ヘルシングあい便り

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キャプテンの悲報2009.03.01

一枚の葉書きが、不意に届いた。それは、悲報を知らせるものだった。新聞等でも連日に渡って掲載されたことでご存知の方も多いと思う。エリカ号で世界一周を果たし、その後、地球冒険塾という更なる夢の実現に思いをはせていた長江裕明さんの悲しい死の知らせだった。
 思い出されるのは出会い当時のこと。その時の飲み仲間というと決まって、今は定年して時折メールのやり取りをするだけとなった病気の問屋?K氏である。そのK氏が、あこがれて止まない人がいるという。その人に会いに行こうといって、連れて行かれたのが、キャプテンズダイナーという飲食店だった。船上を思わせる入口を通って中に入ると、大海原を滑走するヨットが、まるでこちらにせまってくるような臨場感を大型スクリーンが映し出している。大きな丸テーブルには大皿料理が並び、広い店内は、お客であふれていた。まるで船上の大宴会のようだった。その中をかき分けて、ダンディーな男性が近づいてきた。「や~!ようこそ」大柄なK氏が目立ったのだろう、清々しい笑顔で迎えてくれたその人が長江さんだった。食事をしていると、催促するように個室に案内された。地球冒険塾と書かれた部屋の中は、数々の海やヨットの写真、模型や本が点在する異空間だった。時間が経つにつれて、別世界に引き込まれたような、この感覚をあえて例えるならば、ディズニーランドのアドベンチャーランドにでもいるような感じと言ったらいいだろうか。長江さんは、長い航海の話しを時折冗談を交えながら語り続けていた。話題が、次の夢である地球冒険塾に移るとますます話しはヒートアップした。それは、なんと高校生を主体とした若者達が自分達の手でヨットを操船し、世界を航海するという。そして、その様子はドキュメンタリーにして、全国の学校や公共の場で上映し、多くの若者達に夢や勇気、希望を持つ機会にしたい、という壮大なものだった。
 夢の実現に奔走している最中、持病の心臓の患いが悪化し、奇跡的に回復を果たしたが、余命10年を告げられた。しかしそれでも、夢の実現を諦めることなく、4年程前には、海洋ゴミ、漂着ゴミ等の現状調査を目的とした航海に出たのだった。昨年、ひょっこり当店に来たときも、大学生とのプロジェクトが進行中ということで、目が輝いていた。夢に向かって走り続けた60年の人生は、あらゆる逆境をはねのけて進んでいく姿だった。それはどんなに周りの人を勇気づけたかしれない。共感する一人として声を大にして言いたい。
「キャプテン、ありがとう」と。

生きているだけで、いいんじゃない2009.02.05

気温が一気に氷点下となった一月下旬、体を動かしたくなって店を出た。吐く息が、昇る太陽の光で煙のように吹き上がる。ふと名古屋城の外堀まで足を伸ばしてみたくなった。池を眺めながら歩いていると、頭とは裏腹に、慢性的な運動不足を体は知っていて、先へ先へと進みたがる。とうとうお城をぐるっと一周しようとしていた。顔に当たる冷気を感じながら真近になった池に目をやると、薄氷が一面に広がり、一層寒さを演出しているようだった。そばには大小数匹のカモが整然と泳ぎ、空にも凍てつく寒さの中を無数の鳥が縦横に飛んでいる。四季は移り変わるが、これらは変わらぬ毎朝の光景なのだろう。自然界の生き物たちに休みなどないからだ。季節に合わせて身づくろいをしたら、寒暖はげしい中でも着たきりすずめで、風邪で寝込むこともできないのである。このごく自然な視野に、最近読んだ一冊の本は、焦点を合わせてくれたようである。
 その本とは、お客様が借して下さった「生きているだけで、いいんじゃない」である。この題名は著者のお母さんの口癖だったそうだ。何とも心が和む言葉である。20年以上にわたってマクロビオティックを実践してきた著者が、父のお墓の近くに見付けた広大な土地に家族で移り住み、ブラウンズフィールドと名づけ、大自然を舞台に繰り広げる、愛と笑いと涙のエッセイ集である。読みながら、時折子どもの頃に見た「大草原の小さな家」の淡い記憶と重なった。家族協力してのロフト作りから米つくり、毎日そのものがアドベンチャーである。四季の移り変わり、生命の営み、生きるためのエッセンスが至るところに満ち溢れている。自然の中で、生き物が毎日の糧を探すように、健康というごく当たり前なことが大前提で、それから何をするべきか、分かった人だけが持つ本当の自由な姿がここにあった。
 著者は中島デコさんである。大変光栄なことに、当店で2日間、料理教室をしていただくことになった。この便りがつく頃には終わっているころだろうが、岡山や遠方からも駆けつける人もあって、早々に予約でいっぱいになった。料理もさることながら、その人柄にふれることが今、何よりの楽しみである。こんな機会をもっと作っていきたいと思っている。

「生きているだけで、いいんじゃない」中島デコ著

炊煙2009.01.01

 北区から移転してこちらであわただしくオープンしたのが昨年の4月始め。干支(亥)のように猛進して、あっという間に新年を迎えましたが、無事に年越しができたのも、皆さまの日頃の温かいご支援のおかげです。深く御礼申し上げます。そして本年もよろしくお願い申し上げます。
 
 ある番組で、年金や薬害肝炎などの問題に触れ、竹村健一がこんなことを言っていた。今、内閣を襲っているのは国難である。昭和の初期の不況時、公務員の給料を1割のカットして乗り切ったことがある。又、古くは仁徳天皇の時代に、疲弊にあえぐ民に対して、宮中はぜいたくを抑えた。やがて民のかまどから炊煙が上がるようにようになった。政府にも、省庁にも理屈は色々あるだろうが、ごちゃごちゃ言わないで早急に救済すべきだ。といった内容だった。
 禅語に、似た風景を語ったものがある。肝心の言葉が思い出せないが、その言葉の意味は、朝もやの中を、かまどに火を入れ、やがて立ち昇る炊煙が一筋二筋と増えていく。毎日の平和な朝食の風景だ。それは次の日もまた次の日も繰り返される。平穏な静かな一日の始まりを顕し、その日その日の無事を感謝するということだと教えて頂いた。その炊煙が立ち昇っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという仁徳天皇の逸話は、時代と風景こそ異なっているが、味わい深い話しではないだろうか。きっと、美しい国というのは、本来そういうものを表すのだろう。
 肝心の禅語の言葉を思い出せずに焦りが出始めた。しかし、いろいろ調べていたら、新年にふさわしい言葉にたどり着いたので、代用して明記させて頂きたい。
 洗心・・心機一転する正月に、洗心し、記憶や思いを投げ捨てれば、心は自ずと新たになる。正月とは、もともと修正する月である。
 今年一年が、いつも平穏な風景でありますよう心からお祈り申し上げます。

食品のからくり2008.12.01

冷え込みが厳しくなった先月下旬、遠方からの久しぶりの客人と酒宴を催したのだが、陽気同様の景気に話題が移って酒量を増やした。深酒の翌日は気分が悪い。そんなときだけ自制がきかない自分に嫌悪感を感じ、反省しながら半日が過ぎるのだが、その日は講演を聞きに行く大切な日だったのでそうもいってられなかった。あえて大切な日としたのは、講師に特別な思いがあるからだ。思えばこうしてこの仕事に携わることになったのは、学生時代、郡司篤孝氏の著書“怖い食品1000種”という本を読んだことがきっかけである。読みながら震えるような感覚が襲ってきたのを覚えている。普段何気なく食べている食品に、あたかも安全であるかのように装いながら多くの食品添加物が使われている。それがたとえガンを発症する危険があると分かっていても利潤追求のために、大量の商品が生み出されていると知ったからだ。はるか20年以上経った現在、その状況はどうなっているのだろうか。昨年から続いている食品偽装の問題は未だ後を絶たない。そればかりか汚染米問題では、責任はとうとう監督官の農林水産省まで及んでしまった。そんな中で、「食品のからくり」という演題で語る講師が、偶然にも篤孝氏の次男にあたる和夫氏だったのだ。
 事実を整然と伝えていく話し方は、感情を表に出しながら話しをした篤孝氏とは対照的だった。「からくり」の手口が明かされるとともに、目の前が暗くなった。最近の不祥事があらわすように、昔も今も何も変わっていない。ただ、添加物の名前が変わっただけで、人体に与える毒性が多少なりとも変わっただけなのである。まるでこの構造は、不祥事続きの今の官僚社会と同じではないか。改めて気をつけていただくためにも、特に恐ろしいと感じたものを下記に書かせて頂くことにする。
●臭素酸カリウム・・かつてはパン生地、魚肉練り製品などの改良材として用いられたが、発癌性が指摘されパン以外の使用は禁止された。ソフトな仕上がり具合が好評だが粘着度が増すため、パンをのどに詰まらせて死亡するケースとの因果関係を指摘する声もある。小麦粉改良剤といわれるくらいだからパン好きな人はご用心。市販品に限らず、給食や外食のパンも内容の確認をするべき。
●BHAブチルヒドロキシアニソール・・主に洗剤、インスタントラーメンなどのパーム油などの酸化防止剤に多く使用される。ガン発生や他の危険性が高く、一部を除き使用禁止。業界の大きな圧力で使用禁止が延期されているという。インスタントやお菓子などは無添加のものじゃないと怖い。
●L-アスコルビン酸・・いわゆる合成のビタミンC。酸化防止剤の食品添加物。これらサプリなどの中国製添加物の輸入が急増しているそうだ。マルチビタミンなどサプリメントは要注意。DHCの清涼飲料水「アロエベラ」から、水道水の基準値の7倍を超すベンゼンが検出され自主回収した。原因は、安息香酸(保存料)とアスコルビン酸の生成で毒性の高いベンゼンが発生したらしい。
 まだ書ききれないが、今や体の血となり肉となる食べものの多くが、からくりで彩られているということに間違いはない。本来からくりとは、日本が世界に誇る伝統工芸の精巧な技術という意味なのだが、本物に勝るからくりは存在しないのだ。本物の味をしっかり舌に刻んでおくことが、一番確かなことだろう。

回復を祈り2008.11.01

 「十二指腸から出血したのがもとで胃を三分の二取った。水だけでもう一週間だ。」気力も薄れた声で電話してきたのは、年は一回り以上離れているのに、もうかれこれ20年近く親交がある元新聞社の方だった。糖尿病に人工透析、病名を書けば書き切れないほどの正真正銘「病気の問屋」である。いつ何が起こっても不思議ではないのはご察しのとおり、と言えば本人に怒られるかもしれないが、そんな中での短い会話に、ふと年月を感じた。
 始めから不思議な出会いだった。行く会合行く会合で出くわすのだ。「またお前か~」と言われてからこのご縁はスタートした。その当時は編集局長だったため、自然と人が集まってきた。辛口だが気さくな人柄と、大柄の割には照れ屋の性格が、さらに人をひきつけたのだろうか。そういえば飲みに誘われたのも突然の電話だった。片っ端から名刺交換した相手に電話でもしていたのだろう。自分から誘っておきながら「ところでお前、だれだったっけ」と、耳の向こうで言われた時は、さすがに椅子からころげ落ちそうになった。この話しは今でも会うたびに酒の肴となっている。
 自分の身体を省みることなく、休みなく働いた団塊の世代を象徴するかのような性格が災いして、定年の声を聞いたときには一緒に食事に行っても、あれほど吸っていたタバコもやめ、アルコールもたしなむ程度になった。腎臓がどんどん悪くなっていたからだ。体が冷えてしょうがないとよく言っていた。退職してからはすっかり出不精になったのか音沙汰がなかったが、さすが元記者である。いつの間にかパソコンも操り、たまにメールで小言を言ってくるようになった。つかず離れず、お互い気にしながら時は流れて先ほどの電話となった。
 久しぶりに顔をあわせたのは入院先に見舞いに行った先月末のこと。体重は10キロ落ち、最近ようやくお粥が食べれるようになったというが、元気そうな顔でホッとした。ここ最近は、病気と上手に付き合うために、持病の知識を学んだり、ジムに通ったり、なるべく歩いて体を動かすようにしていたので、突然の入院は思っても見なかったという。こちらまで痛くなってくるような、6回に及んだ手術を事細かに聞きながら、体は一旦悪くしてしまうと治すのは大変だと言うことを痛感したのだった。 
 ふと以前、教えられた言葉が頭に浮かんだ。体はバランスである。悪ければ悪いなりにバランスを保っていればそれほど苦にはならない。病弱でも長寿を全うした人はごまんといる、というものだ。回復祈り、元編集局長からの、悪いなりのバランス操縦法の便りを待ちたい。
 また突然の電話である。今度は、「おー、お前か~、番号間違えたわ」「・・・」

ふんどし?2008.10.01

 ある人に会うため、その人が参加されるイベントに合わせて東京へ向かったのは先月末のこと。会うのが目的のためにイベントの内容などはあまり頭に入っていなかった。会場に入ると100人近くはいただろうか。そのほとんどが女性で埋め尽くされていた。いったい何のイベントだったろうと気になって持って出たチラシに目をやると、「ふんどしトークライブ」とある。ふんどし?なのになぜ女性ばかりなのか。余計訳が分からなくなったので、会場で手渡された資料に目を通した。
 なるほどふんどしは、日本人だけではなく、マヤ、インカ、エジプトをはじめ世界の先住民が愛用していたという。だからふんどしが良いとは先走りすぎだが、現代人の免疫力低下の理由を、西欧からもたらされた下着に原因があると指摘する声も多い。通気性の良くないゴム紐と化学繊維で身体を締め付けるパンツは、無意識のうちに身体にストレスを与えるからだ。それが人の免疫力を、なんと20分の1も下げてしまうと警告する専門家もいるという。そういえば、何年も前に、はだかで睡眠する健康法が流行ったことがあった。「脱パンツ健康法」とも呼ばれ、パンツを脱いで寝ることが体にいいといわれた。実際にやってみた人は、寝巻きを着て寝るより、はだかで寝るほうが暖かかったはずである。締め付けないため、新陳代謝が活発になり、体温が上がる。体温が上がれば、免疫力が高まるから一石二鳥なんてものではなかったはずである。では、なぜそんなに良いことが、ブームで終わってしまったのだろうか。今更ながらその理由が、このイベントに参加して分かったような気がした。その違いは、女性が参加したかどうかではないだろうか。当時と今とでは、女性の立場や、問題認識に違いがあるにせよ、根底に流れている問題点を分かりやすくさせるのには女性の力が必要だからだ。いのちを育む大事業をなす女性の感覚は、生きることに直結しているからだろう。
 いまやその源である子宮の病気が若い女性に急増しているという。まさに命の根幹を揺るがす問題が起きているのである。その原因に、少なからず下着が関係しているとすれば無視できることではない。このイベントに参加した大半が女性なのもうなずけるのだ。会場では、半数以上の女性が、布ナプキンに切り替えたそうだ。そして、下着をふんどしにかえた人から、「生理痛が軽くなった」「生理不順が直った」という声も聞かれた。麻の研究者、川口氏によると、「ふんどし」の語源は、「運通し」であるという。水も流れが止まれば腐るように、身体も循環を悪くすれば病を呼ぶだろう。ふんどしで、体全体を運通し。一度、試してみる価値は大ありではないだろうか。目的の人にもお目にかかれ、そのおかげで面白い話が聞けた。これをご縁と早速、ふんどしを買って会場を後にした。

崖の上のポニョ2008.09.01

久しぶりに映画を見てきた。宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」といえば笑われるかもしれないが、この映画が他の話題をさらってしまい、頭から離れないのだ。これから見に行く人もいると思うので詳細は控えることにするが、もう一度見に行って、あれこれ確認したいと思っている。
 われわれの世代は、宮崎アニメに幼いときからふれている。「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」、「母をたずねて三千里」と聞いて同世代で知らない人はいないだろう。毎週日曜日に見るのが当たり前だったのではないだろうか。学校の道徳の時間より、どれだけためになったか分からない。その後、NHKの「未来少年コナン」を見るのが日課となり、映画「ルパン三世カリオストロの城」などは、今までに何度見たことか知れない。どの作品も共通して、アニメとは思えないほど人間臭い主人公の存在に、いつしかどんどん引き込まれていくのだ。つらつら書き連ねていくと、まさしく宮崎アニメとともに成長していったといっていい。しかし、この時期に宮崎駿氏の名前を知るものはそういなかったのではないだろうか。彼のその名前を一躍有名にしたのは、「風の谷のナウシカ」からだろう。
 この時から宮崎駿マジックは始まる。現実の世界と不思議な世界が入り混じる彼独特の世界だ。ある時は昆虫であり、動物のお化けだったり、またある時は魔女であり、八百万の神だったりする。あの世とこの世の世界がまるで隣り合わせであるかのように、溶け込んで物語は展開する。夢を見ているかのような想像上の世界が大きなスクリーンで繰り広げられるが、やがてその魔法は解けてしまう。浦島太郎が玉手箱を開けてしまったかのように現実の世界に引き戻されるのだ。夢か幻か、遠くて近いあの不思議な世界は一体なんだろう。ひょっとするとその正体は、いつしか忘れ去ってしまった、だれもが小さいときに大切にしまいこんだあの玉手箱なのではないだろうか。
 崖の上のポニョは、いままでとは違った切り口だった。風景がパステル調で、開始早々から幻想的な世界に引き込まれたような気がする。魚のような妖精「ポニョ」が繰り広げるストーリーは、生命の誕生までを描いたかのようである。多くの疑問が点在するのだが、その謎解きが、メッセージのような気がして面白い。見終わって、癒されるという声がした。きっとそうかもしれない。無意識な世界という玉手箱を開けたのだから。

バイ・デジタル・O-リングテスト2008.08.01

 うだるような猛暑が連日のように続いた先月下旬ごろ、東京で行われた大村恵昭氏の講演会に行ってきた。名前よりもO-リングテストという単語を使ったほうがピンとくるか方が多いかもしれない。1970年代というから、今から40年ほど前にO-リングテストの原理を発見した方である。今やO-リングテストといえば、多くの医者や鍼灸師などが治療目的で使われているため、この言葉や体験したことのない人を探すほうが難しいほど日常的なものとなっているのではないだろうか。しかし反面、その原理や理論にお目にかかったことがなかったので、今回はいい機会となった。
 私がはじめてこのO-リングテストを体験したのは今から20年ほど前のことになる。自分の身体にとって害のあるものか有益なものかを自分で判断することができるというので、本当だろうかと、眉につばをつけて望んだ気がする。O-リングテストのやり方は、手短に言うと、二人一組で行い、試験者の片方の手のひらに調べたい物を乗せるか、それを指し示す。もう片方の手は、人差し指や薬指などと親指でOというリングを作り、もう一人の人がそのOの形をした指のリングに指を入れて左右に引っ張って、指の力の入り具合を確認しあうのである。当時、私の場合は洗脳されやすいのか素直なのか、自分の指の筋力が、調べるものによって明らかに強くなったり弱くなったりしたのである。
 1993年2月23日に、アメリカ特許庁は、Oーリングテストを、大村氏の徹底した科学的な研究の数々と、すばらしい臨床成績をあげていることが評価され、普遍的知的所有権として公式に認可したという。公的機関の認可を得たこの方法が、日本人によるもので、なお且つ、人間が本来持っている能力だということが立証されたいうことは、とても画期的なことではないだろうか。
 食べるもの、飲むもの、着るものから装飾品に至るまで、私たちは多くのものを身につけたり消費している。その中に、知らず知らずに害のあるものを身につけて体調不良に陥っていることがあるかもしれない。特に講演の中で大村氏が強調されたことは、装飾品や衣類、電子レンジの電磁波などに害が多いということだった。普段思いつかないような、それら身の危険と思われるものを、自分自身で調べて見つだすことができるのである。そして結果の良し悪しは、だれ恨むことはない、自分が下してくれるのである。東京での数時間は、自分の本来持っている能力を信じて、自分で選択するという当たり前のことを気づかせてくれるものだった。

参考著書「O-リングテスト」超健康レッスン 主婦と生活社:大村恵昭著

17周年を迎えました2008.07.01

 ヘルシングあいを開業した加藤ヒロ子先生の後を私が引き継いで早いもので12年になりました。その加藤ヒロ子先生は、当時、全国で始めての開業保健婦としてこの店を作られました。ご自分が保健婦の身でありながら病気を患ったことで、現代栄養学に疑問を持ち、それがきっかけで西式甲田療法に出会われたそうです。現代栄養学重視の時代、それは時にバブル経済を生み出す時期と重なり、グルメ、飽食がもてはやされた時代でもありました。「食べよ、食べよ」と、国中が騒いでいる中を、玄米菜食や青汁など、それとは全く正反対なマイナス栄養学、「あまり食べるな」という難しい業を実践することに踏み切ったのでした。ところが、その食生活を実践することで、ご自身の体がみるみる元気になり、疑問は確信へと変わり、現代栄養学を真っ向から否定した茨の道を踏み出す保健婦の一人として健康指導にあたったのでした。しかし志半ば、残念なことに過去に患った患部と同じガンの再発によりこの世を去りました。
 健康、健康といっても、誰しも一時的な健康にすぎません。明日、ひょっとしたらガンの宣告をされるかもしれないのです。その瞬間、健康だった過去の記憶は打ち消され、気は病に犯されてしまうのです。何の不自由もなく動けるときが健康であるとするならば、少しでも体のどこかに異変を感じたなら、精神的にはもはや健康ではないのです。せめて何の不自由もなく動けるときに、自分自身の体のために何か手を打っておきたいものです。それが、予防医学であり、健やかに生きることにつながるのではないでしょうか。
 12年経ってお店も様変わりしましたが、加藤ヒロ子先生の遺志だけは、変わることなく継承していきたいと、強く思っております。ヘルシングあい開業17年を迎え、より、皆さまの健康のお役に立てるお店として、スタッフ一同勉強してまいりますので、これからもよろしくお願い申し上げます。
 過去に、加藤ヒロ子先生のお便りをまとめた「総集編」をご希望の方は、お申し付け下さい。店内にご用意させていただきます。(無料)

笑う角には・・・2008.05.31

 『中高年、手鏡そーっと覗いてもブスはブス』『体重計、そーっとのってもデブはデブ』・・・中高年を対象とした辛らつな発言で、一時爆発的人気者となった綾小路きみまろのCDに、最近はまって車の中でよく聞いている。何度聞いても可笑しいから聞いているのだが、それにしても、あれだけはっきりひどいことを言われても、逆に笑い飛ばしている客席の声に圧倒され、それがまた可笑しくて何度も聞いてしまうのだ。その世代によって、笑いのツボでもあるのだろう。吉本のお笑いブームが依然続いているのも、ある世代の笑いのツボを確実におさえているからではないだろうか。そんなことはどうでもいいが、ふと聞きながら、以前ベストセラーになったがばいばあちゃんを読んだときの、時折腹からこみ上げてくる爽快な笑いと、どうも似ているような気がしてきたのだ。表現の仕方は違うが、身にまとうものや家の大きさ、収入で人生の評価が決められるものではない。しかし、それでもついつい他人様と比較して、時折右往左往している自分を滑稽さで表現したのが、あの爽快な笑いのような気がするのである。
 幸せの尺度でもあるとしてl自分でそれを示そうとするならば、評価するのは自分自身だから、他人と比較する必要がない。だれとも比較しなくなったら人間というのは、意外と強いものなのかもしれない。地球上でたった一人、オンリーワンだからだ。比較のないその爽快感は、笑いとなって、スーッと全身の力を緩めていくのではないだろうか。
 20年ほど前に、岡山県で、生きがい療法を提唱する柴田病院の伊丹先生が、笑う角には福来たるが実際にどう医学的作用するか実験したことは有名だ。大阪にある「難波グランド花月」というお笑い劇場で、二十余名の被験者に漫才などを見聞きして免疫成分がどう変化をするかを実験したのだ。その結果、免疫成分が増加するだけではなく、免疫療法剤よりも即効性があり免疫機能のコントロールも笑いの効果であがることが証明されたそうだ。
 毎日明るくユーモアと笑いの生活を送ることが、癌の予防と治癒に役立つとは、分かっていてもなかなかできることではない。しかし、高い健康食品を買うより何よりも、笑いが一番安上がりな健康法ならば、今までとちょっと世の中の見方(価値観)を変えてみても良いのではないだろうか。
 きみまろ風に最後を締めるなら、『かっこいいことを言おうが、どんなに大きな家に住もうが、あなたもわたしも「おしめ」で始まり「おしめ」で終わる。だから「おしめ~だ」』。
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