ヘルシングあい便り

陰陽の気2002.12.01

喫茶コーナーを玄米を中心とした菜食メニューにしてちょうど1年になります。玄米にしたらお客様が減るかもしれない。でも、健康でいてほしいという思いの実践は玄米菜食だろう。ということで思い切って始めたのでした。それが始めるや否やかえって食べに来てくれるお客様が増えたことにビックリしました。ほとんど毎日食べに来てくれる人の中で、「健康診断の数値がどんどん良くなっている」とか「肌がきれいになってきた」などと嬉しい言葉をかけて頂いたとスタッフから聞いて、ますます食の大切さ、意義深さも痛感した1年でした。
貝原益軒曰く、『陰陽の気は、天にあって循環していると、四季は正しくおとずれ百物が生まれる。流通が滞ると循環がうまくいかなくなり、暖冬や寒暑、大雨、台風などの異変がおこる。人体も同じで気血が滞ることなく循環していると病はない。循環が悪いと病が発生する。』というその言葉の通り、世界各地では異常気象による災害がひんぱんに発生しています。私たちの健康に対する不安も高まる一方です。周りをとりまく環境も決して楽観的ではありません。そんな時こそ毎日の食に目を向けたいものです。「今が旬」の気をうけた食材を毎日摂ることで健康「不安」を健康「ファン」という言葉に代えるお手伝いをしていきたいと思っています。
今年一年も残りわずかとなりましたが、どうか皆様もお体にはくれぐれもお気を付けください。

症状即療法2002.11.01

暑かった夏から静かに秋は過ぎ行き、一転寒い冬が近づいています。一日の寒暖差が激しいこの季節は、体をこわしやすい時期ともいえます。西式健康法では症状即療法という言葉があります。個人的にも大変好きな言葉なのですが、病気の症状は、病気と闘っている体の自然の反応、つまり、“療法”だと考えます。病院に行けば、風邪なら解熱剤、せき止め、のどの薬、鼻の薬など、様々な薬をくれます。しかし、これらの薬を飲んで症状がおさまったとしても、病気そのものが治ったわけではありません。重い風邪であれば何度でもぶり返し、やがて薬も効かなくなってきますし、副作用が出る場合もあるかもしれません。症状が出たら即療法、体の自然な反応を手助けしてあげるように心がけたいものです。
毎年風邪から肺炎を患う人が急増しているそうです。そうならないように患う前にからし湿布で体の手助けをしてあげましょう。
ベンチャー企業であるオムロンの起業精神の中にも問題の迅速な根本的解決を唱えるという意味でこの症状即療法という言葉が活かされているそうです。

カラシ湿布・・風邪、気管支炎、扁桃腺炎、結核、喘息などの症状におすすめ

方法
?カラシと小麦粉の割合 成人1:1 幼児1:3 赤ちゃん1:4
?カラシと小麦粉を50~60℃のお湯で練り、ベタベタ状のものを布または料理用ペーパーに3mmの厚さに塗り広げます
?上からもう一枚ガーゼを当て、ガーゼ側を胸部または背中に広く湿布します
?湿布の温度が下がらないように湿布の上にビニールをおき、毛布をかけて全身をあたためます
?実施時間は大人で10~15分くらい。少しめくってみて皮膚が赤くなっていれば効果があったということです。あとはぬるま湯でふき、乾いたタオルで水分をふき取っておきます。
参考著書 「少食の魅力」西本多美江・宇津野ユキ共著

自然食品ってなに?2002.10.01

郡上のナー八幡出ていく時は(ア ソンレンセ)雨も降らぬに袖しぼる~。郡上八幡の盛大な踊りおさめが終わると、季節はいつしか秋。今年の夏も猛烈な暑さが続き、心身ともにくたばりそうでしたが、何とかもちこたえたようです。実りの秋を迎え、これからたくさんの野菜や果物が店にも並ぶのが楽しみです。そんな時節、無許可の農薬を使用したことが大きなニュースとして取り上げられました。偽装ラベルの次は、輸入野菜の無許可農薬、今度はわが国においても偽装農薬か・・と憤懣やるせない思いがしますが、農薬は使用する側も、それを食べる側も、さらには土壌にも影響が大きいはずです。モラルはいったい何処へ行ってしまったのでしょうか。
自然食品という言葉は今だから定着した言葉のようになっています。しかし、考えられた当時にその言葉の意味を考えると何だか不気味な感じもします。自然食品でないものは不自然な食品なのでしょうか。毎日の食卓に飾られる品々に、いつしか不自然に作られたものが上っているとでもいうのでしょうか。考えてみれば食卓に季節感が失われ、どこで収穫されたものかも考える必要がないくらい便利な世の中です。しかしその反面、その消費者の要望で、生産をより効率よくすべく農業も変貌したと言わざるを得ません。有機無農薬栽培は理想とは言われていても現実的には農家全体で0.01%程度と言われています。それだけマイナーなのはやはり非効率だからだからでしょう。「自然まかせで灌水も控え、虫の食害も自然の分け前と開き直る・・・ある意味超然としていないと続けられません。農薬をかける農家だけを攻めるわけにはいかないのでは」とは、ある生産者の声です。
生産性をだけを求めた生産者と利便性だけを求めた消費者の共に責任があると語っているように感じます。本来、距離の近かった生産者と消費者の関係が、経済成長の影でますます引き離され、その距離は到底縮まるようには思えません。
諸問題を期に、どれだけ生産者と消費者の距離が縮まるか。その距離が縮まれば縮まるほど自然食品という言葉から「自然」が取れる日が近づくのではないでしょうか。


元気ですか2002.09.01

先月、先々月と続いた改装疲れからか、腰がドーンと重い日が続き、疲れが取れなくなりました。疲れるから何もしたくなくなり、だんだん疲労感はたまる一方です。そんな悪循環を絶つべく西式体操の再開を決意しました。決意というほど、しばらくやってなかったことが分かりますが・・。まずは腰痛から足が上げれないので、小椋先生に教えて頂いた金魚運動、ちょうど体操座りをするように寝ながら足を抱え込んで腰を左右に振ることを毎日10分以上行いました。これは効果大で腰が伸びて楽になるし、痛みが和らぎました。数日繰り返して毛管運動に挑むと、足を上げると痛かった腰が何ともありません。でも、しばらく運動していないだけで体は硬くなるものです。こんどは足がまっすぐ上げられない。腹筋も退化して上げているのが精一杯。情けないと思いつつも毎日の繰り返しによって硬かった足は十分伸びきり、1分以上毛管運動を続けられるようになりました。金魚運動、合掌合蹠と3大運動を楽々できるようになった時には腰痛はほとんどなくなったのでした。 過ぎたるは及ばざるが如しといいますが、何でもやりすぎ(食べ過ぎ&摂りすぎ)などは良くないですね。悪くしてから治すまでは一苦労です。
今年の夏は、異常な暑さでした。温暖化とはいいますが、年々ひどくなっているような気がします。今月に入って暑さは和らぐでしょうが体の変調はこれからおきてきます。水分をため込みすぎた人、クーラーで冷えをためこんだ人、毎日の健康管理をくれぐれもお忘れないようにお過ごし下さい。私のようにならないように・・・

奇跡の詩人2002.08.01

今年の4月に放映されたNHKスペシャル「奇跡の詩人」。その反響が新聞や雑誌で目についたことや、スタッフからの薦めもあって、著書「ひとが否定されないルール」を読む機会を得た。誕生直後の手術の影響で脳障害のハンディキャップを持ち、一日の大半をリハビリに費やしている11歳の日木流奈君の詩集やエッセーが大人達の心を引き付けているという。 新聞や雑誌の一部に批判的なコメントが多かったので、このギャップがなぜなのかという興味もあった。しかし本を読み進めていく中で、そのコメントが根拠のない批判であることがわかったが、それ以上にドーマン法という言葉に久しぶりに出会ったことに驚いた。私がドーマン氏を知ったのは、落馬して植物人間になった競馬の福永騎手が奇跡的に、わずかであるが歩行能力や言葉を回復させたことを、本かテレビで見たことがきっかけだった。その時博士が、福永騎手がかすかな光に反応することで回復を確信したと語ったコメントを今でも覚えている。
彼は著書の中でも「脳の成長のプロセスを速めるには、脳の成長が秩序だったものであることを認識したうえで、視覚、聴覚、触覚の刺激を十分に与えることが重要であり、このような刺激の頻度、強度、継続度を増やしていくことによって脳はより速く成長していく」そして「また、身体を十分に動かせるような環境や、言語の発達や手の機能の発達のための理想的な環境を作り、その環境を十分に利用できるような最大限の機会を与えることによって、これらの能力はさらに向上する」と語っている。
福永騎手の場合、ドーマン博士は、胎児が獲得・発達させていく機能の順次性に従って訓練をした。それを長い時間をかけて根気良く続けた結果が奇跡を生み出したといえる。
流奈君も同様に両親の献身的な努力と厳しいリハビリに根気よく立ち向かいながら、ドーマン法のプログラムにより、単語カードを約3000枚、二語文、三語文カードも約3000枚、親たちが作った手作り本はなんと約1000冊、そして、百科事典的知識を教わるための“ビッツカード”といったものが、1万枚にのぼるという。その溢れんばかりの愛情が、流奈くんに文字盤を指し示すことで多くのメッセージを発信していると同時に、私たちにも未知の可能性を示してくれているようにも思える。

11周年を迎えて2002.07.01

世界がサッカー一色で染まっていた先月の中旬に店内の改装をしました。準備期間が短すぎて一時はどうなるかと思いましたが、皆様から「広くなって商品が見やすくなった」「明るくなって良かったね」「商品増やしたの?」などなどお声を掛けていただき、改めて思い切って広くして良かったと思っています。ただし、喫茶コーナーの営業が、一週間遅れましたことをお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。
その間、メニューも改正し、玄米を中心としたランチは変わりませんが、創業者の加藤ヒロ子先生から教えられた基本だしを使ったメニューを取り入れていく予定です。 家庭でできるヘルシーメニューをスタッフみんなで考え皆様にご提案させていただきます。11周年を迎え、もっともっと皆様のお役に立てる店つくりをしてまいりたいと思っています。

店舗拡張のお知らせ2002.06.01

店内に喫茶コーナーを併設してちょうど2年が経ちました。不安混じりで始めたものの皆様の大変あたたかいご支援をいただきましてたくさんの方がお店に足を運んでくださるようになりましたことを心より感謝申し上げます。
この度、突然の話で隣の事務所が移転することになりました。15坪しかない店内に、喫茶コーナーと物販コーナーがひしめきあっている当店としましては願ってもないお話しなので、思い切って借りることにしました。狭い店内を行き来できないご不便さを多分におかけしましたが、今度は多少なりともホッとできるような空間が作れるではないかと考えているところです。改装後、さてどうなるかわかりませんが楽しみにしていてください。
当店の物販担当として6年間勤めていただいておりました小出佳子さんが退職することになりました。昨年の夏から腱鞘炎をわずらっていたにもかかわらず、痛い手をおしてお店を助けてくれておりました。6年間、お店で、お電話でと気心を知れたお客様もたくさんみえるかと思います。小出さんがいなくなった分、スタッフみんなでカバーできるよう努力してまいりますのでよろしくお願い致します。

足 跡2002.05.01

長びく不況が続いていた今から20年ほど前のアメリカ合衆国。ワシントン・ヒルトンホテルで開かれた「国家朝食祈祷会」に出席したレーガン大統領が真剣な顔で読み上げたのが一つの詩「足跡」。一呼吸おいて語られたスピーチは「私はこの話を信じる。そうでないとすれば、この極めて困難な四年間、私は合衆国大統領として責任を全うすることができないであろう。」と結んだ。
わが国でも今月でちょうど1年を迎える小泉政権。昨年、所信表明演説で語られた「米百俵」の精神は記憶に新しい。小林虎三郎氏の言葉をあてはめれば「その日暮らしでは日本は決して立ち直らない」という思いが込められていた。「今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか(後略)」総理の語る言葉に国民の多くが期待したのは言うまでもない。
国々の宗教や思想などの違いはあるにせよ、心情には共通したものを感じる。世紀を経ても変わらない精神論と宗教心。その足跡は消えることなく、その輝きを失わない。そしていまもなお混沌とした時代を生き抜く私たちに大きな示唆を与えているように思われる。

「足 跡」
ある夜、ひとりの男が神と共に海岸を歩いている夢を見た。
大空には彼の人生の一コマ一コマが写し出され、それぞれのシーンに二組の足跡が砂の上にあるのに気が付いた。
一つは彼のもの、そしてもう一つは神のものであった。
人生の最後のシーンが写し出された。彼は後ろを振り返り、砂上の足跡をみた。彼はその中で何度も、足跡がたった一組だけになっていたことに気がついた。
そしてそれは彼が人生の中で最も落ち込み、悲しみに満ちていた時であった。
そのことで彼は悩み、神に聞いた。「神よ、かつて私があなたに従うと決心したら、あなたは全生涯、私に伴ってくださると言われました。
しかし私は人生の最も苦しかった時に、一組の足跡しかなかったことに気がつきました。
あなたを一番必要としていた時に、なぜあなたは私を見放されたのか分かりません」
神は答えられた。
「私の最愛の子よ、私はあなたを愛している。そして決してあなたから離れはしない。あなたの試みの時、悩みの時、足跡が一組しかなかったのは、
その時、私があなたを背負って歩いていたからだよ」

「米百俵の精神」
江戸から明治へと時代が移り変わろうとしている1868年、戊辰の年に勃発したことから名付けられた戊辰戦争における新政府軍と旧幕府軍との激しい戦いで敗れた長岡藩の禄高は七万四千石から二万四千石にまで減らされた。食糧がみるみる底をつく飢餓状態が続くなかで、隣の三根山藩から見舞いの米が百俵が贈られのだが、皆が喜んだのもつかの間、藩の大参事小林虎三郎はこれを皆に分けることなく売ってその代金で学校を建てると言う。怒り狂う藩士達に虎三郎は死を覚悟で「その日暮らしでは長岡は決して立ち直らない」と説得を続け、ようやく賛同を得て学校建設にこぎつけたという話し。明治3年6月15日、国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目、大和デパート長岡店の位置)に開校した。
※小林虎三郎 (1828~1877)兵学と洋学で有名な佐久間象山の門下に入り、長州の吉田松陰とともに「象山門下の二虎」と称せられる

無名の詩2002.04.01

毎月といっていいほどかならず、どちらからというわけでなく情報交換とは名ばかりの酒席の会合をある人ともっている。年はひとまわり以上も離れているのだが、かれこれ十年来親しくして頂いている。新聞社勤務をしているその人の職業柄、話題といえば政治経済と思いきや、いまだかつてそんな会話をした記憶がない。だから堅苦しくなく長い付き合いができているのかもしれない。
その人いわく、新聞社でありながらニュース欄は全く見ないという。それよりは、購読者からの一言や発言、社説などが主だと。いわれてみれば情報というのは人の¨情け゛に¨報いる゛と書くように真の情報はそこにあるのかもしれない。どうしても大きな見出しに躍らされてしまいがちだが、真実はおそらく新聞の片隅に小さく載せられているのではないだろうか。
彼はおもむろに中日新聞の編集局長が執筆している欄を見せながら、毎週必ず読むようにと念を押した。新聞社は違えど、その人が編集局時代から尊敬していた人物だそうだ。
それからというもの毎週土曜日の編集局デスクを読むのが日課となった。今回は、その中で紹介されていた詩のご紹介をさせていただきたい。とても心に染み入るこの「無名の詩」は140年以上も、多くのアメリカ人に語り継がれているそうだ。

悩める人々への銘・・・・・・・・・・・・・・・
大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに  謙遜を学ぶように弱さを授かった
偉大なことができるようにと健康を求めたのに  よりよきことをするようにと病気を賜った
幸せになろうとして富を求めたのに  賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして力と成功を求めたのに  得意にならないようにと失敗を授かった
人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに  あらゆるものを慈しむために人生を賜った
求めたものはひとつとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた
私はだれよりも最も豊かに祝福されたのだ (作者不明)

A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
AUTHOR UNKNOWN

償い2002.03.01

夕刊の新聞記事にふと目が止まった。それは東京の三軒茶屋駅で起こった暴行事件判決公判の事。この事件は昨年の4月ごろに、三軒茶駅で当時18歳の少年らが男性銀行員と口論となり、殴って死なせたとして傷害致死罪に問われ、それぞれ3年以上5年以下の不定期刑を言い渡されたものだった。「わたしの人生をかけて償いをする」「遺族の心に大きな傷を与え申し訳ない」などと最終意見陳述で謝罪した少年らに対して山室裁判長は、判決文を読み上げた直後「唐突かもしれないが・・」と切り出し「君たちはさだまさしの「償い」という歌を知っているか」と問い、「たぶん知らないと思うが、君たちの法廷での言葉がなぜ心を打たないか、この歌を聴けば分かるだろう」と論じたそうだ。法定といえば仮面でもかぶって論じられるような場所と思っていたが、この血が通った言葉の投げかけに、心の癒しとなる方が多くいるに違いない。 判決の内容以上に伝えたいことが、一人一人の心に響く言葉として「癒し」となる日を思い、「償い」の歌詞全文を掲載させていただきます。

「償い」  作詩・作曲:さだまさし
月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜横断歩道の人影にブレーキが間にあわなかった
彼はその日とても疲れてた
人殺しあんたを許さないと彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった
それから彼は人が変わった 何もかも忘れて働いて働いて
償いきれるはずもないがせめてもと 毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
「ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
だからどうぞ送金はやめて下さいあなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
手紙の中身はどうでもよかった
それよりも償いきれるはずもないあの人から
返事が来たのがありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて
神様って思わず僕は叫んでいた 彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの やさしい人を許してくれてありがとう
人間って哀しいね だってみんなやさしい
それが傷つけあってかばいあって 何だかもらい泣きの涙が
とまらなくて とまらなくて とまらなくて とまらなくて   
参考記事:中日新聞2月22日夕刊