ヘルシングあい便り

おかげさまで二十六周年2017.07.01

  一年というものは、振り返るとあっという間に過ぎ去るものですね。普段見かけている景色、周りの環境や人間関係も年々確実に変化していきます。その移ろいの中で、記憶から埋没していくものもあれば鮮明に心に刻まれるもの、その時の感傷の一コマが、私たちの心のなかに刻まれていきます。
  近年、日本の社会にも大きな変化がありました。一体私たちはどこへ進もうとしているのでしょうか。時折沸き上がる思いを表現されている投稿をフェイスブックで見かけましたので次に掲載いたします。
一年、無事に過ごせたことに深く感謝するとともに皆さまのご多幸をお祈りいたします。

 (アサノヨシヒコさんの投稿より)
ボクは山暮らしを模索している。
白川町は母の生まれ故郷です。
母は大正十五年、十二人の兄弟姉妹の長女に生まれました。
戦時中は、名古屋で働きながら学んでいた母も小さな弟や妹の面倒を見るために白川町に戻りました。
生涯、一本も木を伐ることのなかった木こりの祖父は、食糧難が起こる事を予想して、裏山を子供たちと開墾し、さつま芋を作り、畑仕事から食物の作り方を教えました。
米もわざわざ玄米を炊かせ、小川でドジョウを採らせ囲炉裏で干し、磨りふりかけを作らせそれを玄米ご飯と一緒に食べさせ身体の作り方を教えました。
「水車が人の手借りずに白米を突くのに」と笑ってた祖母は、自ら桑畑を作り、蚕を育て、まゆから糸を紡ぎ機で織り、それを草木で染め子供たちの着物を作りました。
何もかも自分たちでするという、そんな暮らしがその頃、山では当たり前だった、とよく母から聞かされました。
そうして育った母は、戦後、兵隊から帰った父と結婚して、一緒に、全ての国民がそうであったように何もなく、ボロボロになったこの国を再建していきました。
「この国は戦争を放棄した。もう、これからは平和に暮らすんだ」と。誰も住まなくなった家が林の中で、山に還るように朽ち果てようとしています。
みんなどこへ行ってしまったのでしょうか。
便利で新しいものが揃う街に移って行ったのでしょうか?
お金を出せば、なに不自由なく暮らせる「平和」がやって来たからでしょうか。
それを手に入れるために稼ぎに出て帰らなくなったのでしょうか?
自由で平和である事は人が人として自分らしく生きて行く事だと思います。
今、「平和」が脅かされ、「人権」が無視されようとしています。
こんなにモノが一杯あるのに「奪い合い」と「買い物中毒」が始まっています。お互いを労わるのではなく、監視し合うような法律が作られようとしています。
共に生かし愛し合う人々の関係が崩壊しようしています。
そして、自由をお金という(税と社会保障という)鎖でつないで、創造的に生きる権利が人々から剥奪されようとしています。
知らないうちに、独裁者の口車に乗って、戦争の片棒を担ぐ羽目になる人生を送ることになってしまいます。
心底、自分は自分を生きているのか、本当の気持ちでノーをイエスを言えているのか。
自分にとっての自由とは、平和を作る事、生きること、働くことはどんな生き方をすればいいのか、もう一度考えて始める時ではないかなと。
飢えて街をうろつきまわる前に。
ボクは山暮らしを模索している。
ドンキホーテのように待ち伏せる風車に挑む気持ちで。
  

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