなす女性の感覚は、生きることに直結しているからだろう。
 いまやその源である子宮の病気が若い女性に急増しているという。まさに命の根幹を揺るがす問題が起きているのである。その原因に、少なからず下着が関係しているとすれば無視できることではない。このイベントに参加した大半が女性なのもうなずけるのだ。会場では、半数以上の女性が、布ナプキンに切り替えたそうだ。そして、下着をふんどしにかえた人から、「生理痛が軽くなった」「生理不順が直った」という声も聞かれた。麻の研究者、川口氏によると、「ふんどし」の語源は、「運通し」であるという。水も流れが止まれば腐るように、身体も循環を悪くすれば病を呼ぶだろう。ふんどしで、体全体を運通し。一度、試してみる価値は大ありではないだろうか。目的の人にもお目にかかれ、そのおかげで面白い話が聞けた。これをご縁と早速、ふんどしを買って会場を後にした。

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