ヘルシングあい便り

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病は気から2018.05.01

 「病は気から」とはよく聞く言葉です。その語源を辿っていくと、中国最古の医書「黄帝内経素問(こうていだいけいそもん)」【紀元前四百五十年~二百二十一年頃】に、百病は気に生ず(全ての病は気から生ずる)と記されており「病気」の語源となったそうです。それが飛鳥から平安時代にかけて日本に伝わったということで、当時は元気という言葉も、病む気が減ると書いて減気と言ったそうです。
目に見えない何かがからだを突き動かしている。それをはるか昔から「気」という言葉で表現されていたんですね。
 ちなみに、この「気」という言葉の意味を、様々な角度からその著書で紹介しているのが整体という
言葉を作った野口晴哉氏です。ぜひご一読いただきたい著書ばかりですが、一文だけそのあたりをご紹介します。「スキーに重い荷物を持っていくのでも、それが自発的なら疲れないのに、人の荷物を持たされるとすぐに草臥れる」ごもっともです!。
 つい先月末のこと、スタッフHさんとの会話で、まさにそんな「気」が作っていた病の話しを伺ったのでご紹介します。
 若いころから軽い花粉症があったため、ある日、花粉アレルギー検査をしたところ、ほとんどの項目でアレルギー反応が出たそうです。そうすると、気になって抗生物質を飲み始め、それがいつの間にか毎日の日課になっていたそうです。
 そんなある日のこと、足のかかとの骨を折るケガをしてしまい、リハビリの生活。約一ヶ月が経ち、ようやく普通に歩けるようになった頃、今度は階段を踏み外して違う足を骨折していまいます。悶々とする中を、また一からのリハビリ生活。気持ちがどん底から浮上してくるのにしばらくかかったのは言うまでもないでしょう。ところがある日、毎日の日課を忘れていることに気がついたそうです。あれほど毎日飲んでいた抗生物質。飲まなくても症状は全く出なかった。その時、自分でハッと気がついたそうです。自分の思い込みが病を作っていたのではないかと。足の怪我で、花粉症のことまで気が回らなくなった。結果として、花粉症は出なかった。足の怪我は、そんなカラダの声を聞く大切さを教えてくれたんですと。
 このような話しは、誰にでもあるような気がします。自分の思い込み過ぎや、気にし過ぎることで、
病の根を作ることもあるのです。病は気から、自分自身のカラダです。過信もいけませんが、もっと信じてカラダの声を聞く余裕を持ちたいものですね。

猿から見るストレス反応2018.04.01

数名のお客様から、横書きは読み難いという声が届いています。私自身も横に読むより縦のほうが読みやすいいと思いますので、今月から縦書きにすることにしました。また、ご意見等ございましたらお申し付けください。
 昨年、十二月のお便りでご紹介させていただいたカール・ベッカーさん。その著書「愛するものをストレスから守る」から第一章の、猿から見るストレス反応をご紹介したいと思います。「我々がストレスを受けると、身体には猿とほぼ同じ反応が起きる。毎日のように、猿が拙宅の畑にやってきて、私の作っているトウモロコシやトマトなどの作物を食べてしまう。ところが、拙宅に猿がやってくる頃には、その天敵のマムシも現れる。猿はマムシを見ると、それが天敵であると本能的に分かり、体内には三つの変化が起きる。一つは、胃酸が増える。今、悠長にトウモロコシを食べて消化している場合ではない。このため、消化停止という意味で、胃酸がグンと増える。二つ目に、血液がドロドロになる。なぜかというと、猿も木から落ちると言われるように、怪我をするかもしれない。マムシに噛まれるかもしれない。怪我をしてサラサラの血液だと止まりにくい。そのため大量出血に備えて、血液をドロドロにする脂肪酸が分泌される。出血しても固まりやすいのである。そして三つ目はには、血圧や心拍数が上昇する。脂肪酸の多いドロドロの血液は重いので、体内を循環させるには負担がかかる。そのため、血圧や心拍数が上がるのである。
   そこで、この胃酸が増え、ドロドロの血液の、心臓がドキドキした猿が、マムシの前でどうするかと言うと、マムシの姿が見えなくなるまで、谷間の反対側まで10分も20分も走って逃げて木に登るのである。実はそれが賢い行動なのである。なぜならばそれがこのストレスによる三つの体内変化を調整する唯一の方法だからである。常識で考えれば、十数メートルも走れば、マムシはそこまで追ってこない。しかし、猿はとにかく走れるだけ走る。これを有酸素運動という。10分も20分も運動して汗をかく。すると胃酸はおさまり、脂肪酸も調整される。血液もサラサラになり脈も正常に戻るのである。
 人間も同じで、たとえば上司に叱られたときや仕事がうまくいかない時など、なにかストレスを感じ
た時には胃酸が増え、その状態が恒常的に続くと胃潰瘍になる。血液がドロドロになって、重い血液は血圧を上げ、血管を硬くする。それが高血圧や動脈硬化につながり、これらの症状が脳卒中や心筋梗塞の危険因子にもなる(以下省略)」
    日常よくある話しで、私たちは多かれ少なかれこのような体調の変化を感じながら生活しているのではないでしょうか。健やかな生活を送るためには、身体の反応を知ることが大切ですね。咳や発疹などの症状も、身体が悪いものを外に出そうとしている反応と思えば、よく頑張ってくれているんです。身体の変化を知り、むやみに医者や薬に頼らず、自分自身を信じてその変化に委ねること。それが、健やかに生きる知る近道なのかもしれません。そんなヒントになればと思い引用させていただきました。

身体が教えてくれること 22018.03.01

 西式健康法の創始者である西勝造氏が、健やかな生活をおくるために4つの運動を後世に残しています。金魚運動、毛管運動、合掌合蹠運動、そして背腹運動です。もともとは背腹運動一つをやり続ければ健康が維持できるほど効果があるのですが、多くの人が習得するのが難しいために、さらにわかりやすい3つの運動を後で考えたそうです。その3つの運動を続けて20年近くなり、そして背腹運動もそれに加えたのが今から10年ほど前になります。それからというものの呑みすぎで夜中に帰っても、風邪にかかりそうになっても、ほぼ無休で店に立ち続けるけることが出来ています。ただ、自分が思うようにできてなかったのが毛管運動でした。そのやり方は、仰向けに寝て、両方の手足をまっすぐ垂直に上にあげて微振動させます。その時に、足首は直角にして天井を押し上げるようにします。膝は真っすぐ伸びていないと効果が半減するのですが、それが出来ませんでした。しかしバレエをはじめて一年余りになりますが、いつの間にか膝を真っ直ぐにした状態で2分ほどのその姿勢を保てるようになりました。体幹が強くなったのを感じたのです。西式の健康体操については4月に行う予定ですので、興味のある方は体験なさって下さい。
 先月のお便りの中で、バレエのことを書きましたが、その反響が大きく、多くの方から、なぜバレエをはじめたのかとか、なんで治ったのか、などいろいろな質問を尋ねられました。一度体験に行かれると分かるのですが、踊ったりするわけではありません。しかし、私の股関節の痛みがなぜバレエをすることで解消されたかを、長年、基本を大切に指導されている国枝先生にお尋ねしました。以下は先生からの返答です。
 「バレエというと、皆様は、"白鳥の湖"、"トゥシューズ"、"脚を上げる"、"回る"、"跳ぶ"という言葉を連想されると思います。"脚を上げる"、"回る"、"跳ぶ"、そこに達するには地道な基礎レッスンを長期間にわたり継続することが必要です。一度体験されるとご理解いただけると思いますが、基礎レッスンは「これがバレエ?」といったものです。
 バレエで重要なことは脚(股関節)を外に開くことと(外旋すること)、身体を引き上げることです。この2つを正しく、身体に負担なく行うためにはインナーマッスル(inner muscles)を正しく使う必要があります。脚を正しく外に開くためには骨盤の位置、股関節の使い方、そして、筋肉の動く方向が重要です。それと同時に身体の中心部を下から上に(仙骨から頭頂に向けて)押し上げることで身体が引き上がります。こうした訓練で体の様々な動きが可能となります。また、日常の体の動きが楽になります。歌を歌う場合もこの姿勢が大切です。バレエでは、体の正しい動きからもっと脚を上げたり、回ったり、跳んだり、そして、きれいな踊りが出来る様に発展していきます。
 バレエの基礎レッスンとは、ゆっくりと自分の身体と対話をしていくことです。正しいレッスンで、正しい体の動きが出来る様になり、その結果、伊藤さんの腰痛、股関節の痛みは解消されていったのでしょう。」

 日頃のささやかな努力の積み重ねで、もっと身体が自由で、健やかで、気持ちのよい状態にすることもできるのです。食も大切ですが、身体の使い方を知ることも同じくらい大切なことではないでしょうか。今月行われるママのためにバレエ・ストレッチ体験会の案内を同封いたしました。ご興味のある方は是非、参加なさって下さい。普段も入門クラスの体験に参加いただけますので、お電話でお時間の確認をして伺ってみて下さい。

身体が教えてくれること2018.02.01

 昨年は、田んぼの面積を倍に広げました。黒米作りにも初挑戦。途中までは順調だったものの、大変だったのが稲刈りでした。天候不順が原因なのか、稲の実が熟してこないために時期は晩秋にずれ込み、冷水の中での作業となりました。自分の能力以上の面積に広げたことで無理がたたり、左足の股関節を痛めてしまい、歩くのもつらい日々が続きました。整体などで一時的に軽くなっても、すぐまた同じ状態に戻ってしまいます。そんな時に、昨年の2月から通っているバレエの国枝先生がご来店されたので、足の痛みでしばらくレッスンに伺えてない事情をお話ししたところ、レッスンすることで良くなる場合のほうが多いので一度やってみたらどうかと言われました。それで半信半疑、こわごわ顔を出しました。
 アカデミー国枝バレエは西区役所のすぐ北にあります。昨年のちょうど今ごろのことになりますが、一昨年も米作りで腰と膝を痛めたため、身体のために何かしなければと思っていたころでした。そんな時にお客様のMさんが熱心にバレエをすすめてくれました。どうしてバレエ?とはじめは思っていましたが、話しをお聞きするうちに、その先生に会ってみたくなりました。ご自身が半月板を痛めた経験を持ち、現役絶望と言われたにも関わらず、故ジャン・クロード・ルイーズ氏の指導を受けられ、骨格、筋肉の正しい使い方を習得されて、今でも舞台に立っていると言うことでした。意を決して体験レッスンに行ったところ、日頃使ってない筋肉をイジクルような、音を上げたくなるような動作ばかりで衝撃でした。怒られるかもしれませんが、今までバレエと言ったら、笑顔でつま先立ちして踊ってるイメージしかありませんでした。実際やってみて分かりましたが、笑顔どころか顔はひきつりますし、足は攣りそうになるし、自分の体なのに思うように動いてくれません。いかに一部の筋肉しか使ってこなかったかを痛感したのでした。
 早いもので入門クラス通いだして間もなく一年になります。痛めた左の股関節はどうなったかというと、レッスンに行く度に痛みが引いていきました。筋肉と骨の動きを感じることで身体が整っていったのでしょう。痛みが完全になくなったため、年始からはまたジョギングを再開するまでになりました。基本的動作とは、あらゆるジャンルにも有用なものだそうです。バレエでかえって股関節を痛めるという話しも聞いたことがありますが、それはその所作の基本が誤っているということでしょう。
 今回の件で、身体を労るということは、イジメることだと改めて思いました。股関節の痛みは、それを気づかせてくれたのかもしれません。使わない筋肉は衰えていきます。年齢とともに知らず知らず出来ることが少なくなっていきます。きっと生活環境が便利になり過ぎたためでしょう。トイレ一つとっても和式から洋式に代わって、足腰の筋肉を使わなくなりました。思ってもみないことが、身体のバランスを後退させています。最近、体幹トレーニングの人口が増えているのは、そんな身体の警告を表しているのかもしれません。
 60歳を過ぎてバレエに取り組んだロケット博士、糸川英夫さんの言葉をご紹介して終わりにしたいと思います。
「紙一枚の厚さというのほ、ほとんど測れないくらい薄い。しかし、電話帳を二十冊積んでみれば、背の高さになる。 だから、十分でも二十分でもいいから、決められた階段を上がる。それを続けられれば、ある日、きっと、それまで自分が夢見ていた頂点に立っていると思う。」

20年後のわたしに2018.01.02

 明けましておめでとうございます。つつがなく新年を迎える事ができたことに感謝するとともに、旧年中、多くの方々が当店をご利用してくださったことを心から御礼申し上げます。
 私事になりますが、昨年の夏頃から、当店でも販売している提案誌「棲」を手がけられている自由空間の兼松さんのお力をお借りして、毎月発行しているお便りを一冊の本にまとめる作業をしてきました。一昨年の7月で、加藤ヒロコ先生からこの店を引き継いで丸20年が経ちました。その間、様々な事がありましたが、後ろを振り返る間もなく月日が経った気がします。20年という年月に、ようやくふっと周りを見渡す余裕ができたのでしょう。すると、様々なことが大きく変化していることに気が付きました。自宅に隣接する建物の向こうは、あまり行く機会がなく、昔は田畑が広がっていたのですが、いつしか住宅が立ち並んでいました。家からそう遠くない小高い山も、高速道路に向かう道路が作られ、住宅建設が進んでいます。お母さんに抱かれて来店していたお子さんが成人され、海外を飛び回っているそうです。よく顔を見せてくださっていた方の訃報が飛び込んできます。毎日の記憶は、コマ送りの画像のように記憶されていますから、大きな時間の流れの中で埋没し、その変化に気づくことなく通り過ぎてしまいます。30代で店を引き継ぎ、それからの20年という年月は、そんな節目を私に与えてくれるものでした。
 ヘルシングあいは、1991年に加藤ヒロコ先生が開業しました。時はバブル崩壊の時期でしたが、まだまだ億ションが流行し、海外のビルや土地を買い漁っていた時代でした。世の中が消費が美徳の時代だったのです。そんな中で加藤ヒロコ先生は、「病気は食べ過ぎが原因ですよ!あまり食べてはいけません」と、自分の体験をもとに、あえて玄米菜食と青汁、少食をすすめるために、この店を開業されたのです。時代に逆行して進むことは大変なことだったと思います。しかしその思いに賛同された会員の皆様やご利用されたお客様のお力があったからこそ、今日まで店を継続してこれたのだと思います。この場をお借りして、深く御礼申し上げます。
 引き継いだ当初は、頭から湯気が出そうになるくらい苦しみながら書いていました。しかしそれも良い思い出です。こうしてお便りを続けてこれたおかげで、20年分の財産ができました。記憶を残す作業というのは誰しも一人一人、自分の人生おいて大変貴重なことです。それが写真であれ、絵でも、何でも良いと思います。それを20年後の自分へのメッセージにすることで、また一から頑張れる気がします。そこでタイトルを「20年後のわたしに」とさせていただきました。
 お手にとっていただいて、ご一読いただければこれほど嬉しいことはありません。
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「20年後のわたしに」伊藤一重著 自由空間 1,620円

自然に即して、生きて逝く2017.12.01

 ご縁とは不思議なものです。ふと気になって店の入口に置かれているイベントのチラシに目をやると、忘れもしない方の顔が入った講演会の案内があるではないですか。日時はその日の翌日。ちょうどスタッフの居てくれる時間帯。偶然が重なるとはこんなもので、その講演会に伺うことが出来ました。
 30代半ばくらいだったので今から15年ほど前になります。臨死体験をテーマにした講演会に参加しました。その時の講師が忘れもしない方であるアメリカ人カール・ベッカーさんでした。アドリブを交えながら全身全霊で話す姿に吸い込まれていった覚えがあります。宗教が異なることから起こる事情、そして日本人が忘れかけていた日本人の姿を、異国の方から拝聴できたことは、貴重な経験となりました。
 アメリカをはじめとした欧米社会では、「キリスト教の伝統的背景の心身二元論の立場から、死体は単なる物であって固有の意味をもたないと考えられ、ここから脳死が死であることが受容され、脳死状態(単なる死体)からの臓器提供が推進されていると言われる」(脳死・臓器移植とキリスト教より)魂は永遠に続くものだが、肉体は単なるモノであると割り切った死を捉えた死生観です。その一方で日本は、死は終わりではなく、心のなかで生き続けている。そして新たな出発と考える。そのため、死者を大切に弔う習慣が続いてきました。カール・ベッカーさんは、50年以上前に米国で始まった臨死体験の研究で、末期症状の患者を相手にしていた精神科医のキューブラー・ロスさんの様々な事例を紹介しつつ、心臓停止から蘇生した患者たちの口から、「神様や死者が迎えに来た」「蘇生術を施されている自分を、手術室の天井から見下ろしていた」などの、驚くべき証言や、いわゆる「体外離脱」(幽体離脱)などと言われる現象などを取り上げながら、死が終わりではないという日本人の死生観は、間違っていないのではないか。脳死や心臓停止を死と判断する欧米社会の基準に対して疑問を投げていました。
 小柄ですが、バイタリティーあふれるカール・ベッカーさんのお話しは、今回もさらに深く心に染みる内容でした。大家族で生活していた頃の日本人は、働き手が農作業や仕事へ出るため、子どもの世話を祖父母が見ていた。そしてその祖父母が高齢になって世話をしたのは、面倒を見てもらった子供たちだった。その祖父母の死を看取って、死を身近に感じることができた。日本のように犯罪が少なく、また多くの老人が自分の生まれ育った家の畳の上で、家族に囲まれて他界できた国は他にはなかったそうです。それが環境が大きく変わった今、看取る場所が病院に変わってしまったため、死というものに対して触れる機会がなくなった。それが陰湿ないじめや猟奇殺人につながっていると。
 西洋東洋を問わず、大事な人に死なれてしまうと、1、2年も経たないうちに、事故や、病気、精神異常や最悪の場合は鬱や自殺などの確率が高くなるそうです。そこで、ある病院で本人患者自身が長くないとわかった時点で、毎月のようにパーティーを行います。そのパーティーに、どうせ死ぬんだから何を飲もうが食べようが自由で、持ち寄せの物を飲んだり食べたりして、一緒に泣いたり笑ったり黙り込んだり握手したりして、そして本人がいなくなってからも、同じ仲間や家族を呼び寄せて、毎月数回ほどその儀式を続けます。そうした場合にそれら発症例が激減するそうです。しかしこの知恵も日本人は昔から持ち合わせていると教えてくれました。それが初七日や四十九日、初盆、一周忌など定期的に親戚や友人などを集めて行うことですと。今まで続いてきた習慣には意味がある。忘れ去られようとしてる良き日本の伝統を後世に伝えること。これが私たちの役目なんだと深く感じた内容でした。
 中途半端になりましたが、お話しの中身が濃すぎて、ほんの少ししかお伝えできないのが残念です。カール・ベッカーさんのお話しは、youtube(NHK文化講演会の時間)でもお聴きいただけます。

選挙応援を終えて2017.11.01

 年の瀬が迫ってきました。今年はこの歳になって、初めて体験することが多い年になりました。先月は、選挙応援に、地元や名古屋ではなく時間の許す限り設楽町まで行ってきました。ポスター貼りから、ポスティング、選挙カーでのウグイス嬢ならぬカラス◯?、デンカツ(有権者に直接でんわ掛けをすること)に至ることを体験して、一気に選挙が身近になりました。選挙はカネがかかると言われていますが、確かに掛けようと思えばいくらでも掛かる。選挙カー然りであの大きな看板を車に着けるのにも相当な費用がかかるそうですが、それだけではない。事務所もいるし、人の手配も大変です。今まであれほどうるさいな~と思っていた選挙カーも、知ってもらわないといけないから名前を連呼するのも気持ちが分かります。色々と選挙を見る目が変わりました。本来は、何故選挙に出るのか。自分ならこんなことが出来る。などを有権者に伝えることがいちばん大切なことに違いないのに、公示日から投票日までが一週間足らずでは、よっぽど用意周到に準備しなければ出来ないことです。公選はがきやポスティングだけでは限界があるでしょう。ですから多くはすでに組織されたところに票が集まるのが自然な流れとなってしまっています。既存の政策を推し進めてもすでに限界が見えている。それは誰しもわかっていることですが、それを声にした人に気づかない。大きな選挙という舞台の造作に、紛れ込んでもがく立候補者と有権者は無数にいるのではないでしょうか。
 衆議院選挙も、ほぼ予測通りの結果に終わったようです。しかし、その内容を見ればおわかりだと思いますが、自民党が圧勝しているのではなく、それに代わる声に投票できなかったのです。「投票しなかった人を含む全有権者に占める自民の絶対得票率は、小選挙区で25%、比例区で17%。自民に票を投じた人は選挙区で4人に1人、比例区で6人に1人だったが、結果として全465議席の6割を占めたことになる。」(朝日新聞)「今回の衆院選比例代表で自民、公明両党が獲得したのは計87議席と、定数176の半数に届かなかった。それでも自民党が大勝できたのは、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区制の恩恵が大きかったことを裏付けている。」(毎日新聞)というように、慌ただしく解散総選挙に持ち込んだのは、選挙慣れしている小選挙区での固まった組織が一様に動き、対する野党の票がばらついた結果が今回の結果を表していると感じます。あれほど問題になって辞任した大臣が次々ゾンビのように復活を遂げました。世界が大きく変わろうとしている中で、それでも変化を求めない人たちが沢山いるということです。
 稲刈りもようやく終わりに近づきました。天候に恵まれて実り多く育ちましたが、ここにきての悪天候で作業が進まず、しかも台風も来ました。稲架掛けでの天日乾燥のために気が揉みますが、結果はどうあれ自然にすべてを委ねてのお米作りに意味があると思っています。名古屋祭りや各地方のさまざまなお祭りが、そのため中止となりました。きっとそれも意味があるはずです。
 日本語の「まつり」の語源と原義を調べてみました。まつりとは、「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。この意味では、個人がそういった儀式に参加することも「まつり」であり、現在でも地鎮祭、祈願祭などの祭がそれにあたる。日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶ。原初の祭は、一つの信仰に基づいていたと考えられる。すなわち、豊穣への感謝・祈りである。(ウィキペディア)

名古屋三越栄店の出店を終えて2017.10.01

 先月の20日から6日間開催された、「世界と日本のフェアトレード vol,2 いいものマーケット」。フェアトレード名古屋の代表を務める原田さとみさんからお声をかけていただき、その中のイベント、「いいものキッチン」というオールベジな料理を提供する特設レストランで、23日の祭日1日限りで
ププキッチンの料理をご提供させていただきました。
 いつもとは勝手の違う場所でありながら、そつなく料理を提供してくれたスタッフに感謝する反面で、私自身のイベントに対する勉強不足について大いに反省したものとなりました。30分のトークステージでは、進行役をしてくださった原田さんのリードで、終わってみれば1時間も話しをしていたというオチまでついて、大変有意義な時間を過ごさせていただきました。
 西区の住宅街から、栄の繁華街へ仕事を移す体験が出来たことは大きな収穫でした。普段はひっそり佇む住宅街に店があり、駐車場もさほどなく、駅からもそれほど近くない場所ですから、当然、皆さんにお越しいただくための動機づけがないと、なかなか来てもらえません。反対に繁華街では、人は無数に歩いてますし、駐車場が空くのを待つ車の列を至る所で見かけました。名古屋百貨店の売上高で「名駅」が「栄」を上回ったという記事がありましたが、それでもこれだけの人が足を運んでいて、目的の場所へと人垣が途絶えることなく流れていました。
 今回のイベントは、知る人ぞ知るというくらいの認知度しかなかったでしょう。同じ時期にお隣の松坂屋さんでは大北海道物産展が行われていました。10月2日までですから今も行われています。集客を考えれば、それに対抗したイベントも考えられたに違いありません。しかし、改装後の貴重な時期に、あえてこの催事をえらんだ三越栄店と、原田さとみさんの熱意に、今後の仕事の在り方を見せていただいた気がします。
 中国やインドなどの大国をはじめ、東南アジアでも大きな景気に湧いています。かつての日本のように、作れば売れる時代なのでしょう。しかし低賃金で良質なものを獲得する連鎖は、いつまで続くのでしょうか。失われていく貴重な自然や資源を、次から次へと貪欲に資本が手を伸ばし続けます。そして終焉は、世界の一定の人口の富が平均化することで落ち着くのでしょう。無数の口が食べ尽くし、無数の手が買い漁れば、地球の裏側まであっという間に資源が枯渇するからです。魚が採れなくなるのもしかりです。最早好き勝手に出来る時代は終わっているのです。これからは残された貴重な資源を守り、育んでいくことが私達に課せられた最後の役割ではないでしょうか。
 バブルを経験したわが国は、そのことを嫌となく知っているはずです。成熟しきったこの社会で生きていくために何が必要かを、このイベントに参加させていただいたおかげでわかった気がします。そして、一人一人の方々と、情報を共有していく大切さを改めて痛感した一日となりました。

日本CI協会、勝又靖彦会長の訃報に接し2017.09.01

 マクロビオティックの普及団体日本CI協会の会長であり、桜沢如一氏の最後の直弟子である勝又靖彦氏が7月の終わりに永眠されました。それに伴い、8月の下旬にお別れ会が東京で行われたため、その会に参列してきました。
 今から遡ること6年前の4月頃、桜沢如一氏の命日に合わせてのお墓参りと日本CI協会の勝又靖彦会長による講演会(テーマ:桜沢如一が見ていた世界/楽しく自由なマクロビオティック)があるということで京都に行ってきました。桜沢如一氏が永眠されているのは、京都でも比較的小さなお寺である教蔵院で、墓地もひっそりと佇んでいました。故人の人柄が偲ばれる感じがしました。
 その後に向かった講演会の会場は、京都の夢窓幼稚園。京都の中心部なのに、その周りは木が繁り、大きなアスレチックや土の遊び場が広くとられているなど、癒空間を感じさせました。なんとマクロビオティック、玄米菜食の幼稚園で、毎年遠方からも入園の申込みが殺到しているとのことでした。希望の保護者には、給食の手伝いをしてもらうことで、子どもたちの様子を見られるなどの素晴らしい工夫をしているそうです。そこでの講演内容も素晴らしかったのですが、その後に催された食事会の席で、ちょうど目の前に座られたのが勝又会長だったため、その時の会話内容は今でも鮮明に残っています。その時質問したことで不明な点を、しばらく経ってからわざわざ調べてご連絡下さいました。とくに印象に残っているのは起床時間をお尋ねしたところ、2時半には起きていると笑って答えられたことです。桜沢先生は3時半には自宅の清掃に取り掛かっていたという記事を目にしたことがあったため、弟子として一緒に住んでらっしゃったころは、どうされているのか興味があったからでした。一緒に生活するなかで、早く起きることには慣れたということでしたが、会長の日課は、起きてからの読書、そして奥様とのティータイムがとても貴重な時間だとおっしゃっていました。その後6時頃には家を出て、ゆっくりウォーキングを取り入れて、て会社に向かうとお話しされていました。なんとも豊かな時間の過ごし方をお聞きしながらのその瞬間が、ついに勝又会長との最後の会話となりました。亡くなる直前まで仕事をされていて、夕食をご家族で囲み、翌日の早朝に急逝されたそうです。ご冥福をお祈りするとともに、会長の書籍のプロモーションビデオ「"陰陽の考え方"を身につけて直感力を高める」から一部抜粋して皆さまにも肉声をお届けさせていただきたいと思います。
 「マクロビオティックは、無意識の判断というのはまさに決めているのは食べ物だから、食べ物を自然に調和させれば、無意識の判断が健全になる。現代医学で言えば、自律神経でしょうけれど、そういうものが不自然だと、いつ事故に合うかわからないし、いつ黴菌にやられるかわからないし、非常に危険な状態、無意識の判断が正常に働いてないということなんですよね。やっぱり、桜沢の思想というのは、もちろん健康問題としても広げないといけないし、そういう生き方、指針として、まさにコンパスとして今の時代に広げないといけない。
 マクロビオティックというと、こういう食べ物が食べていいもので、こういう食べ物が悪いものだとい
う、なんか「薬」とは「毒」かみたいな発想で入門者は捉えがちなんですけれども、この世の中に悪いものなどない。絶対的に良いものもない。それをどういうシチュエーションで、どう取るかによっては、善にもなるし、悪にもなる。陰陽とはそういう関係だということを念頭に置いて勉強して欲しい・・・」

達磨さんの目入れ2017.08.01

 達磨さんの左目に目入れをしたのが5年前。高崎だるまで有名な高崎市で西式の健康会館を運営されている宇津野先生から当店にお越しになった際に頂戴したものです。その時、思わず願掛けした目標がありました。どうしてそんな高い目標を掲げたのかといえば、単純なことで身体が硬く、とくに股関節は座った姿勢で長い時間いると、突っ張ってくる痛みがありました。これはどうにかしなければと思っていたところ知ったのが古武道の教室でした。しかし実際は、古武道をするためには力が入ってたらダメだそうで、その準備段階としてまず全身の力を緩めるため、股関節や肩関節をほぐす運動を中心とした体幹呼吸法の習得から始めました。ところがほぐれるどころか、姿勢は辛いし、各関節は痛いので力が入りっぱなし、こんなこと続けて意味あるのかと思えてくるほど身体が悲鳴を上げる始末。悶々としながらでも3ヶ月ほど通い始めた頃からですが、少しづつですが体がほぐれていくのが分かるようになってきました。それから毎朝やるようにしたんです。達磨さんはそんな時にいただいたものでした。
 あっという間に5年の月日が経ちました。その後どうなったのかというと、まだ右目は白いまま。相変わらず体幹呼吸法で習った運動は欠かさず毎朝行っています。最近になって嬉しいことがありました。開脚してゆっくり姿勢を倒して行くと、地面に顎が着くようになったんです。そして動きが悪かった股関節は、ほぐす姿勢でのツッパリがなくなり、より回転しやすくなりました。最近習い始めたバレエの効果も大きいのでしょう。下半身の使い方がここ最近大きく変わってきたような気がします。おお!やっと、これで達磨さんの目入れが出来ると思って、以前書いたお便りを見直してみました。すると、願掛けした目標は、ちょっと前に流行った開脚本の影響ではありませんが、なんと180度開脚して胸が地面につくようになることでした。当然のこと、目入れはまだまだ先の話しになりそうです。しかしその目標は手の届くところまでやってきました。人間誰しも弱点があります。その弱点に目を伏せて放って置いたままにすると、自分の体もしくは心の一部のはずが、孤立して忘れ去られ、脳の司令でさえまともに届かなくなるようです。固く閉ざされたそれを刺激したとき、肉体の反応は強い痛みとなって、精神の反応は悲しみや恐れとなって、私達自身にはね返って来るような気がします。イジメるとは、弱いものを苦しめ、痛めつけることですが、まさに孤立した部分に光を当てるのと同じです。現在のイジメの構造は陰湿化して、精神的苦痛は耐え難いものがあるでしょう。しかし、その根本原因も、周りが目を伏せて孤立させてしまったことによるのが大きいのではないでしょうか。私たちの肉体や精神に潜む問題と、大差はないはずです。一つ一つの問題にどう向き合うかで解決方法は大きく変わる気がします。私の弱点である股関節の運動が、最初どれほど辛かったことか。しかしその痛みは固くなったコリをほぐすのに不可欠なものです。痛みとは、気づきかもしれません。激しい痛みでも労り続ければいつの日か心地よい痛みに変わっていくことを、カラダは教えてくれてるように思います。
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