ヘルシングあい便り

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10年ぶりのご縁2010.07.01

福島県でマクロビオティックの宿を経営する大屋夫妻を招いて行われた先月のスイーツ講座は、キャンセル待ちや、お断りした方が多数にのぼった。米粉で作るベーキングパウダー不使用のスイーツや、卵、ベーキングパウダー不使用で作るエクレアなど、興味をそそる内容だから無理もなかった。知る人ぞ知るといううたい文句がピッタリな料理人大屋さんだが、反響の大きさには本人も驚いていた。一方、講座よりも昔話に花を咲かせたい私にとっては、再会を不思議な思いで受け止めていた。
タンボロッジをスタッフとともに訪れたのは、今からちょうど10年前のことになる。その当時、巷では、手づくりでビールを作ることが流行っていた。当店もその講習会を何度もしたことがある。そして実際に出来上がったものをみんなに振舞っては半分自慢していた。そのビールを造るモルト(原
料)は、次第に口コミで広がり、全国あちらこちらから注文が入っては発送していた。その中の一人が大屋さんだった。はじめは電話で二言三言話すだけの関係だった。それが一転したのは、不意に送られてきた自家製ビールだった。その味のあまりの美味さに、お礼より先に作り方を迫ったものである。近くで取れる天然のホップやフルーツを入れて作ったという力の入れように、すごすごと白旗を揚げた。それ以来、遠い距離でのやり取りは頻繁になり、はるばる訪れる動機となった。福島県の舘岩村に通って年月7年余り、着工から1年8ヶ月かけて夫婦2人で製作したログハウスは、来訪客を
やさしく包み込むオーラを発していた。初めてお目にかかった大屋さん(ご主人)は、恰幅のいい、いかにもグルメ愛好家で、自慢の南米創作料理と、自家製ビールに酔いしれた。そして秋の紅葉シーズンが、いっそう舞台を華やかに彩り、自然を満喫した1泊2日の旅だった。
時の流れというのは、時に不思議な共時性を与えるものらしい。スタッフへ入った講座の情報がそれを促すことになった。東京で行われる米粉のスイーツ講座の講師が、あの大屋さんと言うからだ。どうしてマクロビスイーツを?頭にあの時の体型が浮かんできて結びつかない。そのなぞを解こうと上京し、10年ぶりの再会を果たしたのが3月終わりのことだった。お互い顔を覗き込むなり、どうしたんですか?が、第一声。10年前と比べ、大屋さんは30kg、私は10kg近く痩せていたので無理はない。南米旅行で食あたりにあい、一週間近くの断食状態が続いたのがそもそものきっかけだという。体調が回復した頃には、肉や魚を食べたくなくなったそうだ。それからひと思いに、自分も宿もマクロビオティックな食事に切り替えて5年になると言う。なるほど、思えば私も紆余曲折あり、3年ほど前からカフェをマクロビオティックに切り替えた。体を動かすことも苦にならなくなり、どんどん体質は変わった気がする。一連の出来事は、食事を変えたことが共鳴しあって結びつけたご縁のように感じたのである。
習慣を変えることは難しい。変わらないのが一番心地がいいからだ。しかし、不調を感じるなら何かを変えてみることだろう。次第にその変化が心地よくなるに違いない。そして新たなご縁を生んでくれることを教えてくれたような気がした。

お手本のない時代2010.06.01

その神秘的な存在から、千数百年経った今もなお多くの人々を魅了して止まない弘法大師空海。各地に残る逸話も足跡となって、その存在感は、時空を超えて真近に迫ってくる。ベールで包まれたその足跡のかけらを、さまざま書物の中に求めたことがあった。一方で、空海は魅力的だが、密教と聞くと一般的にいかにも分かりにくい宗教である。怖いもの見たさの関心はあっても手は出さない一定の距離を持っていた。そんな時に書店で目に入ったのが司馬遼太郎の「空海の風景」だった。歴史上の人物の息づかいまで聞こえてきそうな彼の多くの作品の虜だったため、正直驚いた。彼の分野を超えているような気がしたからだ。しかし、なぜ書きたくなったのだろうかという興味が沸いてくると、もうその作品を手にしていた。当時の世界の動き、その時代に絡みつくように存在する宗教など、おかげでよく理解できた。なにより体に免疫でも出来たように、安心してその類の本に目が行くようになり、その後さらに一冊の本と巡り会ったそれは宗教書物というよりは、物事の道理を分かりやすく解くように、心地いい安堵感を与えてくれるものだった。宗教宗派を超えた根源にふれた思いがしたのだ。まさに空海の風景が描いた宗教観と同じだった。
先月、その著者の講演があることを知人から聞いた。一冊の本からの不思議なめぐりあわせで講演に参席できるご縁となった。しかも、その著者は、現在の高野山真言宗管長だった。御年81才とは思えない張りのある声で、終始分かりやすい言葉でお話しされた。以下はその内容の一部である。
過去に日本は3度の大きな節目があったという。一つは明治維新、もう一つは敗戦、そして三つ目が今であると。過去の二つは、アメリカに追いつき追い越せでやってきた。追いついてしまった現在は、そのお手本がなくなった。果たしてそのお手本でよかったのかを検証することもなかった。そのため、初めて自分達でお手本を作っていかなくてはならなくなったのが今である。しかしそのお手本は、日本人の培ってきた文化の中にあるという。それは喩えていうならチェスと将棋の違いであると。どちらも王を詰めた方が勝ちのゲームだが、駒の使い方に大きな違いがある。チェスは、相手の駒を倒したらそれで使わず終いだが、将棋は、倒した相手の持ち駒は、今度は自分の持ち駒となって戦力となる。捨てられてしまうものも取り入れてうまく活用する精神である。それは、宗教の垣根を越えて、神社、教会、お寺を上手に使い分け、違和感がないほどあらゆるものを受け入れる精神にも見られる。これが、今の世界にとって必要であり、これからのお手本であると語られたのだった。
これを聞いて、今の食文化も同じであると感じた。食物は、ありのままの状態が最も栄養価が高いはずである。しかし、見た目や彩り重視で、お米や野菜などを精米したり皮を剥くなど、不用意に物を捨てるようになった。多くのビタミンやミネラルを含む貴重な栄養源を、みすみす捨ててきたのである。捨てることによって、健康のための食文化が、いつしか偏った食文化に変貌してしまったのだ。ところが、諸外国の日本食ブームで、ようやく今、自ら持っているお手本に気がついたのである。
「医王(いおう)の目には 途(みち)に触れて 皆薬なり」(優れた名医の目から見れば、道ばたに生えている雑草の中からも薬を見出すことができる)松長管長が披露した千数百年も前の空海の言葉である。根源とはお手本である。そしてそれは時代が経ても新鮮な響きを失わないものである。

降りていく生き方2010.05.01

大きな政変があった昨年から自主上映されている映画、「降りていく生き方」は、先月でちょうど一年を迎えたそうだ。偶然にも当店のスタッフが、この上映会のボランティアをしていたことがきっかけとなり、行く機会を得た。一部の方にはお便りにこのチラシを同封させていただいた。それもあって事前に詳細を確認したのだが、はじめは好きな俳優の武田鉄矢が主演してるし、内容も題名が表わすように、足元を見る生き方を表現した作品と感じていた。あらすじやコメントなどを読みながら、新潟が舞台というこの映画に、ふと一人、頭をよぎった方がいた。
私の20代前半は、バブルが弾けたとはいえ、まだ、日本全国泡踊りの状態が続いていた。弾けた一粒一粒の泡にすがって、まだ余韻が楽しめたのだろう。しかし、当時は、漠然とした成功という二文字に将来を輝かせ、仕事に打ち込んでいたときだった。そんな折、あるイベントに参加したことがきっかけで、新潟の印刷会社を経営するSさんとお会いする機会を得た。多くの社員を抱える経営者でありながら、物腰が低く、お会いするたびに、やさしい笑みを浮かべながら、気軽にお声をかけてくれる方だった。その人柄が表わすように、その会社は、社員が主人公であり、マネージメントゲームを通して、経営のいろはを共に学んでいくという異色の経営で世間を驚かせていた。以来、事あるごとに、その方の携わるイベントに伺った。一番記憶に残っているのは、社員が一年に一回行う、身近なものを題材にして発見したことを発表する場である。夜通し車を走らせて、新潟に朝方到着し、その行事を見学させていただいた。たくさんの社員の方が、どんどん発表する中、ひときわ大きな拍手で迎えられる人がいた。どうやら、昨年の発表会で優勝しているらしい。話しが始まると、会場は一気に笑いの渦と変わっていた。その年も、彼が優勝を飾ったのは言うまでもなかった。その時のSさんとの会話は今でも鮮明に覚えている。「すばらしい社員の方ばかりですね、特に、あの優勝した方は、どういうポジションで働いているのですか。」期待を込めて聞くと、Sさんは、「いや~、伊藤さん。実は、彼は仕事がぜんぜん出来なくてね、思い切って辞めさせようかという話しが出たくらいですよ。それでもみんなで出した結論はね、仕事が出来ない社員が一人くらいいたっていいじゃないか。っていうことになったんですよ。彼は一年に一回、これだけの声援をもらって働いているじゃないかってね・・」その後しばらくしてSさんは、経営を弟に任せて第一線をあっさり退き、ちいさな自分ひとりの会社を立ち上げる。そしてまちづくり活動にとどまらず、学校や教育、福祉や介護や医療、自然保護活動、企業活動などを包含したより広い分野を、やさしい目線に立って事業プロデュースを行っていく。
そういえばSさんはどうしているだろう。すっかりご無沙汰をしてしまっている。キーボードを打つ手が思わずとまった。この映画の作品概要に、その方の名前が書いてある。その内容を一部ご紹介して終わりにしたい。
・・・脳内出血で倒れ、車椅子での生活を送っています。しかし、家族、地域、そしてこれまで一緒にまちづくりに取り組んできた世代を越えた全国の方々の支えと、情熱によって、元気を取り戻しました。苦境にも果敢に立ち向かい、自ら「降りてゆく生き方」を実践するS氏を、私たちはエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、本映画をより深め、本質に根ざしたものとすることができたのでした。

万病の元2010.04.01

“Cancer Never Affects a Healthy Organという衝撃的な言葉を含む文献からご紹介したい。「おそらく、現代においてもっとも顕著なるものは癌であろう。しかし、癌はけっして健全なる器 官をおかさない。私が検証し得たところによれば、がん患者は慢性腸マヒすなわち便秘に悩まされているものであり、がん病毒の感染は、こうした状態の間接 的結果に過ぎない・・・」(英国医学雑誌転載)。また同氏は、「自家中毒症は、女子生殖泌尿器管の疾患発生上において、きわめて大きな役割を演ずるもので ある。したがって、婦人科医もまた、腸マヒの産物とみなしえるだろう。女子が不完全な排泄に悩まされなかったとすれば、婦人科医というものも進化しなかっ たに相違ない」(王立医学協会におけるロンドンのガイ病院外科医、アーバスノットレーン氏の講演内容の一節)。さらにもう一つご紹介すると、「精神病の原 因における近代の研究は、次の事実を明らかにしている。すなわち、少なからざる場合において、精神錯乱症は、格別におかされやすい神経系統に対して腸毒素 の働く結果である。便秘と中毒症は不眠症と精神抑圧を誘致し、精神の均等も、時ならずして破壊されるのである。早発性痴呆症は、少なくともある場合にお いては、慢性腸中毒症の結果であることが明確に示されている。悪臭ある糞便と便秘とは常に見られるところである」ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士「新栄 養学」。これらの原因を紐解くように、ロンドンのセント・バーソロミュー病院のブンラントン氏の言葉も続けたい。「調理法が一般的に普及し、その結果、腸 を機械的に刺激すべき、食物の硬い部分が柔らかにされて、その刺激力を奪われるという事実は、腸の運動をますますだらけさせる傾きがある。したがって文化 人は便秘に悩まされる傾向がはなはだ著しいのである。英国国民の半数は、腸の運動を多少とも助成すべき必要を感じているものといえようと思う。それには、 摂取する食物の中に、多少とも不消化な食物を加え、もって食物の全部が吸収されずに腸を通過して排泄されるようにすれば良いであろう」と。
すべて上記の内容は、今から80年以上も前に出版された故西勝造氏の書籍から引用させていただいたものである。著作集として第12巻がまとめられてい る。これらはその中の第7巻「便秘と宿便」にある。近代設備もない80年以上も前に、腸が万病の元であると警告した医学者や人物が沢山いたのだ。医学は進 歩しているというが、果たしてそうなのか疑問に思いはしないか。ましてや当時、世界の医学者が、腸に注目している中で、一体わが国ではこの問題に、どう対 処
していたのだろうか。以前取り上げた脚気論争が、奇しくもこの時代に近い。陸軍が兵食として白米を採用した結果、多くの軍人が脚気で苦しんだ。そのため経 験的に脚気に効果があるとされた麦飯に変えようとしたが、医学界の主流を占めたドイツ医学が、脚気伝染病説だったため、否定され多くの犠牲者を出すに至っ た。否定した中心人物が有名な森鴎外である。結果の是非ではなく、広い視野で情報を収集していれば、選択の余地はもっと広まったことだろう。故西勝造氏 は、その後西医学として、現代医学と真っ向から対決し、そしてもう一人、故桜沢如一氏は無双原理マクロビオティックを提唱し、食物と健康の関係を世界に広 めた。この2人の食養家が、腸の重要性を解いたことは言うまでもない。しかし、それを見通すこと2000年前にギリシャの医師ヒポクラテスは「まず、腸を きれいにせよ」と、語ったという。
万病の原因が、今も昔も腸にあるということを痛切に感じるひと言である。
参考:西勝造著作集 全12巻中の第7巻「便秘と宿便」たにぐち書店

中庸2010.03.01

各地で吹いた春一番が、厳しかった寒さの終わりをつげている。これから陽気は、三寒四温、温冷を繰り返しながら華やぐ春へと移り変わっていく。長いトンネルを抜けた先に広がる情景のように、今年の春の訪れは心を高揚させている。
実は、過去何度と挫折を繰り返している健康法がある。それは温冷浴である。今回は一年近く続いているが、毎回冬が試練の季節である。おまけに今年は寒 かった。何度冷水に負けそうになったかしれないが、何とか乗り切ることができたようである。その温冷浴とは、以前にもお伝えしたが、冷浴と温浴を1分おき に交互に4回繰り返すことで皮膚を鍛え、血液循環を促進し、新陳代謝を活発にする故西勝造氏の発案した西式健康法の一つ、冷浴で始まり冷浴で終わるいわば 温冷行である。はじめの冷浴は、何度やっても慣れることはない。冷たさが身に凍みるのだ。しかし、そのあと気持ちいい温浴が待っている。その気持ちいい時 間もたった1分、天国と地獄を繰り返し、冷浴も3回目となると、この冷たさがだんだん心地よくなってくる。そして最後の冷浴を終えたときには、もはやその 日の疲れがリセットされ、爽快な気分のまま一日を終えることが出来るのである。余談になるが、数年前の日経新聞にある記事がのったそうだ。清水エスパルス のクラブハウスには2つの浴槽があって、1つはお湯の入った普通のお風呂、もう1つは水風呂。練習やゲームを終えた選手は両方に交互に入って疲れをいやす とのこと。これはまさしく温冷浴である。ただし、我が家もそうだが、一般的に2つのお風呂はないので、冷浴はシャワーで行っている。2つもお風呂があって 実践できる環境があるとは羨ましい限りである。
難行である温冷浴。この効果には、①疲労回復。②血流がよくなり、冷え、浮腫み、肩こりがとれる。③アトピー性皮膚炎や他の皮膚炎が改善する。④糖尿 病、肥満、高血圧、喘息等の改善。⑤免疫力が高まり、風邪をひきにくくなる。⑥腸の調子がよくなり、快便になる。⑦頭がすっきりして熟睡できる。といった 実行すれば良いことずくめな結果が待ちうけている。事実、足の冷えは、これで改善されたし、風邪を引きかけて患うことがない。では、なぜこんなにすばらし い健康法が広まらないのだろうか。その理由は挫折を繰り返した自分がよく分かっている。だれでも、小春日和の日にはウォーキングに行きたくなっても、凍て つく寒い日には歩きたくないもので、面倒なことや、気が滅入るようなことは極力避けたいのである。今回、それを乗り越えた気分を味わえたのは、体が確実に 変化しているという実感からだ。毎日の少しづつの積み重ねが、いかに大切なことかを体が感じるようになると、一日たりとも、疎かにしたくない心境になって くることに気がついたのである。
西式健康法を広めた故甲田先生の書籍中(現代医学の盲点をつく)によると、このありがたい温冷浴の更なる効能に、血液の状態を中庸にすることをあげてい る。冷浴は血液を酸性にし、温浴がアルカリにするためだ。そして冷浴が交感神経を、温浴が迷走神経を刺激することを交互にくり返して行うことで、体液が 中性に寄ってきて、交感神経と副交感神経のバランスを保ち、これがしいては全身の健康を増進することになるというのだ。
これからのやわらかな陽気は、温冷浴を体験するのに絶好の機会である。一度トライしてみてはいかがだろうか。

※冷浴の適温・・・15~20℃ 温浴の適温・・・40~42℃

再会2010.02.01

昨年の暮れも押し迫ったある日のこと、ふとした一本の電話が、もう40年近く前のことになる幼い頃の遠い記憶を蘇らせた。それは、その時死んでいたかもし れないほどの大怪我の断片的な記憶だ。当時一緒にいた友人が後々語ってくれた話しでは、いつものように遊びに出かけた帰り道、社宅の際にあった狭い崖伝い を、友人の止める手を振り切って進んでいったという。崖の下は側溝があるコンクリートだった。体がぐらっと揺れた瞬間、まっ逆さまに落ちていったと。その 彼が大声で泣いて近所に助けを呼んでくれたそうだ。最初の記憶は、その後頭から血を流して病院に運ばれているタクシーの中にある。頭から吹き出す血を、母 親が必死で拭いている白黒の映像だ。何が起こったのか全くわからず、ただ泣き叫んでいた。搬送されたのは近くの外科病院だった。そこで院長先生の手早い処 置のあと、すぐに東市民病院に搬送されたらしい。次にある記憶は、病院の白い壁と、大勢の白衣を着た看護婦さん、その中央には手術する先生らしい人、全員 マスクをして物々しい雰囲気の中、ジュースを手渡され、よろこんで飲んでいる映像だ。その後の記憶がないことから、手術のためにジュースの中に麻酔が入っ ていたのかもしれないと思ったりしたものだ。一番最後の記憶は、最初に搬送された外科病院で手術も無事に終わって入院している光景である。ここで完治する まで3ヶ月ほど入院していたらしい。この入院期間は、居心地がよかったのか、同室の患者さんとの思い出が、かすかに残っている。長い入院生活で、院長夫妻 にも子供のように可愛がられたためだろう。退院後も、何かあるとそこに訪れる習慣は中学生まで続いたのだった。当時の名医と呼ばれた先生を紹介してもら い、手術してもらったおかげで、後遺症もなく治ったことに感謝しろと、ことある度に母親から言われた。確かに、その時の的確な処置がなかったら、その先生 に手術してもらわなかったら、などの多くの偶然が重なって、不自由なく生活しているこの当たり前なことに、今更ながら感謝の念に堪えないと思うのである。
長い間訪れていない、遠いようであまりにも近い場所であるその外科病院は、自宅から車でわずか15分のところにある。院長が亡くなられたことを、ずいぶ ん前に聞かされていたが、その後は廃院となり、その場所に今も姿を残している。一本の電話とは知人からの仕事の依頼だった。近くだからお願いしたいといわ れた依頼先を聞いてみると、何とその院長婦人だったのだ。あまりにも懐かしい名前のために、仕事のことは頭からすっかり離れていた。その後面会叶い、次第 に記憶のなかの面影が現在の姿と重なって、懐かしい気持ちがこみ上げてきた。お話しを伺うと、医療に依存する生活で体調を崩し、長年苦しんだという。しか しその後、食の大切さに気づき、正すことで徐々に元気を取り戻しているということだ。これからは、あなたが新鮮な野菜を持ってきてくれるから安心して食べ れるわと、笑みを浮かべながら話された。思わぬ再会は、今度はこちらが恩返しをする機会を与えてくれた。幸いにも、食を通してのご縁の再開である。

新しい年を迎えて2010.01.01

昨年は、50数年ぶり政権交代という大きな政変のあった年でした。早速行われた事業仕分けという言葉が流行語になるくらい、日本の政治も大きく変わるのか という期待をもって新政権を見守り続けているうちに新しい年を迎えることになりましたが、仕分けのしわ寄せは、どうやら国民生活に響くだけになりそうな気 配です。そもそも税収が少ないのなら少ないように、政治家自身が律して自らの所得を見直す姿勢が一番求められてはいないでしょうか。それが国民代表の責任 だと思います。自ら痛い思いをせずに、傍らにある事業の仕分けをいくら注視したとしても、他人の空言にしか聞こえてきません。そこに大きな改革などありえ ないのではないでしょうか。
物価下落と景気悪化がスパイラル的に進展していくことをデフレスパイラルというそうです。その出口は一向に見えそうもないと評論家は口々に語っています が、これもよく考えてみると、物あまりの時代はバブル以降ずっと続いているのです。ほしいものは十分揃っているのです。今さら踊らされて買い直すようなこ とを誰がするでしょうか。一昨年の偽装問題が物語っているように、消費者が品質にこだわるようになったのです。偽装をしてまで売ろうとするわけですから。 その反面、質のよいものを奪い合うために価格が高騰する現象が起こり始めてきました。これは単なるデフレではなく、Y社長が言うように、消費不振(不 信!?)のひと言で表される気がします。
これだけ成熟しきった社会が最後に求めるものは、自らの健康ではないでしょうか。だからこそ少しでもよいものを求めて多くの市場に目が向けられているの だと思います。十数年お店に立ち続けて最近つくづく分かったことは、良いものだからといって、とり過ぎては何もならないといことです。過ぎたるは及ばざる が如しという言葉どおり、良いものでも過ぎてしまえば、体にかえって害になるのです。ましてや嗜好品だったらどうなるでしょうか。私自分でもそうですが、 分かっていても、ついつい過ぎてしまうのが人情なんです。その反動は、必ず自分にかえってきます。さまざまなサプリや、健康食品を使用するより、体の小さ な悲鳴にたえず耳を傾けることが、健康でいられる秘訣のような気がします。
「私は、アメリカでテンポラリーアビリティという言葉を学びました。これは、健康な人もケガをしたり、女性は時には妊娠も経験するので、人生という長い レースの中で考えれば、健康なのはむしろ一時的なことかもしれないという考え方です。誰が、いつ介護される側に回るかもしれないのです。」進行性筋ジスト ロフィー症(筋肉細胞を崩壊させる難病中の難病で、治療法も進行を止める方法も解明されていない病気)に、24才で発症し、首から下の運動機能を失った 春山満氏(当時44才)のこの講演録を聞いたのは、もう十年ほど前になりますが、テンポラリーアビリティ=一時的な健康というこの言葉は、年々重みを持っ て訴えかけてきます。世の中の景気が良かろうと悪かろうと、健康だけは自分の責任で維持できるものです。その健康維持に少しばかり手助けになれるよう、精 進してまいりたいと思います。
本年もよろしくお願い申し上げます。

ブラウンズフィールド2009.12.01

中島デコさんのブラウンズフィールドで行われる収穫祭へ参加するために、夜通し車を走らせた。仮眠をしたため、さほど眠気にも襲われなかった。朝方、よう やく近くまでくると、かわいらしい看板がひっそり立ってる。それが示す方向へ狭い路地を曲がってゆっくり進むと、あたり一面に田畑が広がった。奥にはヤギ もいる。そして手前にはとなりのトトロの世界に出てくるような建物が並んで建って出迎えてくれた。まさしく故郷の原風景である。
ブラウンズフィールドとは、デコさんがちょうど10年前に、世田谷から家族で移り住んだ広大なこの土地を名づけたものだ。国内や世界各国から集まる若者 達と一緒に、合鴨農法による古代米作り、オーガニックな野菜つくり、マクロビオティックな食事を通して、持続可能なシンプルライフをめざして実践する場で あり、生活の場である。そして毎年、その大地からいただいた実りに感謝する収穫祭が開かれている。そこに今回、スタッフとともに参加させていただいた。
何を隠そう私自身、今年の一月に料理教室にお越しいただいて以来、デコさんのファンになった一人である。それは、自由という何かを掴んだ人の持つ魅力に ひかれているのだろう。そう言いながら自由という表現ほど難しいものはない。それでもひと言で言い表すとすると、空を飛ぶ鳥である。大空を羽ばたきながら 自由な空をどこへでも飛んでいけるが、その日の糧は、自分の力で摘み取らなければならない。雨が降ろうが、嵐が来ようが止む間もなく続けられる営みであ る。それを成し遂げていることに大きな生命力を感じるのである。
祭時後にはご苦労さん会が催された。一つの長いテーブルを囲んでの食事会である。大人から子供まで40人ほどがひしめくなか、盛られた馳走めがけて箸が 飛ぶ。大家族の食卓だ。不思議と食欲がでて負けじと一緒になって箸をすすめていた。メールをしたり、ゲームで遊んでいたりする子供は一人もいない。まして や大きな液晶テレビを見たいと泣き叫ぶこともなかった。それほど豊かな時間を皆で共有させていただいたということだろう。心から感謝申し上げるとともに、 是非、いのちの洗濯に、足を運んでみることをおすすめしたい。

正義のゆくえ2009.11.01

脚本とテーマにほれ込んで、俳優のハリソンフォードが初めてメジャースタジオ以外と契約したというふれこみの映画紹介を目にしたのは9月ごろだった。それ からというもの、思い出しては気にするが、日ごろの雑務に追われて忘れかけていた。そんなある日、急に思い立って上映しているところを調べてみると、これ が意外にも愛知県ではたった一ヶ所しか上映されていない。全国的に見ても各県に一ヶ所あるかどうかだ。これがメジャーとマイナーの違いなのか。拍子抜けし たが、これが返って見る気を煽ることになった。上映最終日に開始から遅れること15分、念願の映画「正義のゆくえ」に間に合った。
それまで映画といえば、行くのは決まって大型店の中にある映画館である。そこで話題作の中から、俳優などを選んで見るのが今までのスタイルだった。しか し最近のハリウッド映画といえば、最新鋭の特撮技術や大規模なセットが売り物なだけで、その中身は期待はずれのものが多い。挙句の果て、ネタに困ったのか ハチ公物語まで出てくる始末である。しかしその中で彼の出演する作品は、唯一自分にとってははずれがないので優先順位が常に上だった。その人物がほれ込ん だという言葉が引き金となって、上映一ヶ所しかない映画館に行くこととになったのだが、これが幸い自分の価値観を変えてくれることになった。
その映画の内容は、人種のるつぼといわれるアメリカにおいて1,100万人いると言われる不法滞在者の問題を取り扱ったものである。自由の国アメリカの 光と影を、移民という角度で見事にあぶり出している。アメリカは日本と違って出生地主義らしい。たとえ違法移民であろうとアメリカで子供を生めばその子は 自動的にアメリカ人になれるが、そのため移民一家で子供だけがアメリカ人だったりする矛盾を抱えている。また国籍とは違うが永住権(グリーンカード)と いうものもあり、米国人と結婚するとか、宗教関係者であるとか、高額な投資や事業で貢献したとか、スポーツや芸術の才能があるとか、あるいは抽選に応募す るといったやり方など、いかにも犯罪を生みそうな怪しい方法もあるため、この映画でもいくつか取り上げられていた。自由を謳歌するためというが、危険を冒 し、しかも国を捨ててまでして移り住んだ人々の境遇がどのようなものかを、この映画で少しだけ垣間見た気がする。自由という光、そのこぼれる光を求めてさ まようほどの深い闇が、悲しみや怒りとともに果てしなく広がっているようである。その国で、人種を超えて大統領となったオバマ氏を支援する人々の絶叫する 声が、その闇を切り裂いて聞こえた気がした。
ハリウッドの映画産業を作り上げたのは主にユダヤ人の移民だったそうである。ユダヤ人は他の仕事には迫害を受けていたため、映画という新しい娯楽ビジネ スに注目したからだそうだ。近年、映画の制作費は高騰し、映画1本の制作に50億、100億円とかかるものも珍しくないという。移民としてアメリカに渡っ て成功と自由を勝ち取り、輝く光となった彼らは、果たしてその大きな闇を照らそうとするだろうか。マイナーで低予算といわれながら、良きアメリカといわれ た時代を匂わせるこの作品こそ、映画を単なる娯楽としてでなく、闇を照らす一筋の光に思えた。

参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

AM I(アミ)2009.10.01

9月は、デコさんと平田シェフの料理教室が重なったこともあって、あっという間に一ヶ月が過ぎた気がする。そして、いつの間にやらシルバーウィークと名づ けられた連休が、そのスピードをさらに加速させたようである。と、こういう書き出しから始まるというのも、書く材料に事欠き、月末が迫ってくる例えようも ない焦りからである。毎月のことだから、もっと早く仕上げるよう周りに促されるのだが、そう簡単につらつら沸いてくるように書けるものでもない。結局、い つも泡食って印刷にかけているのが常である。
そういえばデコさんから、子供に読み聞かせていたらいつのまにか自分がはまり込んでしまったという話しを聞いて、早速取り寄せた本がある。『アミ 小さ な宇宙人』である。1986年にチリで出版されたというから、20年以上も前のことだ。たちまちベストセラーとなり、11ヶ国語に翻訳され、続編として 『もどってきたアミ 小さな宇宙人』『アミ3度目の約束 愛はすべてをこえて』がある。時間の関係でまだ続編は読んでいないが、読みやすいのも手伝って、一部はあっという間に読み終えた。不思議なことに読む前か ら、おおよその内容が分かっていた気がするし、読み進めていくうちに、過去に何度となく似たような物語を聞いたか、読んだ覚えがあるのだ。ひょっとした ら、潜在的に誰もが共有している情報(アカシックレコード)なのかもしれない。ただその時々の表現方法や、タイミングの違いで、見過ごしてしまっただけな のではないだろうか。そういう意味ではタイミングよく、自分という視点で向き合って読み進めていくと、この本に託された思いがよく分かった気がしたのであ る。本の内容は、聖書や、ありがたい教典、お経などに書かれている言葉を、大人から子供まで分かりやすいようにと、宇宙人アミが、翻訳でもするように読者 に紐解いて聞かせているようである。
若い頃・・という言葉を使わないといけない年齢になってしまったが、自分の内臓の存在を意識したことがある人が何人いるだろうか。食べ過ぎの腹痛以外 に、少々無理をしたくらいでは、自分の体なのに、それらの存在すら感じなかったのではないか。そのためついつい無理を重ねてしまう。その無理が慢性化して くると、今度は麻痺に変わる。そのうち、自分をおろそかにした代償は、あらゆる病いの表現となって現れる。そんな誤りに気づき、自分をいとおしく思い、大 切にすることができてはじめて、周りを大切にすることに繋がり、広い意味で世界をも一つにすることができるのだとアミは、少年に伝えている気がしたのであ る。少年が見た宇宙人アミ。実は、もう一人の自分自身ではないだろうか。
AM I?そう、自分自身に違いない。

「アミ 小さな宇宙人」 徳間書店

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